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はっと目を開けた。
ちょっと古びて薄汚れた白い天井が見えた。部屋は暗く、空気はほんのり冷たい。
(俺、寝てた?)
八王子は、数回ゆっくり瞬きをした。
記憶と感覚が徐々に甦える。と同時、ばっと身を起こした。
「っっっ!!!!!」
声にならない呻きが、八王子の口から洩れた。体を二つに折り曲げ、うずくまった。
(くーーーー、いっっったいぃぃぃー。今、ピキーンって全身が突っ張ったっっ)
額にあたる、布団の冷たい感触に少し冷静さを取り戻す。どうやらベッドに寝かされていたらしい。病室っぽい。電気は付いていない。夜、ということだろう。
あの岸辺から病院に、無事運ばれたのか?
じゃあ妙子はどこ?
どれくらい寝ていた?
全身の痛みが引くやいなや、八王子は体を起こしベッドから下りた。体を動かすたびにどこかが痛む。床に足をついた時は、肋骨に響くのがよく分かった。
体って全部つながってるんだな、と妙に実感を持って納得できる。野球でさんざん体を意識して動かしてきたはずなのに、筋肉だけでなく、骨も内臓もなにもかもが感覚とともにつながっている。
頭も、心も、つながっている。
さっきまで見ていた夢。
(夢、だったのか?)
病室のドアを開けた。廊下からさらにひんやりとした空気が流れ込む。静かだ。皆寝ている時間ということか。
八王子は歩き出した。当てがあるわけではない。各部屋に掲げられている患者の名前をひとつひとつ見ていく。
(妙子は、どこ?)
手をぐっと握った。生々しい感触が残っている。妙子の腕を掴んでいた感触だ。腕の細さ、柔らかさ、激流のなかで抱き寄せていた時の体のぬくもり。
それだけではない。
妙子の、妙子らしい言動。見惚れてしまった笑み。
(・・・夢じゃ困る)
壁伝いに進んでいく。どれくらいウロウロしただろうか。ふと曲がった廊下の先で、部屋の前の長椅子に人が座っていた。その姿に見覚えがあった。よく知っている人に似ていた。ただ、普段は溌溂とした雰囲気をまとっているのに、今は力なく疲れたように座っている
八王子は近づいた。
八王子の足音に気づいて、その人が顔を上げた。
「颯ちゃん・・・」
楓だった。慌てて立ち上がると、小走りに八王子に近づき、体を支えた。そしてゆっくりと、先ほどまで座っていた長椅子まで連れてきて座らせた。
「颯ちゃん、起きていいの?大丈夫?」
気遣う楓の腕を、八王子はつかんだ。
「姉ちゃ・・・」
(妙子は?)
八王子は、体の痛みと歩きまわった疲労感で息が切れ、うまくしゃべれない自分をもどかしく思った。
楓は、八王子の額に浮かんでいる脂汗をハンカチで押さえた。
「もう、全然ダメそうじゃない。病室に戻らなきゃ。看護師さん呼んでくるから待って・・・」
そう言って腰を浮かせた楓を、八王子は止めた。
「妙子、は?」
楓がギクリと体を強張らせたのが分かった。表情も険しくなり、口元がきゅっと引き締められた。
八王子は楓の服の裾を掴んで、ぎゅっと引っ張った。肋骨を押さえ、壁に頭をつけつつも、楓をじっと見た。そこには必死さしかない。
楓は観念した。
息を吐くと、八王子の隣りに座った。八王子は横目で楓を見た。楓は顔を上げ、目の前の閉じられた病室のドアを見ていた。
八王子も、目線だけをそのドアに移した。
「妙子ちゃんは、あのドアの向こうよ」
八王子は体の痛みも忘れて腰を上げた。
妙子がいる。
ドアに近づこうと立ち上がるのを、だが、楓が引き留めた。長椅子に座り直させる。
八王子は抗議するように楓を睨んだ。声も出したつもりだったが、出ていなかった。
楓は八王子の両肩を押さえ、しっかりと座らせる。弟が妙子を心配している気持ちはよくわかっている。でも。
「颯ちゃんたちが見つかって、この病院に運ばれてきてから丸一日が経ったの」
(丸一日?)
八王子は驚いた。楓は、八王子の横に再び座った。ただ、いかにも疲れ切ったような座り方だった。
「だから今は茂さんに、二人でいさせてあげて」
「・・・?」
「今晩がヤマだって。手術自体はなんとか成功したんだけど、少しでも目が覚めなければ・・・」
八王子が恐る恐る楓を見た。楓は、ドアの向こうをまるで透視しているかのように見続けている。
「ダメだって」
八王子は愕然とした。
(嘘、だろ?だって妙子、戻るって・・・)
そこで八王子ははっとした。
やっぱりあれは、夢だったのか――――?
暗い廊下の冷気が、一気に八王子を包み込んだ。
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