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なにかがキラッと光った。思わず手を顔にかざして目をかばう。
また光る。
指の隙間から確認した。
川面を跳ねる水しぶきが、太陽の光りにきらめいたことによる輝きだとわかった。
川。
そう認識した途端、耳に水の音が聞こえてきた。
澄んだ、涼し気な音。
向こう岸には、川に覆いかぶさるような枝ぶりの木々が連なっている。
山の中を流れる川なのだ。
自分が立っているのは、見覚えのある岸辺。
(カノジョの岸辺・・・)
妙子はぼんやりと思った。
カノジョは青年と行ってしまった。私の中にはもういない。だから、カノジョの夢は、もう見ないと思っていたのに。
妙子は川へと近づいた。
そして、川の淵に幼い男の子がいることに気が付いた。
カノジョの坊や?
(いや、でも、カノジョは自分の子どもとは、赤ん坊のときに別れたはず)
目の前の男の子は、3歳くらいに見える。川の中を凝視し、時折跳ねる水しぶきにきゃっきゃっとはしゃいだ声を上げる。とても楽しそうだ。
男の子が妙子に気づいた。
妙子の顔を見ると、満面の笑みを浮かべた。
「たーぁ」
「たあ?」
男の子は妙子をそう呼んだ。
首を傾げた妙子に構わず、男の子は体の向きを変えると川に背を向け、岸辺を走った。走ったといっても、ちょこちょこと歩いているような速度だ。幼い子供独特の、甲高い笑い声が山々に響く。
ご機嫌なのが伝わってくる。
妙子は、その男の子が向かう先へ目をやった。
男性と女性が立っている。
男性のほうが、近づいてきた男の子を抱き上げた。そのまま、こちらに向かって手を振る。
隣りに立つ女性が名を呼んだ。
「妙子ちゃん」
茂と楓の二人だ。
ということは、あの男の子は生まれてきた私の弟?
(あれ?まだ生まれてなかったよね?)
記憶が混乱しているのだろうか。
妙子はますます首を傾げて、3人を見た。
男の子は茂に抱きかかえられながら、楓に手を伸ばし、楓はその手を軽く握り茂を見上げ、茂がそれをほほ笑んで見返す。
妙子は目を細めた。
目の前に繰り広げられる、幸せな家族のいち風景。幸せであることが、よく伝わってくる。
(いいね、こういうの)
幸せな人たちを見るのは、気持ちのいいものだ。
いつまでも見ていたい。
川から清涼な風が吹いた。
「呼んでるよ、妙子」
「え」
妙子の手が後ろから握られたかと思うと、前に引っ張られた。
自分の手を取り、引っ張っていく大きな手。見覚えのある背中。
「八王子」
妙子は驚きをもってその名を呼んだ。
八王子が振り返った。屈託のない笑顔を向けてくる。
「なんで?」
ここにいるのか?
妙子はそこで気が付いた。
ああ、これは「夢」だ。
(そうか、これが"夢"か)
妙子の見る夢は、今までずっと、カノジョの記憶だった。カノジョの経験した喜び、悲しみ、怒り、嘆き。それらを追体験するものが、妙子の夢だった。
だから、自分の夢など見たことがなかった。
現実にはありえないことが起こる。空を飛ぶことも、水の中で息をすることもできる。奇妙奇天烈な展開であろうとも、なんでも起こる。自分が死んで、その姿を見るといった、恐いような不可思議なことも起こる。
それが、眠りの中で見る夢というもの。
(私は「夢」を見られるようになったのか・・・)
まだ生まれていない弟がいる父の家族を、こんな風に見られるならば夢はいいものだ。
「妙子も一緒だよ」
八王子がぐいっと引っ張ると、妙子を茂たちのもとへと押した。
妙子は驚いて八王子を見た。
八王子は笑っている。いつもの、なんの交じり気もない、心からの笑顔。邪気のなさは、3歳児と同じかもしれない。
「妙子も、一員でしょ」
当然のように言う。否、当然のことだ。
妙子は茂たちを見た。弟が、妙子に両手を伸ばしてくる。
「うん、そうだった・・・」
生きていれば、この光景をいつも見られる。
妙子はほほ笑んだ。一緒に見られる。
過去ではなく、未来を見る。
夢を見る。
こんな夢なら、眠るのはもう、恐くない。
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