第四章 カノジョの未来、彼女の願い

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 なにかがキラッと光った。思わず手を顔にかざして目をかばう。  また光る。  指の隙間から確認した。  川面を跳ねる水しぶきが、太陽の光りにきらめいたことによる輝きだとわかった。  川。  そう認識した途端、耳に水の音が聞こえてきた。  澄んだ、涼し気な音。  向こう岸には、川に覆いかぶさるような枝ぶりの木々が連なっている。  山の中を流れる川なのだ。  自分が立っているのは、見覚えのある岸辺。 (カノジョの岸辺・・・)  妙子はぼんやりと思った。  カノジョは青年と行ってしまった。私の中にはもういない。だから、カノジョの夢は、もう見ないと思っていたのに。  妙子は川へと近づいた。  そして、川の淵に幼い男の子がいることに気が付いた。  カノジョの坊や? (いや、でも、カノジョは自分の子どもとは、赤ん坊のときに別れたはず)  目の前の男の子は、3歳くらいに見える。川の中を凝視し、時折跳ねる水しぶきにきゃっきゃっとはしゃいだ声を上げる。とても楽しそうだ。  男の子が妙子に気づいた。  妙子の顔を見ると、満面の笑みを浮かべた。 「たーぁ」 「たあ?」  男の子は妙子をそう呼んだ。  首を傾げた妙子に構わず、男の子は体の向きを変えると川に背を向け、岸辺を走った。走ったといっても、ちょこちょこと歩いているような速度だ。幼い子供独特の、甲高い笑い声が山々に響く。  ご機嫌なのが伝わってくる。  妙子は、その男の子が向かう先へ目をやった。  男性と女性が立っている。  男性のほうが、近づいてきた男の子を抱き上げた。そのまま、こちらに向かって手を振る。  隣りに立つ女性が名を呼んだ。 「妙子ちゃん」  茂と楓の二人だ。  ということは、あの男の子は生まれてきた私の弟? (あれ?まだ生まれてなかったよね?)  記憶が混乱しているのだろうか。  妙子はますます首を傾げて、3人を見た。  男の子は茂に抱きかかえられながら、楓に手を伸ばし、楓はその手を軽く握り茂を見上げ、茂がそれをほほ笑んで見返す。  妙子は目を細めた。  目の前に繰り広げられる、幸せな家族のいち風景。幸せであることが、よく伝わってくる。 (いいね、こういうの)  幸せな人たちを見るのは、気持ちのいいものだ。  いつまでも見ていたい。  川から清涼な風が吹いた。 「呼んでるよ、妙子」 「え」  妙子の手が後ろから握られたかと思うと、前に引っ張られた。  自分の手を取り、引っ張っていく大きな手。見覚えのある背中。 「八王子」  妙子は驚きをもってその名を呼んだ。  八王子が振り返った。屈託のない笑顔を向けてくる。 「なんで?」  にいるのか?  妙子はそこで気が付いた。  ああ、これは「夢」だ。 (そうか、これが"夢"か)  妙子の見る夢は、今までずっと、カノジョの記憶だった。カノジョの経験した喜び、悲しみ、怒り、嘆き。それらを追体験するものが、妙子の夢だった。  だから、自分の夢など見たことがなかった。  現実にはありえないことが起こる。空を飛ぶことも、水の中で息をすることもできる。奇妙奇天烈な展開であろうとも、なんでも起こる。自分が死んで、その姿を見るといった、恐いような不可思議なことも起こる。  それが、眠りの中で見る夢というもの。 (私は「夢」を見られるようになったのか・・・)  まだ生まれていない弟がいる父の家族を、こんな風に見られるならば夢はいいものだ。 「妙子も一緒だよ」  八王子がぐいっと引っ張ると、妙子を茂たちのもとへと押した。  妙子は驚いて八王子を見た。  八王子は笑っている。いつもの、なんの交じり気もない、心からの笑顔。邪気のなさは、3歳児と同じかもしれない。 「妙子も、一員でしょ」  当然のように言う。否、当然のことだ。  妙子は茂たちを見た。弟が、妙子に両手を伸ばしてくる。 「うん、そうだった・・・」  生きていれば、この光景をいつも見られる。  妙子はほほ笑んだ。見られる。  過去ではなく、未来を見る。  夢を見る。  こんな夢なら、眠るのはもう、恐くない。   ☆  ☆  ☆
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