終章

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 ふと海人を見ると、目がパッチリ開いていた。赤ん坊は不意打ちで起きる。 「起きたのか?」  妙子の寝顔を無遠慮に眺めていたのを、見咎められた気がして、若干動揺し、そんな自分に苦笑した。 「あー―」  小さな声が答えた。そして顔をくしゃっとさせて、両手を握ったまま伸びをする。 (かわいい・・・)  生まれてからちょくちょく見ているが、仕草のひとつひとつがとにかくかわいい。そう思ってしまう。八王子は、この小さな生き物に完全にメロメロだった。  赤ん坊が動き出したので、妙子も目を覚ました。無意識なのか、赤ん坊のお腹に手を当て、ポンポンと軽く叩いた。あまりに自然な動きだった。  そして、ゆっくりと身を起こした。  八王子がすぐ傍に座っていることにも気が付いた。が、寝惚けているのか少しも驚かず、それどころかふわっとほほ笑んだ。  八王子はその笑みに釘付けになった。  思わず、妙子に触れようと手を伸ばす。 「たえ・・・」  が、その手は妙子にはかすりもせず宙に浮いた。  妙子が海人を抱き上げるため、体の向きを変えたからだ。  八王子は、宙ぶらりんの手の収めどころが見つからず固まった。その様子を、海人を抱き上げた妙子が、不思議そう、というより、面白そうに見やった。 「いらっしゃい、八王子。どうかした?」 「・・・」  八王子は心の中で嘆息した。寝起きでも、相変わらずの妙子である。妙子のからかいにだいぶ慣れてきたはずなのだが、不意打ちの笑みには敵わない。妙子はそれをわかっていて、自分に笑みを向けるのだろうか。ほほ笑みの安売りはよくないぞ、と負け惜しみを心の中で言う。  八王子をからかって遊ぶ妙子を見ていると、数か月前に死の淵をさ迷った人には思えないだろう。  だが、妙子の脇腹には、消えない傷が残っている。妙子がずっと闘ってきた証拠のようでもあるが、一連の事件を忘れさせないための、水の力の一族からの烙印のようでもある。  当の本人は、気にしていないのが救いだ。 「楓さんは?」 「あ、うん、寝に行った」 「そっか。私が先に寝ちゃったから休めなかったよね。悪いことしたな」 「大丈夫だよ。あ、そうだ、ミルクは冷凍してあるって」 「わかった」  妙子は八王子に海人を渡すと、ミルクを温めに台所へ向かった。海人はご機嫌で、八王子の顔をパシパシ叩いた。痛くはないが、痛いよ~と言う八王子で遊んでいるように、見えなくもない。八王子で遊ぶ術をすでに身に付けているらしいのは、さすが楓の子であり、妙子の弟である、と言うべきか。  妙子が、テーブル脇に置いてある、八王子の鞄に気が付いた。 「今日はどの教科?」 「・・・英語」  八王子は現実に戻された。
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