終章

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 八王子が妙子の家へ来たのは、暇な夏休みを甥っ子と遊んで過ごすためではない。夏休みの課題を、妙子に見てもらうためなのである。  就職組といえど、卒業まで遊ばせてくれるわけではない。きっちりたっぷり課題が出ており、夏休み明けには、課題に沿ったテストもある。正直、八王子ひとりでは進まない。  ミルクを温め終えた妙子に、八王子は海人を渡した。妙子は慣れた手つきで、海人にミルクをあげ始める。 「勉強、始めていいよ。わからないところが出てきたら、声かけて」 「妙子は?」 「八王子の面倒をみながら、自分の勉強ができるとでも?」 「う」 「いいのよ。八王子の勉強をみてると、それがいい受験勉強になるから」  妙子は澄まして言った。  妙子は当然、進学組であった。国立文系クラス。大学受験を目指す高校3年生の夏は、基礎固めとして1~2年で習った単元を徹底的に復習しておく時期なのだそうで、八王子が持ち込む課題は、確かに1~2年の範囲だった。 「それなら、まあいっか」  八王子はノートを広げた。 「そういえば、進路の先生が嘆いてたよ。妙子ならもっと上の大学を目指せるのにって」 「そう」 「上、目指さないの?」  妙子が、海人にミルクを上げながら、八王子を一瞥した。そこに意地の悪そうな笑みが浮かんでいるのに気づいて、八王子はぎくりとした。 「上を目指してもいいんだけど」  妙子がゆっくり続けた。 「上の大学に合格したら、この家からは通えないからひとり暮らしすることになるのよね。勉強も忙しいだろうけど、仕送りに頼ってばかりもいられないから、生活費の足しにバイトもするでしょう。そうそう。サークル活動なんかも楽しそうだし、やっぱり大学生らしくあちこち遊びに出かけるでしょうね。当然、こっちに帰ってくるのは、盆暮れぐらいかしら。八王子に構ってる暇も、無いわね」 「上、目指さなくていいです」  八王子は真顔で返していた。  そんな反応は予想通りだった妙子は、ふふん、と笑う。 「ま、八王子と遊ぶ暇については、どうでもいいんだけど」 「どうでもいいんだ」 「どうでもいいわね」  ダメ押し。八王子は英語の問題集を開いたまま、がっくりする。  そこまでやって、ようやく妙子の声が穏やかになった。 「この家を、まだ出たくないのが本音。家族の時間を味わいたいの。父の大学なら、興味のある学科があるし、ここからも通えるから、私としてはこれ以上ない好条件。確固たる志望動機よ」 「・・・なるほど」 「学校としては、入学実績を作りたいんでしょうけど」 「そういうもの?」 「さあね」  八王子はチラリと妙子を見た。海人がミルクを飲み干そうとしているのを、優しく見守っている。  八王子は、まあいっか、と思った。  妙子がに居て、今まで見たことなかった穏やかな顔をしているのが、何とも言えず嬉しい。  それだけで嬉しいのだ。 「八王子」  妙子に呼ばれた。 「手、止まってる。終わらないよ」  ミルクを与えたままで、声だけで注意をしてくる妙子に、八王子は苦笑した。 「はーい」  八王子は素直に英語の問題集に取りかかった。   ☆  ☆  ☆
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