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教会の祭壇前のベンチに、夏澄が座っていた。涼し気なノースリーブのトップスに、柔らかな素材のスカート姿。夏澄には珍しくフェミニンな印象のコーディネイトだ。
教会の中は風通しがよく、夕暮れ時は十分涼しい。
だが、八王子は背中に汗が流れるのを止められなかった。
夏澄は威圧的な態度で、目の前に立つ八王子を睨むように見上げている。
八王子はますます縮こまった。
「えっとだから、俺が知りたいとかではなく、姉ちゃんが知りたがっているというか、でして」
しどろもどろに八王子は言った。
夏澄の顎がくいっと上がった。
「ほー。なら楓ちゃんが来ればいい。電話でもいいでしょう。番号は交換してるもの」
「いや、それは俺も言ったんですけど・・・でも、俺もちょっと知りたいというか」
「イ、ヤ、よ。そんな趣味ない」
「趣味なんですか?」
夏澄がぎろりと八王子を見た。
「グランと結婚する理由なんて、なんだっていいじゃない。餌付けされたことにしておけばいい」
「確かにグランさんのご飯、美味しいですよね」
つい納得して八王子が頷いた。
「本気に取られるとムカつくわね」
むくれる夏澄を、八王子は首に手をやりながら苦笑して眺めた。夏澄も照れているのだろう。
グランと夏澄が結婚することになったと教えてくれたのは、2週間ほど前だった。二人の間ではもっと前に決まっていたことらしい。だが、八王子や妙子たちが楓の出産や赤ん坊の世話などバタバタしているのを見ていたら、つい言いそびれてしまった、とグランが申し訳なさそうに言っていた。
八王子は、かなり驚いた。いつの間にそんな仲になっていたのか、まったく気づいていなかった。恋愛ごとはまだまだ疎いのである。
妙子のほうは、うすうす気づいていたらしい。驚くどころか、むしろようやく、といった表情を浮かべ、二人を祝福していた。
そして楓はといえば、産後の疲れを吹き飛ばす潤い話、といった勢いで、馴れ初めやらを根掘り葉掘り聞いてこい、と八王子に命じたわけである。八王子を使ったのは、すぐに報告しなかった夏澄へのちょっとした嫌がらせらしい。女子、恐るべし、である。巻き込まれた八王子には、とんだ災難であるが。
八王子は今日のところは諦めることにし、夏澄の隣りに座った。
なにはともあれ、グランと夏澄の結婚は喜ばしい。でも、と思うことがあり、ちょっと口をつぐんだ。
「おーちゃんのほうこそ、妙子とは順調なわけ?」
「え?」
八王子は何のことかわからず、夏澄を見た。夏澄はそんな様子の八王子に驚いた。
「は?なに、付き合ってんでしょ?」
八王子が目を大きく見開いて首を激しく振った。
「まさか、まさか、まさか。そんなわけないですっ」
「はあ?付き合ってないの?」
「ないですっ!!!」
「バカ?」
「ええー???」
八王子が全否定する様子に、夏澄は嘘ではないと悟った。足を組みなおし、動揺しまくっている八王子を見た。
八王子は憮然とした。
「だって夏澄さん、俺は妙子が好きだけど、妙子は俺を好きなわけじゃないもん」
「・・・おーちゃんはそう思ってんの?」
「うん」
八王子は迷いなく頷いた。夏澄がため息をついた。
(こりゃ妙子も苦労するわ)
思わず妙子に同情してしまう。八王子の鈍感さも、ここまでくると罪である。
事務所へ通じるドアが開いた。妙子とグランが現れた。
「八王子、終わった?」
妙子が訊いたのは、当然、楓の宿題の件である。
八王子は、軽く首を振り、助けを求めるように妙子を見た。妙子は鼻で笑っただけだった。
夏澄が立ち上がった。
「野菜そろったの?」
「ええ。でも重たくなったので、持って帰るのが大変かもしれません」
グランが応える。
「私のバイクに乗せてく?」
「大丈夫でしょ、ねえ、八王子」
妙子が八王子を見た。にっこり笑っているが、その笑顔は有無を言わせない時の顔だ。
「妙子が言うなら、大丈夫なんじゃないかな」
「おーちゃんってほんと、女の尻に敷かれるタイプよね」
夏澄が辛辣に言う。
「そうなのかな」
八王子としてはピンとこない。真面目に首を傾げた。
グランが苦笑している。
八王子も野菜を引き取るために立ち上がった。
八王子とグランが先に行く。
夏澄は妙子の隣りに立った。
「おーちゃんと付き合ってないんだって?」
妙子が苦笑した。
「そうなんです。八王子曰く、私が八王子を好きになるのはあり得ないことらしいです」
「なあにそれ?」
「さあ。八王子の謎の思い込みですかね。しかも、私はグランさんのことが好きだと思ってるんですよね」
「好きでしょ?」
「好きですよ」
「言うわね」
「本当のことですから。ただし、色恋ではなく、人柄が、ですけど」
「いいの?」
妙子が夏澄を見た。夏澄も妙子を見た。夏澄の目には、ちょっと心配そうな色が浮かんでいる。なんだかんだで面倒見がいいのである。
妙子はニヤリと笑った。
「のんびり訂正していきます。もう、時間はたっぷりありますから」
そう言った妙子の顔は、なんだか幸せそうに見えた。
妙子の時間は、"あの時"で終わらなかった。この先も続くのだ。
夏澄にもそのことが伝わったのだろう。安心したように、ニヤリと笑い返した。
「のんびりやり過ぎて、他の女に取られないようにね。おーちゃんの場合、押しの強い女が来たらあれよあれよで流されるわよ」
まるで見たことがあるかのように、確信を込めて言う。妙子は笑った。
「気をつけます」
妙子の背中を、夏澄は軽く叩いて応援した。
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