終章

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 妙子と八王子は並んで歩いていた。日野原家に野菜を持って帰る途中である。  八王子は、野菜の入った段ボールを持つ手の位置を、時折変えている。やはり重たいのだろう。  妙子は、グランと夏澄の姿を思い返した。見送りのために、教会の門の前で並んだ姿だ。二人の表情はとても穏やかで落ち着いていた。グランはもともと落ち着いている印象だったが、今はそれに生き生きとしたものが感じられる。一方夏澄のほうは、尖ったところが丸くなった感じだ。落ち着ける場所を見つけた、といったところだろうか。二人とも、両親や親せきがいないらしいので、結婚式自体は、友人知人を呼んでこじんまりと済ませるとのことだった。 (グランさんが幸せになるのは、嬉しい)  妙子は思った。それに、夏澄が相手なら安心だ。  そう思っていると、八王子の視線に気づいた。そういえば先ほどから、チラチラと伺うように妙子を見ている。 「なに?」  いつもの調子で妙子は聞いた。  八王子は目を泳がせる。すぐに言わなそうな雰囲気なので、妙子は気にしないことにした。  しばらく歩くと、ようやく八王子が口を開いた。 「あのさ妙子」 「ん」 「えっと、夏澄さんと、何話してたの?」 「いつのこと?」 「えーっと、野菜取りに、事務所に戻るとき。後ろでなんか話してたでしょ?」  妙子は少し思い出すように考え、そして「ああ」と頷いた。何を気にすることがあるのだろうか、と思ったが、どこか気遣うような視線を向けてくる八王子の目を見て、思い当たった。  八王子は、妙子がグランのことを好きだっと思っているわけだから、夏澄は恋敵で、夏澄とグランが結婚するということは、妙子は夏澄に負けたということになり、二人並んで話していれば、マウント合戦というか一触即発的なことを思ったのかもしれない、と。  妙子は少々げんなりした。単純な八王子が心配するのも無理はないのかもしれない。  とはいえ、八王子はそもそも前提を間違えているのだ。  妙子は、肩にかけたカバンを持ち替えた。段ボールに入りきらなかった野菜が入っている。 「私と夏澄さんが修羅場になっているとでも思った?」  ストレートに言う。  八王子が慌てたような顔をした。図星なのだろう。妙子は呆れて大きく息を吐いた。  八王子は弁解するように言った。 「いや、その、はい、まあ、だって、やっぱり、気まずかったりするのかな、とか、あるかな、みたいな」  しどろもどろな八王子に、妙子はとびっきり呆れた、という表情を返した。  八王子がしょぼんとした顔になる。 「・・・だって妙子、グランさんのこと好きでしょう?」  若干、言いたくなさそうな響きのある、小さな声だった。  妙子は否定しようする言葉を飲み込んだ。今言っても、八王子には届かない。それがわかるから、この勘違いをどう解消すればいいのか、考えあぐねているのだ。  妙子は小さく息を吐き、前を向いた。  夕暮れが近づいている。  勘違いしているなら、勝手に勘違いしていていい。でも、これだけは伝えておこう。 「好きよ」 「え」  妙子はにっこりと八王子に向かってほほ笑んだ。八王子が息をのむのが分かった。  だが。 「グランさんのこと」 「あ」  明らかに八王子が動揺したようだった。そうですよねーという若干の悲哀がこもる。  妙子は構わず続けた。 「八王子だって、夏澄さんのこと好きでしょ?」  いきなり言われて八王子がきょとんとする。 「そりゃまあ」 「好きにもいろいろあると思わない?」 「?」  妙子は、ますますきょとんとする八王子に笑みを向けた。  少女のことを思い出す。物心つく前からずっと一緒に生きてきたカノジョ。青年のことが好きで、間違えてしまった。  青年もカノジョのことを好きだったけれど、伝え方が足りなかった。  母のるいは、茂のことを死んでもなお、幸せであるよう包むように好いていた。  茂もそれに応えるよう、楓と出会い、楓を好きになり、幸せを大事に育てている。  グランと夏澄は、静かに距離を縮め、お互いの好意を摺り寄せてきた。  アレでさえ、カノジョへの好きという想いが執着になっただけだ。  様々な形の“好き”がある。  日野原家の門扉が見えてきた。確か今日は、茂も早く帰ると言っていたはずだ。起きだした海人をあやしているかもしれない。その姿を眺めながら、楓が夕飯の準備を始めたかもしれない。  どこにでもありそうな、家族の光景が繰り広げられているだろう。  妙子は、家の前に着くと足を止めた。後ろにいた八王子を振り返った。  八王子が少し戸惑ったように見返してきた。  八王子は、真っすぐに、感じたままに妙子に好きだと伝えてくる。その真っすぐさは、妙子に心地よさを与えてくれる。  妙子は思った。  本当は、初めて入学式で見かけたときからわかっていたのだ。八王子を好きになるだろうと。でも、自分にはタイムリミットがあったから、目を瞑った。  でももう気にしなくていい。  照れくさくなったのか、八王子のほうが先に視線をそらせた。  妙子は軽く目を閉じ、ゆっくり開いた。  破顔した八王子が目の前にいた。  この笑顔がそばにあるなら、大丈夫。  この楽園で、私は、生きる。  妙子は八王子と、家の中へ入った。 end.
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