新幹線

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新幹線

 姫路駅で降りたのは初めてだった。  といっても、駅の外には行かず、そのまま新幹線のホームへ向かう。  街中に見える姫路城はテレビで見る”江戸城”だったが、大修理を終えたばかりで本当に真っ白だ。白過ぎだよな、と軽口を叩く楓に続いて、まずは最初にのぞみが通過する下り方面のホームへ上がった。 「…入場券って、初めて買ったかも」 「まあ、そうだよな」  エキナカがある駅はともかく、なんのために必要なんかな、と首を捻っていると、「どうしてもホームで見送りたいひととか、いたんだろ」と楓が言う。わざわざホームで別れを惜しむひと、か… とぼんやりと思いを馳せていると、列車が通過する旨のアナウンスが流れた。  ホームから神戸方面を覗き込むと、遠くの方でライトが光った気がした。時速300kmということは、分速5kmで、つまり10秒ではっぴゃく…   なんだって?   10秒で800メートル? 「来るぞ」  楓の声に続いて、空気が震え始めるのが解った。  音、というより何か非常に重いものが迫ってくるような、引っぱられるような、沈むような感覚。  引力の源が、近付いて来る。純白の、長い蛇のような…  ぎらり、と、大蛇の双眸が瞬いた。  ばん! と風が顔面に当たる。  身体が傾ぐほどの風圧。  足下が揺れている。いやホーム全体が。  ごおっ、という重低音が聞こえたと思ったが、消えてしまう。轟音は空間いっぱいに広がって、かえって無音になった。  呼吸が、止まる。 「はっ」  目を、閉じずに居るので精一杯だった。  全長400mはある白と青の車体は、ものの数秒で駆け抜けた。  はやい、と言いかけて止める。それでは足りない。すごい、とか、やばい、とかではきっと言い表せない。  なるほど、これが体感する、か…  どうしよう、と思って隣を向けば、同時に楓もこちらを振り向く。目が合う。笑う。 「これ、が」  口を開いてはみたが、次の単語は見付からず、そのまま固まる穂高に、楓はもう一度深く笑んだ。 「そう。これが夢の超特急」 「ちょうとっきゅう…」 「すげーよな、ほんと」  うんうんと首を何度も縦に振って、穂高は白い大蛇が消えていった方角を追いかけるように眺めた。すると、またアナウンスが入った。今度は逆、上りの新幹線がやって来る。  あ、そうだ写真、と思ったが既に遅し。またいくらもしないうちに、空気が凝縮して、弾けた。 「すごい」 「すごいな」  そんな短い感嘆を二人、幾度も繰り返した。紛れもないリアル、“速さ”と”強さ”という圧倒的な力に目が眩む。白球の二倍の速さで駆け抜けて行く、鋼鉄の蛇。  息が、出来ないくらいの。  …新しい世界が、  そのまま一時間近く、二人、夢中になって上り下りの新幹線を眺めた。  辺りがとっぷり暮れてから我に返って、大慌てで京都へ戻った。穂高としては姫路から寮に戻った方が早いが、少しでも長く彼と話したくて、そのまま快速に乗っていた。別の新幹線の特徴や路線について、愉快そうに語る楓に相槌を打ちつつ、穂高は足下が揺れているような錯覚に陥っていた。  まだ、心と躯がくらくらする。  それから、穂高は休みの度に京都に戻り、楓に逢った。  まず新幹線とは対極にある路面電車を体感すべしと、嵐電に乗って嵐山に行った。観光客でごった返す渡月橋を尻目に、対岸の山の斜面に登って渓谷を眺めた。  また別の日、楓の電力と琵琶湖疎水の講義を聞きつつ、蹴上のインクラインから発電所、南禅寺から哲学の道を歩いた。  あとはケーブルカーに乗れるからと天橋立まで出掛けたら、なぜか砂州成立のメカニズムと天橋立ゆかりの和歌を覚える宿題が出た。  そうして楓の部屋で某テレビ番組を見て復習したり、図書館で洛中洛外図の比較をしたり。  すっかり耳に馴染んだ彼の声で、徐々に近付く距離に感じる互いの体温と、交わす視線の熱に、ちりちりと胸を引っ掻かれるような。  微かに触れあう手や肩先が、深くなればなるほどに離れがたく、意図して絡めた指先に力がこもれば、抗う術など何ひとつなく。  そうして、坂道を転げ落ちるようにふたり、恋をした。
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