さよなら またね。

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さよなら またね。

「行ってきます」そう言って、あたしは玄関を出る。でもマンションの階段を下りずに、手すりから四階下の地面を見下ろした。  あ、出てきた出てきた。  マンションの一階の出入り口から、紺のブレザーを着た男子学生が出てくる。いつも同じ時間に出てくる彼。  彼を見続けていると、どうしても顔がニヤけてしまう。女子高生のこんな姿を見られちゃいけないと思って、顔を元に戻そうとするけど、どうしてもまた、にへらとニヤけてくる。  彼は、あたしと同じ高校に通ってて、あたしの部活、演劇部の一つ上の先輩で、えっと、その……あたしの、好きな人なのです。どんな所が好きなのかは、分りません。ハンバーグが好きな人のように、カレーが好きな人と同じように、なんとなく。そう、ただなんとなく、先輩が好きなのです。    ……女子高生の乙女が、ハンバーグやカレーとかはどうかと思うなぁ。んー、じょしこーせー、じょしこーせー……。    うん。言い直します。小川を流れる水や、空を泳ぐ雲のように、なんとなく。そう、ただなんとなく、先輩が好きなのです。  そんな好きな先輩が、見えなくなるまで見送ってから、あたしは学校へ向かった。 ♯♯♯  ギコギコとノコギリで木を切る音が、学校の廊下に響き渡る。  6月の暑さ。外で降ってる雨によるジメジメ。木を切るのに、制服はさすがにダメだろう、というので着替えた体操服は、体に張り付きとても気持ち悪い。  なぜ、女子高生の乙女が木を切っているのかというと、これは、この高校の演劇部の大道具係としての伝統であり、運命なのです。でも、隣には憧れの先輩。彼が近くに居るから大丈夫っ!  ……とはいかず、しんどいものはしんどい。 「大丈夫か? ユーミン」  一通り切り終った先輩が、声をかけてくれた。 「大丈夫じゃないですよぅ、キリ先輩ぃ」なんて、あたしは情けない声をあげてしまった。 「ん、じゃあ一休みするか」  先輩が言い、あたしたちは廊下の端に二人並んで座った。  さっきから言っている、ユーミン、キリは当然本名じゃない。  キリ先輩は桐江(きりえ)(ゆう)っていう名前がある。 あたしもどこかの妖精みたいな名前ではなく、武内(たけうち)由美香(ゆみか)って名前がある。  要するに呼び合いやすいための、あだ名。これも、この高校の演劇部の伝統であり、運命。 「ボーッとしてどうした?」  キリ先輩は、心配そうに私の顔を覗き込み、目を合わせた。  か、近、かっっっ……。 「だ、大丈夫でふょっ! アハ、アハハハハ」  突然だったから、噛んじゃったよ……。  不思議そうな顔をして、キリ先輩は座っていた場所に戻って行く。  ……話す事が見つからない。  二人の間に沈黙が流れる。いや、おがくずのついたジャージ姿で、男女が学校の廊下で座ってるだけだから、ムードも何もないんだけど……それでも……。  さっきよりも、勢いの強まった雨の音が聞こえる。  そういえば、近くの教室で、この人の衣装は、この色で。とか、いーえ、ピンク系のほうですー。とか議論をぶつけ合っていた他の部員の声が今は聞こえない。  速くなる心臓の鼓動の音。これって、隣に聞こえないよね?  廊下の壁や床のコンクリートが、ヒンヤリと体温を奪ってゆく。それでも、汗はひかない。  話すことが思いつかない……沈黙が辛い。できれば、先輩から話してほしいな。そんなことを考えながらも、こんな時間も良いなあ。なんて思ってる自分もいる。  ……色々考えすぎて、何が何だか分らなくなってきた。  …………もうダメ。何か話そう。何が良いかな? なんでも良いや。よしっ話す。話すぞっ! 「あ、あのぅ」「あのさ」  さっきの気合いとは裏腹に、あたしが出した小さな声と同時に、沈黙が辛かったらしい先輩も声を出した。 「ど、どうぞ」「どうぞ」  これも同時。そこから、譲り合いの戦いが始まった。あたしが「先輩からどうぞ」と言えば、先輩は「いやいや、ユーミンからどうぞ」と言う。たぶん、先輩も本当は話すことがないんだろう。  二人ともムキになって、言い合いみたいになってきた。でも、こんな言いあいもたまには良いなあ。なんて思ってる、あたしもいる。  ……なんでも良いのか、あたし? 「こら、そこの二人! サボらないっ」  雨の音を掻き消すくらいの、女の人の大きな声がして、あたしたち二人は、同時にビクッと肩を揺らした。  演劇部の中でこんなことができるのは、あたしは一人しか知らない。 「ナッツ先輩?」  疑問形で振り返ると、予想通りの人がこっちに向かって歩いてきていた。 「他に誰がいるってのよ。それに、そんなに小さな声じゃ、舞台に立てないわよ」  言いながら近づいてくるにつれて、威圧感が増してくる。だってナッツ先輩、女子の中では、身長が高いんだもん。  そんなことを思っていると、ナッツ先輩は少し呆れたような顔をしていた。 「ほら、ラヴラヴしてないで、早く大道具作ってよ」 「ら、ラヴラヴなんて、してないですよっ!!!」  いつもは出さないような大きな声で、言い返してしまった。それを見て、ナッツ先輩は少し驚いていた。キリ先輩は何もなかったかのように、ニコニコしてるけど。ラヴラヴなんて……そりゃ、少しは良いなあ、なんて思ったけどさっ。 「と、とりあえずユーミンは、もっとがんばってよね」  また、呆れたような顔に戻り、言われてしまった。 「ちょっと、待てよ」  それに対して、すかさずキリ先輩がフォローしようとしてくれる。先輩。ありがとうございます。 「これ以上頑張ったら、ユーミンに筋肉がついちゃうし……死んじゃうだろ」  キリ先輩は、これ以上ないってくらいのキメ顔で言った。  へ? 死?……何言ってんですか? 先輩?  キリ先輩の言葉を聞いて、当然のようにナッツ先輩は呆れ顔のまま。 「なんで、大道具係やってんの?」   似たような質問を、部活に入って一番初め、係を決める時にも聞かれたっけ。  その時は、「祐先輩が好きだからですっ!!!」なんて、胸を張って言えるはずもなく、濁したような答えを言った覚えがある。 「はぁ、じゃあ、あなたが倍がんばりなさい」  ナッツ先輩はキリ先輩に向かって、ビシッと指をさし言った。 さすが演劇部。様になってる。 「おまっ、ひでーなー」  キリ先輩が冗談っぽく笑いながら言う。それに対し、ナッツ先輩も似たような笑い方をした。  この人はナッツ先輩。本名は(みぎわ) 夏季(なつき)。身長は平均的な女子より高くてカッコイイ。普通より一ヵ月遅れで入部したあたしを、特に気にかけてくれている優しい先輩で、衣装係。メインは役者だけど。  ……あと、キリ先輩と付き合ってる人。部内恋愛は一応禁止だから、隠してるみたいだけど、バレバレ。みんな知ってる。  あたしは、大道具係になってから知ったんだけど。 「……もう良いっ! 先生が衣裳係以外は今日は解散って言ってるから、さっさと帰りなさい。それだけっ」  怒って行っちゃった。さっきと言ってること違うけど、良いのかな?     そんなナッツ先輩を無視するかのように、キリ先輩は木材や工具を片付けだした。 「良いんですか?」  あたしも片付けながら尋ねると、先輩は笑いながら答えた。 「大丈夫大丈夫。いつもの事だし、明日には機嫌直ってるだろうしさ」  ……キリ先輩はナッツ先輩の事を分かってるんだ。良いなあ。 ♯♯♯ 「どうかしたんですか?」    帰るために制服に着替えて、校舎の出入り口に向かうと、止みそうにない雨を見つめるキリ先輩を見つけたので、声をかけてしまった。 「傘忘れちゃってさ、どうしようかなって」  あたしは傘を持っている。しかも少し大きめの。  あたしの家は、先輩と同じマンション。 「まあ、ナッツを、いや、ナツキを待って一緒に帰ればいいんだけどさ」  言え! 言うんだ、あたし! 言っちゃえよっ!!! 「あ、あたし、傘、おっきいの持ってるんで、い、いいい一緒、に、帰りませんか?」  言えた? 言ったんだよね? 言っちゃったよ。  それを聞くと先輩は、自分の家はちょっと遠いけど大丈夫か? とか、あっちの方だけど良いのか? とか尋ねたみたいだけど、あたしの頭には何も入らず、ただ縦に振り続けていた。  あたしの傘が大きいとはいえ、二人で入るためには作られていなくて、遠慮がちに傘の中に入っている先輩の左肩は濡れているだろうし、当然あたしの右肩も濡れている。でも、それすらも気にならないくらい、あたしはドキドキしていた。  一つの傘に二人。黙々と歩く。  できれば先輩から話してほしいんだけど、やっぱり話してくれない。  もしかして、わたしと話すの嫌なのかな……。  雨の中に居ると心も沈んで、そんな事を思ってしまう。 「……ごめんな」  色んなことを考えていると、先輩はボソッとつぶやいた。 「おれ、自分から話すの苦手なんだ。だからさ、おれと一緒に帰っても楽しくないだろうけど……」 「そんなことないですよっ!」  と目一杯否定すると、先輩の方が驚いていた。 「……まあ、そういうことだからさ、聞きたいことがあったら、答えるから」  聞きたいこと?  えっと……明日は晴れなんですか、とか? いやいや、これはダメでしょ。じゃあ、今日の数学で、分らないところが……これもダメっ。んーあ、ひとつだけ聞きたいことが……ダメだよね、こんなこと聞いちゃあ。 「あの、ですね、ひとつだけ……」   うつむきながら、絞り出すように声を出した。言っちゃダメ。でも、聞きたい。  先輩が次の言葉を待って、こっちを見ているのがわかる。  あたしの唇が、震えているのがわかる。 「……なんで、ナツキ先輩と付き合ってるんですか?」  言っちゃった。ごめんなさい、先輩。  先輩は、黙って答えない。何も言わず、ただ歩いている。もしかしたら、付き合っているのを、なぜ知っているのか考えているのかもしれない。むしろ、それを考えていてほしい。 「……楽なんだ」  え? 「ナツキと居るとさ、何だかわからないけど、楽なんだ。どこが好きなのかって考えたこともあるけど、分らなかった。顔が良いとか、性格が良いとか、理由をつけようと思えば出来るんだけど、そうじゃないんだ。……どう言えばいいんだ? えっと……そう、なんとなく。おれはなんとなくナツキが好き……なんだと思う」  そっか、一緒なんだ。あたしの、先輩が好きな理由と。  かなわないなぁ。でも、顔の事とか、身長の事言われるよりは、よっぽど良かった。 「じゃ、ナツキ先輩を泣かせちゃダメですよ。あたしもナツキ先輩好きですから」  あたしは、先輩の方を向き、できるだけ元気よく、できるだけ明るく、努力して言った。  それに対して、先輩は「おう」と笑顔で答えた。 「あ、おれの家ここなんだ」  いつの間にこんなに歩いたのか、気付くと先輩の家である、マンションの前に着いていた。あたしの家でもあるんだけどね。  いつも通っている出入り口も、先輩と一緒だと、なんだか新鮮に思える。 出入り口を抜けたところで、先輩が言う。 「服、乾かしていったら?」  そ、それって、せ、先輩の家にお誘い? 「い、いえっ、いいですよっ!」   だ、だだだだ、ダメだよっ!……ね? 「あたしも、家ココなんで」  あたしの家がこのマンションの四階だと伝えると、当然のように先輩は驚く。 「そっか、じゃ、いつでもどっちかの家で部活の打ち合わせできるな」  そう笑いながら先輩は言う。でも、あたしはドキドキしながら、嬉しいような、恥ずかしいような、叫び出したいような気持ちで一杯だった。 「せ、先輩っ! そろそろ帰らないと、風邪ひいたら大変ですよ」  あたしが言うと、思い出したかのような顔をし、先輩は帰る素振りを見せる。 「そうだった! じゃ、また明日なっ」  走って行ってしまった。忙しい人だなあ。  置いてかれたような、あたしは先輩の姿が見えなくなってから「また明日」とつぶやき、階段へと向かった。   さっき、帰るのを忘れてたのって、あたしと居るのが楽だったからかな? ……そうだったら良いなあ。  先輩、やっぱり、あたしね、そんなに潔くないみたい。  優柔不断っていうのかな? 諦められない。明日からも、思い続けさせてください。    ダメですか? わかってますよ。  じゃあ、また明日。先輩。
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