真白に魅了されし者

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 夜半、彼は合羽を羽織り懐中電灯を片手に夕方のあの場所へ向かった。  近場を照らしては葉をかき分け、ざくりざくりと進んでいき、腐葉土のぬかった感触でその場に辿り着いたことを悟る。  得体の知れない期待を胸に照らした先は、月下美人が花開いていく瞬間であった。  ゆっくりとゆっくりと大きく膨らんでいた蕾が開いていき、光を放つような真白さが広がっていく。  彼は月下美人を照らしていた懐中電灯の明かりを消した。些細な灯りは必要としなくなっていた。  まるで頰を添えるように至近距離へと近付く。  開ききったかの花は真っ白な大輪として、月明かりのない真っ暗な中、雨に打たれながらも輝くように咲き誇った。  空が白む頃には、この神秘的な魅力を放つ大輪が萎んでしまうことを彼は知っていた。  儚く短い命の月下美人はやはりかの人の崇高さと似ている。  幻想故に崇高であるのか、崇高であるが為に幻想を醸すのか、只管に美しく目映い。  只管に美しい眩さに耐え、恍惚とした面持で真っ白な大輪を目に映し続けていると、何とも言い難い快楽に誘われはじめた。  それは完璧な美として彼の心を揺さぶり、全身の感覚を一点に奪われたような心地であった。  彼は夜を仰ぐ大輪を覗き込み、見惚れる儘に佇む。  拒絶することのない美しい大輪の傍で、目を見開き、機微を一瞬も逃すまいと見つめ続けた。  しとしと注ぐ雨粒が、時々真っ白な花びらへ涙のように伝う。雨粒の重みと俄かな風で花びらがそよぐ。  華やかであるが為に儚さも伴うこの美し過ぎる真っ白さはしなやかでもあり、やはりかの人と似ている。  かの人の上等な白いワンピースを脳裏に思い浮かべた。  この花びらとどちらが気品溢れたものであろうか。  それくらいにかの真っ白なワンピースも目前で咲き誇る月下美人の真っ白な花びらも滑らかな触り心地を覚えるが、その感触を彼は知らない。  あの時も今も変わらない。  かの人に触れることを恐れ、かの花に触れることは許されるものではない、そんな感覚が胸を占めていた。
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