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9/10(火)
時間とは、人それぞれに流れている。
例えば今俺の部屋の時計は十時を指しているが、海を越えた先では十二時を指している時計が正常だし、さらにその先では日付すら先日のままなところもあるだろう。
また、近くにいようともその時その時で各々の思う時間が違うこともある。例えば同じシェアハウスに住んでいようとも、朝の七時に出勤する奴もいれば、十時頃からゆっくり仕事に取り掛かる奴もいる。
時間なんて、そんな不安定なものだ。
タイマーが動き始める。その瞬間、俺の手は素早くキーボードを叩く。一回目のエンター。画面の中では小さな勇者が魔物を真っ二つにして進む。また魔物。二回目のエンターを叩いてから、俺は自分が呼吸を止めていたことに気付く。なんせ、これは三度目の挑戦だ。流石にそろそろ仕留めないとクリアできる気がしない。嫌な汗が額を伝う。落ち着くために一度パソコン横に置いた炭酸水を飲み干し、最後の敵……炎を纏った巨大な魔物を睨みつける。キーボードを叩き、エンター。魔物の炎が変色する。もう一度キーボードに指を走らせ、エンターを押す。魔物が一層巨大化する。もう少し。最後、と小さく呟いた俺の指がキーボードに吸い寄せられるように動く。カチリとエンターが小さく囁いた。
「GAME CLEAR!」
電子音がそう告げる。真っ二つになって消えていく魔物。勇者は魔物の背後にあった巨大な宝石を抱え、それを持って街へ帰る。街の中央に建つ城の神殿へ安置される宝石。そのまま画面は暗転し、ゲームの画面は消えた。
パソコンのファイル内を調べても、先ほどのゲームがあった痕跡は完璧に無くなっている。あのゲームは、俺の記憶の中だけに残った。だから、誰も俺が今ゲームをクリアしたことを永遠に証明できない。
「……最高じゃないか」
思わず笑みがこぼれる。と、同時に腹が勢いよく音を立てて鳴った。そう言えば今日は朝食も食べずにゲームに集中していたことに気付く。俺は座椅子から立ち上がって伸びをすると、部屋の戸を開けた。
「あれ、ムツキ君おはよう」
「なんだ、レヴィも出かけるのか?」
玄関に行くと丁度シェアハウスの住人の一人、レヴィと会う。いつもフードをかぶって出かけるため、近所では犯罪者予備軍扱いをされている彼だが、彼の顔を見れば納得ができる。切れ長の目に影を落とす長い睫毛、フードから少し顔を覗かせる髪に抱き着けばすぐ折れてしまいそうなほど華奢な身体。彼は、あまりにも美しすぎた。人間に興味が無い、むしろ嫌いな俺だって少し心が揺らぎかけたくらいに。元々どこぞの宗教団体の教祖的な立ち位置にいたらしいが、それも少し納得できる。
「ちょっと早めにお昼済ませちゃおうかなって。ムツキ君も?」
「いや、俺は遅めの朝飯」
そんな当たり障りのない会話をしつつ外に出る。行くのは決まって近所のコンビニ。レジにはいつものやる気のない店員。元気はつらつな所謂陽キャにアレルギー反応を示す俺にとっては最高の店だ。
「あ、アイス買ってもいい?」
「子供か。買うなら最後に選べよ」
わかってるよ、と頬を膨らませるレヴィ。こいつは一度アイスを選んでから昼飯を選んで帰ってきた前科を持つ。当然アイスはべちゃべちゃに溶けていた。その時の顔を思い出す度、奴には申し訳ないがちょっと笑いそうになる。
「サンドイッチにフルーツってどうなんだ?」
「意外と合うよ。ただご飯って言うよりかはデザートって感じするけど」
と言ってもフルーツサンドは売っていない。ちょうど在庫切れのようだ。鮮やかなポップが無駄に虚しい。俺は卵サンドとツナサンドをレヴィの持つ籠に入れる。中に既に入っているとんこつラーメンに押しつぶされない位置にサンドイッチを配置し、そう言えばと炭酸水を一本追加する。本当は三本くらいまとめて買いたいが、レヴィにそんな重さを持てる筋肉があるとは思えないし、俺は持てない。やはりどこぞの変態眼鏡公務員、もといロトがいるときにまとめて買う必要がある。奴なら2Lくらいなら持てるし、重みに唸っている顔を見ても罪悪感どころか優越感しか感じない。
「しゃっしたー」
やる気のない挨拶を背に帰路につく。家まで待てず、歩きながら俺はサンドイッチを頬張った。
「行儀悪いなぁ」
そう苦笑するレヴィだが、ちゃっかり俺が食べやすいようにレジ袋を持ってくれている。俺が家まで待てずに食い始めるのはいつものことだから、多分慣れたのだろう。
家に着くころには最後の一口は既に胃袋へ落ちていた。レヴィがリビングのテレビを付けると、ニュースキャスターが神妙な顔で遠い国のニュースを速報で伝えていた。
「大統領の個人パソコンがクラッキング、個人コレクションの音声が式典で流れて大混雑だって。何コレクションしてたんだろうね」
「大方AVの音声でも流れたんだろ」
「まさか」
「そのまさかかもしれんぞ?」
そんな軽口をたたきつつ、レヴィは昼飯を、俺は朝食後のデザートを堪能する。お互いが食べ終えると、何を言うとでもなく各々の部屋へと戻った。
パソコンを開き、動画を開く。どこかの国の、防犯カメラの映像。再生。厳かな式典。大統領のスピーチが始まる頃なのだろう、中央のステージに立つ男が笑顔で手を振る。拍手が止んだその瞬間、広場には女の声、しかも喘ぎ声が響き渡った。知らない国の言語で騒ぐ人たち。青い顔で棒立ちになる大統領。全てが滑稽で、俺は腹を抱えて笑った。
あの大統領はおそらく自殺でもするだろう。それを想像するだけでまた笑いがこみあげてくる。俺は他のやつらのように自ら手を下さない。それは面倒くさい。だから、こうやって画面の前に座って、電子の世界で暴れまわる。それが誰かの死を招くだとか、知ったこっちゃない。コンビニに行く前にやっていたゲームは、いつものクラッキングに飽きたからちょっとゲーム性を持たせてみただけだがなかなかに退屈ではなかった。さて今度は何をしようか、と俺はパソコンを眺めながら考え始めた。
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