9/11(水)

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9/11(水)

 万物の尺度は人間である。私の好きな言葉だ。すべての物の良し悪しを決めるのはその人であって、万人に共通のものなんて存在しない。そんな意味の言葉だった気がする。  例えば殺人は悪いことである、と誰もが思っているだろう。しかし、世界が一人の暴君に支配され全員が奴隷のようにこき使われている世界で、もし誰かが暴君を殺せば、彼は悪人と呼ばれるだろうか? 答えはおそらく、否である。歴史書には彼の名と共に革命の文字が刻まれるはずだ。やったことは、ただの殺人だというのに。  このように、時間や場所、場合によって万物の判断は変化する。誰もが悪いと思う行為は、きっと誰かの正しい行為なのだろう。  そんなことを考えながらハンバーガーにかぶりつく。二枚の脂ぎった肉に二枚のチーズが意地汚く絡みつき、一口で口の中の粘度が増す。次いで炭酸水を吸い上げる。細かな泡が、少しの痛みを伴った液体が、私の口内の脂を洗い流して喉に落ちていく。思わずため息が出る。これだから、ファストフードはやめられない。  店内に目を走らせる。今日もこの店は空いている。これならゆっくりハンバーガーを楽しめそうだ、と思った矢先、入り口に見慣れた顔が見えた。軽く手を振るとあちらも私に気付いたのか、レジを指さしてから私の方を指さす。注文してから行く、という意味だろうか。私はとりあえず頷き、二口目以降のハンバーガーを堪能することにした。  半分ほど食べ終わった頃、目の前にトレーが置かれる。肉の代わりに野菜を使ったバーガー、サラダ、そしてお茶。彼らしくない女性向けのメニューが並ぶトレーに、私は思わず苦笑した。 「なんで笑うんだよ、レヴィ」 「ごめんごめん。だって、アング君らしくないんだもの」  一本にまとめた彼の金髪が不機嫌そうに揺れる。むすっとした顔でバーガーを包む紙を慣れない手つきでむく姿が、大食いの誰かさんに似ていて、私の口からまた笑みがこぼれた。 「アング君ってあんまりこういう店来ないの?」 「外食があんまりねぇからな。あと、店内で喧嘩になったら厄介だし」  ふーん、と応えて残りのハンバーガーを食べてしまう。彼がサラダを消費するスピードより、私がポテトを消費するスピードの方が圧倒的に遅いだろう。流石に待たせるのはなぁ、と思いながら脂の暴力を喉に流し続けた。 「……よく食えるよなぁ」 「ん?」  最後の一口を飲み込んだ私に、アング君がポロリと言葉を漏らした。 「だって今日付変わったばっかりだろ? 普通ならこの時間帯にそんな脂ぎったもん食えば太るぞ」  なんだそんなことか、と私は炭酸水を一口飲む。ポテトを消費するための分は、まだ残っていた。 「私は普通の人と午前午後が入れ替わっているからね。ムツキ君やグラットも同じだよ」 「あぁそうか。ムツキとグラトニーもそう言えばそうだったな」  私は子供の頃に色々あった結果、昼夜が見事に逆転している。似たような境遇にいたグラット──もとい、グラトニーも同じで、私たちは午後七時に起き、日付が変わる頃にお昼を食べ、そして午前十一時に床に入る。何故かムツキ君も同じような生活をしているらしく、昨日のようにたまに一緒に出掛けることもある。とは言っても、専ら出かけるのは24時間営業の店ばかりなのだが。 「レヴィってグラトニーのこと一人だけ違う名前で呼ぶよな。なんか理由あるのか?」 「昔はグラットって呼んでたからね。その癖かなぁ」 「でもレヴィ以外がその名前で呼ぶと怒るよな。なんでだ?」 「うーん……なんでだろうね?」  ポテトをちまちま消費しつつ、そんな他愛のない会話を続ける。私はお昼ご飯を、アング君は夜のおやつを。それぞれ消費し、消化する。アング君のあくびが増えてきた。急いで残りのポテトを飲み込み、炭酸水を飲み干す。そして二人で「ごちそうさま」と手を合わせると、ごみを捨てて店を出た。 「お」 「あ」  シェアハウスの前でまた見慣れた顔に会う。二人揃って間抜けな声を出す私たちを、疲れ切った顔のロト君はあきれ顔で見つめた。 「なんだお前ら、デートか?」 「まさか。お昼食べてたら会っただけだよ」  私の返答にロト君は「お昼ねぇ」と苦笑する。彼の手には炭酸水のペットボトルが四本も入ったビニール袋が握られていた。おそらく、ムツキ君におつかいでも頼まれたのだろう。しかも全て1.5L。よく持てるなぁ、と私は一人無駄に感心した。 「う~重すぎる。アング、手伝って。ロトお兄ちゃんの腕死んじゃう」 「俺はお前を兄と認めた覚えはない。一人で頑張れ」  ロト君の冗談をツンデレヒロインのような台詞で跳ねのけ、アング君は早々に家へ入っていった。私の腕が戦力にならないことを重々承知しているロト君は、ぶーぶーと文句を言いながら家にのそのそ入っていく。時計を見ると一時少し。ずるずるとペットボトルの袋を引きずるロト君を尻目に、私は自室の扉を開けた。 「さて、仕事を始めようか」  最初に目を引くのは大きな窯。次いで机の上に並ぶバラバラの人体が目を引くだろうか。ばらばらの人体は机の上だけでなく天井からも何個かぶら下がっている。最初にこの光景を見たのなら驚くだろうが、仮にも私はこの部屋の主。驚くどころか、むしろ安心感さえ感じている。 「あとは関節を組み立てれば終わり、かな」  そう呟いて机の上のパーツを持ち上げる。陶器で出来たパーツは本物の人体に比べればはるかに軽い。彩色の終わっているそれを繋ぎ合わせ、人の形にしていく。この作業はもう手慣れたもので、日が昇る頃には完成したビスクドールがとっくに箱の中に収め終わっていた。  ふぅ、と満足げに息を吐くと、なんだか部屋が生臭い気がする。何かが腐っているような臭い。嫌な予感と共に天井を見上げる。これじゃない、あれでもない。これでも……。 「あっ、これか」  ようやく臭いの元凶を見つけた。天井から吊るした腕、その一つが変色している。所謂死斑、と言うのだろうか。赤黒い染みが浮き、美しい白い腕が台無しになってしまった。防腐処理が甘かったのだろうか、それとも単に寿命だったのか。結構気に入っていた腕だったのもあり、多少は落胆した。  しかし、私は気にしない。先日、丁度美しい女性を見かけた。ノースリーブのワンピースを着た彼女は、これに匹敵する腕を持っていたように思える。それならまた情報を集めなきゃな、と私は一人苦笑した。  美しい。ただそれだけの理由で、私の人生は狂わされた。だから、私は羨ましくて仕方がない。美しくても、普通の生活をしている人間が。そんな彼ら、彼女らの日常を踏みにじり、破壊し、こうしてコレクションすることが何になるとは言い難い。しかし、私は、この嫉妬に狂った王妃のような蛮行をやめる気なんて、さらさらなかった。
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