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9/13(金)
スーツとは一般人の象徴である、と俺は思う。昼間の公園に大人が一人でベンチに座っていれば何かしら怪しまれるが、もしそいつがスーツを着ていたら営業の休憩をしているサラリーマンだと思うのが自然だろう。深夜のコンビニに現れる奴は大抵ろくな奴じゃないが、そいつがスーツを着ているならおそらく残業帰りのサラリーマンだと思われることだろう。
結果として、スーツは一般性、所謂モブ感を与えるのに役に立つ。それは普通、内に潜む狂気さえも押し隠し、その人を通行人Aへと変える妙な魔力があるに違いない。違いない、はずなのだが。
「あーっはっはっはっはー! 天下の税金大泥棒様の前にひれ伏せー! あーっはっはっはっはー!」
深夜の公園。そこにはぎぃぎぃとねじの軋む音を立てながら全力でブランコをこぐスーツの男が一人。俺はその横のブランコに腰かけ、あきれ顔でそれを見ていた。
「……なぁロト、その辺に落ちてるもんは勝手に食っちゃいけないって習わなかったのか?」
ぽつりと俺が呟くと、ロトはブランコを止めずに此方を向く。その顔は完全に死んだ笑顔で、公園の街灯が作る影が妙に怖かった。
「流石に小学校で習ったさ、アング君! まぁ今日のお客様は初対面にいきなり暴力を振るっちゃならないってことを習ってなかったみたいだけどね! あっはっは!」
奴が道中愚痴っていた内容によると、今日来た客に最悪の中年がいたらしく、窓口の女の子にセクハラじみた台詞を吐いていたらしい。そこでロトが代わりに応対に入ると態度が一変。「お前は話がわかっていない」「さっきの女の子に変われ」と怒鳴り、どうやら窓口の子が奴に一目惚れしたと勘違いしていたようで、最終的には「彼女の恋路を邪魔するな、テンチュウ!」と今時ドラマでも聞かない台詞を叫んでロトの頭を一発ぶん殴った。そいつは警察に注意される程度で終わったらしいが。
「だからってわざわざ家から遠い公園にまで来て、ブランコに乗って絶叫するなよ……」
俺が闇の中にため息を吐くと、横から「ギギィ」という音がした。ばっと横を見るとロトがうつむいてブランコを急停止したようだ。
「ふふ、ふっふっふ、甘い。甘いよアング君。アメリカのカロリー数がエグイお菓子並みに甘いよ」
「甘いの基準がよくわからん」
どれほど思い切りブランコを全力でぶんぶんしたのだろうか。ロトはずれた眼鏡をちょっと直すと、いつものニヤニヤとした笑みでこう告げた。
「ここの公園に面白いものを用意してるんだ」
急停止の時足首を痛めたロトをベンチに放置し、俺は指定された公衆便所に向かった。男子トイレに入ると、一番奥の扉が「故障中」となっている。扉を引いても押しても開かない。が、ロトから渡されたものを使って鍵のあたりをいじると扉は外に向かって開いた。どうやら、ヴィクトールが作った「外から自由に鍵を開け閉めできるアイテム」らしい。何を作っているんだあの科学者は。
洋式便座には一人の男が全裸で縛られていた。両足は便座に、両手は後ろのレバーに。何度も殴られたのだろうか、男の頬は赤く腫れあがっている。薄暗くてよく見えなかったが、床には歯も転がっている。今は猿轡をされているが、おそらく殴る時はご丁寧に猿轡を解いて殴ったのだろう。
「律儀な奴だなぁ……」
「だろ?」
反射的に殴ろうとした拳はやすやすと受け止められる。俺の手を受け止めたロトは足の痛みに顔をしかめていたが、男を見ると意地悪く笑った。
「こいつが例の?」
「そ。あんまりムカついたもんだから何回か殴っちゃってる」
人の話し声に気付いたのか、男が目を覚ます。最初は俺を見て何かもごもご言っていたようだが、その後ろにいるロトの姿を見ると一瞬フリーズ。そしてすぐさま釣りたての魚のようにピチピチと暴れ出した。
「俺がやっていいのか?」
「どーぞ。私、こいつをおかずに抜きたくない」
「その気持ちはわからんでもないが」
この会話で男は何をされるか大体察したのだろう。いや、トイレに監禁された時点でなんとなく察していたかもしれない。ビクビクと震える男に、俺は一歩近づいた。
「う~ん、抜きたくないとは言ったけど普通に興奮しちゃったな」
「近づくなド変態」
「そんなこと言うともっと近づいちゃうぞ~! ロト菌だ~! ほらアング君、えんがちょして、えんがちょ!」
「自分で言うもんなのか、それ?」
帰りにどうしても今夜のおかずをレンタルしたいというロトをDVDショップに止まった車の中で待ち、その後家に戻る。帰宅早々ジャケットを脱ぎ捨てたロトは、共用リビングにあるテレビでDVDを再生し始めた。
「おっ、何借りてきたの?」
「『13日の金曜日』」
風呂からあがったイアがロトの隣に座る。イアは単純にホラー映画が、ロトはグロシーンが好きなため、二人はよくこうして映画を一緒に見ている。他のやつはホラー映画が苦手ではないが、隣でいきなり抜き始めるロトと一緒に見ることは少ない。俺だって嫌だ。
そう言えば、と今まで半ば存在を忘れていた荷物をグラトニーの部屋に届ける。時刻は十時。流石に起きていたグラトニーはノック二回で出てきてくれた。
「これは誰のだ?」
「俺の」
「じゃあ今日はハンバーグだな……感謝する」
そう言ってグラトニーは、原型を留めなくなるまでぐちゃぐちゃに殴られた男の死体を受け取った。
「あまり怒りに任せて殴るなよ。手は痛くないか?」
「大丈夫。一応明日ヴィクトール先生に見てもらう予定」
そっか、と一言残して彼はキッチンへ死体を持って行った。犯される、と怯える男の目が殺さないで、と訴え始めた時のことを思い出すと妙に笑みがこぼれる。溜まりに溜まった怒りをぶちまける対象が見つかったスッキリ感に浸りながら、俺は風呂場へ向かう。リビングからは、血みどろの悲鳴が聞こえていた。
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