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9/14(土)
隣の花は赤い。隣の芝生は青い。しかし隣から花をもらってきても、芝生をもらってきても、隣にあるほど綺麗にはならない。思うに、その対象を「欲しい」と考える心が物体をよりよいものへと見せているのかもしれない。
しかし、だからと言って欲しいものを「欲しい」「欲しい」と言いながら眺めるのは苦痛なことだ。それが手元に渡って良さを損なうとしても、欲しいものは欲しいのだ。だから人は「欲しい」と願うものを手に入れ、それに落胆し、そしてまた新しいものを欲するのだろう。
「だからと言って俺の飯はやらんぞ、イア」
「えー、いいじゃーん! ムツキ君の意地悪ぅー」
珍しく昼間に起きていた引きこもり、ムツキを連れて僕はファミレスに来ていた。流石休日の昼間、子供連れが多い。店員もなんとなく察したのだろうか、僕らは入り口から一番遠い隅っこの席に座っていた。
「というかお前も頼めばよかったじゃないか、このパスタ」
「ムツキ君が食べてるから美味しそうに見えるんだよ」
「なんだその気持ち悪い告白」
ムツキの呆れた吐息がパスタの湯気をこちらに押しやる。彼はパスタを巻くのが下手だ。一本か二本、いつもうまく塊にならない。それを見る度彼はうんざりとした目で塊を頬張り、口から垂れた麺をフォークでひょいと持ち上げ、啜らないように口へと押し込む。仏頂面でもぐもぐと咀嚼する様はなんだか妙に滑稽だ。口の中で噛み砕かれたパスタが彼の細い喉を嚥下する音と共に落ちていく。病人のような喉が、その時だけは確かに生きているように僕には思えた。
「うーん、やっぱり一口もらっちゃ駄目?」
「そう言っていつも半分食っていく奴はどこのどいつだ」
「雪見だいふくの『一個頂戴』の時は半分だよ」
「ピノでさえ『一個頂戴』が『もう一個』になって結局半分食う奴に言われたくない」
そんなことを話しているうちに、次のパスタの塊が彼の口に運ばれる。今度は口の端にソースが付いたのか、指で唇を拭う。その指先がミートソースの色に染まっているのを見たムツキは、べろりとそれを舐めた。
「行儀悪いなぁ」
「はいはい。ひんこーほーせーなのーかんし様はおぎょーぎがよろしく遊ばれる」
「納棺師の仕事は関係ないじゃん」
わざとらしく頬を膨らませ、僕は水を一口飲む。僕の食事はとっくに終わっていて、今はこの超マイペースにゆっくり食う引きこもり野郎に目の前で飯テロを食らいながら待つのが僕の役目だった。
「ムツキ君ってほんっと食べるの遅いよね」
「引きこもりが素早く動けるのは画面の中だけだからな」
「キーボード操作めちゃくちゃ速いのに」
「俺のスピードは全て指先に凝縮されてんだ」
意味わかんない、と言って僕はフォークをムツキの皿に問答無用で伸ばす。そして手早くくるくるとパスタを綺麗にまとめると、これ見よがしに頬張る。ムツキはあきれ顔で残りを食べ進め始めた。一口食べたパスタは、思っていたよりも美味しくはない。
「うわー、大統領が自殺だって。どこの国か知らないけど」
「大方就任スピーチの時にコレクションしてたAVの音声が流されたんだろ」
そんな他愛のない話をしながら帰る。帰宅早々ムツキは部屋に戻っていった。多分これからゆっくり寝て、夜の10時頃にまた起きるのだろう。まったく自堕落な引きこもりだ。
僕は僕で、出かける場所がある。愛用の鞄を持って家を出て、車で20分ほど行ったところにあるアパートの一室に僕はずかずか入っていった。
「29階の部屋で最上階たる上には温泉……最高だなぁ、ここ」
ここは僕の別荘的なもの。リビングとダイニングキッチンが一部屋に収まり、ダブルベッドが鎮座する寝室が一つ。風呂とトイレがそれぞれ個別に用意され、さらには和室もある豪華な一室だ。
「いやぁ本当にここをもらってよかったよ。ほんとにありがとね」
そう言って僕は寝室の扉を開ける。そこには、若い男女の死体が転がっている。床はフローリングだから血の処理も楽そうだ。
最初僕がピッキングでこの部屋に入ってきた時、彼らは何故か寝室にいた。驚く二人をサイレンサー付きの銃でさくっと撃ち殺してから、僕はその理由に気付く。寝室から見ると、近くの公園の紅葉が見える。二人はこれを見ながら休日の午後をのんびり過ごしていたのだろう。
「でもどうしても欲しくなっちゃったからね。この部屋、もらっていっちゃうね」
とは言っても通うのは飽きるまでの一週間程度だろう。死体運びを手伝わせるために呼んだロトが到着するまで、僕はベッドに腰かけてキラキラと輝く海を見つめていた。
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