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9/17(火)
好きなものを尋ねられたら、俺は真っ先に「他人の不幸」と答えよう。
正直言って、好きなものを考えるのが面倒くさい。そもそも人生の大半のものが俺は嫌いだ。まず他人が嫌い。そんな俺が嫌い。晴れの日は暑いから嫌い。雨の日は濡れるから嫌い。曇りの日は中途半端だから嫌い。パソコンは別に嫌いではないが、便利な道具程度にしか思っていない。
結局のところ、俺は何かに愛着を持つのが苦手なのかもしれない。必要になったら買い、不要になったら捨てる。おかげで部屋の中は割とすっきりしている。殺風景と言えばそれまでだが、別にどうでもいい。部屋が殺風景であろうとなかろうと、俺はこの部屋に愛着なんて微塵も持たないから。
「だからと言って知人が頭ぶつけたら心配してほしいんだが、ムツキ」
「どうせ死なないからいいだろ、ヴィクトール」
駅前の本屋は九時半に開く。日中行動できない俺にはありがたい店だ。ネット通販や電子書籍も考えた。しかし、どうしてもこの店は不定期に来たくなる。天井近くまである巨大な本棚と色彩が全体的に暗めな店内は落ち着いた、というよりかは妙な陰鬱さを与えるが、俺はそれが最高に好きだった。
「というかバスに乗る時に頭ぶつけるんだな」
「優先席に乗っていた老婦人に心配されたのがぶっちぎりで恥ずかしい」
「降りるときにも『気を付けてねぇ』って言われてたな」
「俺の方が年上なのに」
「わかるか」
そう言い合いつつプログラミングのコーナーに向かう。俺が本を買うとなると大体ここなので、ヴィクトールも黙ってついてきた。
「で、なんで今回はロトじゃなくて俺なんだ?」
「平日はあいつ仕事だろ」
「そう言えばそうか」
奴の手に本を積んでいく。俺の腕が1.5Lのペットボトルを持つのでさえ苦戦するような貧弱であることを知っているからか、ヴィクトールは文句も言わずに持ってくれる。俺の腕の貧弱さを知りつつ愚痴る、どこぞの公務員とは大違いだ。
「これ、と……あとはこれで十分だな」
「ん。それじゃあレジ通すぞ」
撲殺できそうなほど分厚い本を一冊、あとは新書を数冊購入。死体の一個や二個を安々と運ぶヴィクトールも、流石に「これは重いな」と苦笑していた。
本屋を出てバス停へ向かう。バスの時間にはまだ十分ほどあるが、バス停にはベンチも日陰もあるためこんな晴れの日でもそんなに苦痛ではない。木製のベンチに本を乗せるとギィ、とベンチがうなった。
「これ壊れないか?」
「俺が座って大丈夫だから、大丈夫だろ」
ヴィクトールは重い。不健康に痩せているため同じ身長の中では軽い方だと思うが、198もあれば170前後の俺たちに比べれば圧倒的に重い。そのためよく体重をネタにされるが、流石に慣れたのか最近は自虐ネタとして使い始めている。多分もう気にしていないのだろう。ロトが茶化した時だけはちゃっかり怒るが、あれはおそらく反射神経だ。
「さてと、あとは帰って寝るかな……」
「十時半だぞ? いつもより早いじゃないか」
「久しぶりに結構動いたから疲れたんだよ」
「そんなムツキにこの疲労がポンを、だな」
「違法じゃないか」
「バレなきゃ合法」
「なんだそれ」
そんな他愛のない話をしていると、バスが来た。ヴィクトールは颯爽と立ち上がると、本を置いてバスへ向かう。俺は奴の白衣の袖を引っ張った。
「なんだ?」
「本。持ってくれないのか?」
俺の質問にヴィクトールは一瞬きょとんとすると、腹立つほどの爽快な笑みで答えた。
「持つわけないだろ? 俺の今日の労働は終わりだ」
そう言って奴は意地の悪い笑みを浮かべ、無駄に気取った態度でバスに乗り込もうとステップに飛び乗る。「あ」と俺の口から思わず無様な声が漏れた。
「っ~……!」
声にならない声をあげて悶えるヴィクトール。また頭をぶつけたらしい。俺たち以外に乗ろうとした奴や、他の乗客がいなかったのがせめてもの幸いだろう。俺がこみあげる笑いを必死にこらえていると、すっと立ち上がったヴィクトールがつかつかと俺に近寄り、通り過ぎ、そしてベンチの本を持ってまたバスに乗り込んだ。今度は、ちゃんとかがんで。
「どうしたムツキ、早く乗らないと置いていかれるぞ?」
いつも通りの腹立つ笑み。しかしその目にうっすら涙が浮かんでいることを、俺は気付いている。
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