2人が本棚に入れています
本棚に追加
9/9(月)
人間は、生きるために様々なことをしなければならない。
例えば、仕事。お金を稼がねば今の社会は生きていけない。一人、金を稼いでなくても生きている奴が知人にいるにはいるが、あれは多分人間ではなく人型のサナダムシなのでノーカンとしよう。
例えば、睡眠。人間は三日間寝ないと死ぬらしい。確かにこの前仕事の関係で徹夜した時は死ぬかと思った。あれが三回続けば死ぬらしいが、正直私は二回目で死ぬ気がする。
例えば、食事。睡眠ほどではないが、一週間何も食べなければ人は死ぬという。そう言えば知り合いの大食い野郎は昼飯を抜いた結果、日が沈んだ頃にはバタンとぶっ倒れて動かなくなっていた。
そして、例えば性欲の解消も挙がるだろう。
某日、某所。時間は深夜。私は公園のベンチに座り、電話で呼び出した相手が来るのを待っていた。九月に入ったというのにまだ暑い。暑苦しいスーツのジャケットは既に脱いだがそれでも暑い。八月が終わるとクールビズも終わる。しっかりスーツを着ていないとネチネチネチネチ言われるのが公務員の辛いところだ。
いっそ通報覚悟で全裸に、と思った矢先公園の砂を踏む足音が聞こえた。眼鏡を軽く押し上げ、音の方向を見る。そこにぼんやりと浮かび上がった白い影に、私はため息を吐いた。
「なんだ、ヴィクトール先生か。ビビらせないでよ」
「お前をビビらせるつもりはなかったんだがな、ロト」
私の愛称を吐き捨て、ヴィクトールは持ってきた荷物をポイと投げる。それは黒いリュックで、中に色々詰まっていそうな見た目に反してそこそこ軽い。まぁ、中身は私が指定したものだから何が入っているかはわかるのだが。
「それじゃあ私はお手洗い行ってくるから『それ』の処理お願いね」
そう言って私はベンチの下を指さす。既にこの手のやり取りは何度も繰り返したので、ヴィクトールは黙って頷く。「なんで俺が」「お前がやっておけ」「自分のケツくらい自分で拭け」とその目は訴えている気がしたが、無視して私は公衆トイレへ逃げ込んだ。
「ごめんごめん、ちょっと手間取っちゃって」
「デートに遅刻した彼女か」
なんだかヴィクトールが不機嫌そうだが、いつものことなのでスルーする。今の私はスーツから軽装に着替えたため、めちゃくちゃ気分がいい。だからいつもならうっかりゴキゲンを取っちゃうヴィクトールの冷たい視線も、体感温度としては扇風機の弱くらいにしか感じなかった。
「じゃ、帰ろっか」
そう言って意気揚々と公園を出ようとする私の腕を、ヴィクトールが掴む。
「荷物」
地獄の鬼でもこんな声出ないぞ、と思えるほど怒りを孕んだ声が端的に用事を告げた。私はやれやれと肩をすくめると、地面に転がってる「荷物」を持ち上げた。
「う~重い~! ヴィクトール先生手伝って~!」
「自業自得だ、馬鹿め」
ぐちぐちと言い合いながら公園を後にする。生ぬるい夜風を浴びながら帰る帰路は、なんだかいつもより足取りが重く感じられた。
家に着いて荷物をおろす。一人暮らしではない。家族もいない。俗にいうシェアハウス、というやつだ。この家には、利害関係の一致で集まった人間が七人一緒に暮らしている。私もその一人だ。
「おかえり」
「ただいまぁ~」
思わず間抜けな声が出る。けだるい身体をなんとか駆使して帰ってきたのだ。道中一度も手伝わなかったヴィクトールとかいう研究者はよっぽど人の心が無いらしい。今も挨拶をした同居人の一人、グラトニーの横を悠々と通り過ぎて自室に帰っていった。
「今日のそれ、誰か貰い手はいるか?」
そう言ってグラトニーが「荷物」を指さす。私が首を振って応えると、彼は仏頂面のまま軽く頷き、そのまま「荷物」を担いでキッチンへと消えていった。この家、無駄に無愛想が多い。
ふ、とため息を吐いた私は風呂場へと向かう。目標はただ一つ、洗濯機だ。
リュックを開けると血と汗、そして思春期男子の自室にあるごみ箱のような臭いがふわりと広がる。しかしこの程度、私はもう慣れた。砂まみれのジャケットを洗濯機に放り込み、血まみれのシャツを軽く手で洗う。ふと思い立ってシャツに鼻を近づけると、鉄臭いにおいが先ほどの記憶をよみがえらせた。
突然押し倒されて怒鳴るサラリーマン。年齢は40代半ばだろうか。まずは喉をナイフで突き刺す。ずぷ、ずぷと入っていく感覚がたまらない。傷口から溢れるごぽごぽという濁った声もまた、私の興奮を高める素材にしかならない。次いで皮を剥ぐように丁寧に頬へ刃を添わせ、かと思えば乱雑に耳を切り裂き、腕を切り、足を刺し……その感覚を思い出すだけで全身がガクガクと震えるほど悦び、甘美な恍惚感が腹の底から湧き上がってくる。が、しかし流石に風呂場ではまずい。私はさっさと洗濯を終わらせ、部屋で一人思い出を楽しむことを選択した。なんつってね。
人は、様々なものに性的興奮を覚える。私はたまたまその対象が「殺人行為」だった、ただそれだけの人間だ。世間一般ではそれを「殺人性愛」と呼ぶらしい。だから私も、その名で呼ばれている。殺人性愛──エロトフォノフィリア、通称ロト、と。
最初のコメントを投稿しよう!