ロープ

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ワイシャツを半袖から長袖に変え、木の葉も徐々に色づいてきた朝、わたしには奇妙なものが見えるようになった。 朝ごはんを食べようとキッチンへ向かった時だった。母の右手は確かにお玉を握り、昨日の夜ごはんの残りの味噌汁を温めているのだが、左手には背丈ほどのロープのようなものを持っていた。 「そのロープなにに使うの?」 「知らないの?何度もこれでぶったことあると思うんだけど」 そう言われてみればそんな気がした。 まじまじと見た母のロープは何本もの細い紐が寄り合ってできていて実にカラフルだった。この色はいわゆるアースカラーというものだろう。輝くような装飾はなかったが、それでも素朴な美しさを持っていた。 「あんま人のなんてみるものじゃないよ、自分のでもよく見ておきなさいよ」 そう言われると自分の右手に微かな重さを感じた。視線を移すとわたしの右手にもロープがあった。母のものよりずっと短く、1メートルほどしかなかった。色も所々毒々しい色をして悪い気を発しているようだった。 「大人になるまでに考えておきなさいよ」 母の言葉にわたしは首を縦に振った。 登校中も変わらず、すれ違う人にロープが見える大事そうに持つ人もいれば、見るからにぞんざいに扱っていることがわかる人もいた。 駅のエスカレーターに乗り込むと、前にいるサラリーマン風のおじさんが首にロープを巻き始めた。そんな持ち方もあるのかと感心してみていると、明らかにロープが首を締め付けているのが見えた。慌てて首に手を伸ばすと、おじさんは暗い目を丸くしてこちらを見た。 「なにをするんだ!これがなきゃ俺はどうやって生きていくんだ」 ロープは確かに宝石のようなものが埋め込まれており、煌びやかであったが、ロープ自体は終わりのない黒色をしていてとても美しいとは形容できなかった。 「これは生きるためにあるんでしょう?それ以上の価値はないじゃないですか。死んだら終わりです」 わたしは言いたいことを言い終えると、戸惑うおじさんの首からロープを勢いよく外した。ロープはするりと首を抜け、おじさんの右手へ収まった。 おじさんは呆然としていたが、エスカレーターが二階に着き慌てて降りると、こちらを向き一言「ありがとう」と言って下りのエスカレーターへ向かった。
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