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三切れ
いおり擁する中学生たちから宣戦布告を受けて、早一週間が経った。
部活メンバーとのお喋りを切り上げ、ノゾミ、アイ、ユーは少年少女の疎らになった高校の門を出る。と、門の横に、いつぞやの少年が一人。
「いおり君……」
今日は通学カバンの他に、大きな楽器ケースを背負っていた。
「なっ、何でここが……じゃないね、ゴメン」
「うんアンタのインスタ緩いから」
早速ノゾミが開口一番噛み付こうとして……言葉を引っ込めた。顔を扇ぐ高校生に、冷静な中学生のツッコミが突き刺さる。
アイとユーは苦笑いする他無い。
「でも、いおりくんは、きょうなんでここに?」
「偵察? 斥候? なんかそっち側に進展でもあったとか?」
「まー進展と言えば進展。ていうか今日は人を呼んである」
「人?」
不敵な笑みを零すいおりに、三人は顔を見合わせる。
「もうそろそろ来るはず」
いおりがそう言った矢先。
「Hey! イオリ!」
正門前の横断歩道の向こうから、陽気そうな男の呼び声が通りを跨いできた。
「「「!!」」」
その男はレスラーみたいにがっしりした体型で、かといって、決してのしのし歩く感じでもなく、車の往来を見計らって軽快に道路を渡って来る。
サーフ系のパーカーはピンクとスカイブルーで、そしてハーフパンツ。栗色の髪をツーブロックにしたアメリカ人だった。
「やぁ、キミたちがオレたちのCDをアツメてくれてるんだって? コウエイだよ~」
「あ、あのぅ……えぇと」
「オレはマックス。Max.comだ、よろしく! キミたちは?」
タコのある武骨な手で握手を求められ、女子高生三人は尋ねられるままにそれぞれ名乗る。名乗った後、開いた口が塞がらない。
「私、アイです……ていうか、なんであなたの様な人がこんな所に……! いや、いおり君もだけど!」
「カレのヨびかけでね。ニホンにキてみることにしたんだ。どうしてもmemberとジッサイにアってみたくて」
「バラしたく無い人には悪いけど」
アイの零した言葉を、マックスはすぐさま拾って返す。いおりがその応答に付け加える様に、断りを入れた。しかしその言い方。まるで……。
「そう。というワケで……オレもモってきたんだ」
まさか。
果たして、マックスはピッタリしたワンショルダーのジッパーを片手で開けた。取り出したそれは確かに、CAKEのCDだった。ジャケットは、ホールの台紙に残されたイチゴのショートケーキだ。
「うそ……!」
ユーの震える呟きが、アイの耳に届く。
マックスは言葉を続ける。
「これはKeyタントウ、姫Chaaan!のCDだ。クロウしてgetしたんだよ~。ラジカセ、いいね。オレたちもそうしようか、イオリ」
「ん」
「ちょ、ちょっと待って! マックスさん、何でわざわざそんな事を……!?」
本物を目の前にして口をパクパクさせていたノゾミは、やっとの思いで疑問を発する。
そうだ。CD集めのために協力者と連携するのは、別におかしな事ではない。だけど、とアイは思う。
一週間前のいおりの言葉。
加えて、マックスの来日理由。
二人ともCDを所持しており、且つそれを購入した者(とその友人)にメンバーであると宣言してくる。ということは。
「Session SNSでやりトりしたトキ、エジキとヒメがトチュウからニホンゴでカイワしだしたのをミたんだ。ナマエもナマエだし、スクなくともイオリをフクめ、memberのナカにはサンニンのjapaneseがいるとワかった。これでニホンにイかないリユウはないだろ?」
そういう事か。
「つまり……マックスさんもいおり君も、私達の中にパイライトのメンバーが居ると思ってるって事?」
ノゾミのセリフは、サスペンスドラマの様な緊迫でマックスへと問われた。
「Yes! だって、releaseしたオレだって、ジッサイにどうキこえるかキになってるんだ。ソウグウできそうなカノウセイも、タカそうなもんじゃないか」
作る時にセッションで散々聴いてるし、会うとロマンが半減しそうだと思って、そもそも集める気の無い人物だったらどうするつもりだったのだろうか。
ノゾミはまさかまさか、といった様子で笑いながら手を振る。
「いや~マックスさんそれは無いって! だって私、音楽は聴くの専門だし~! ね、アイもユーも多分そうだし~」
「Oh、でも、タメしてみるクライはイいだろ?」
「ためすって、なにをですか……?」
今度はユーが、上目使いにマックスに尋ねた。彼女が自分のことの様に警戒しているのを、アイは肌で感じた。それに応じて、マックスはやや声のボリュームとトーンを落とす。
本来はもっと冷静な語りをするのかも知れない、とアイは思った。
「Niceな質問だ、ユー。オレがこれまでミてきてワかったのはさ、エジキはヒメをスゴくソンケイしてるってことだ。それは、ヒメからエジキにタイしてもそうなんだけど。エジキはヒメにスゴくアいたいんじゃないかな、とオレはカンガえた。そこで、このCDでツってみようとオモうんだ」
「なっ……っ!」
いや、どうやら数分喋っただけで簡単に分かる様な、そんな単純な男ではないらしい。
「SNSにCDをupするよ」
言いつつ、マックスはそそくさとスマホを取り出した。この為にインスタ等で大分大人しくしていた様子で、オッケーリリーース! と満面の笑みで宣言する。
人目を気にせず騒ぐ様なマネは決してしなかったが、それでも、アイには首輪を外されてウキウキする大型犬に見えた。まぁノゾミに比べれば、周囲の目を気にしてくれるだけだいぶありがたいのだが。
だが。
アイは溜息と共にスマホを取り出し、複雑な気持ちでマックスのインスタを覗く。
辺りにはしばらくの間、「いいね」の通知音が連続して響き渡り、堪りかねたノゾミを筆頭にみんながマックスのページに噛り付いた。
しかし、通知が落ち着いても、饗庭えじきからのコメントは一度も付かなかった。
「ん~」
マックスは腕を組んでしばし考え込む。
「もしかしたら、ウゴきがあるのはヨルになってからかもシれないな。シカタない、イオリ、またデナオそう」
「ん」
マックスはノゾミたちにマタネ! と挨拶し、いおりと共に南風の様に去って行った。
「行ってしまわれた……」
二人の背後に、ノゾミの言葉がぽつりと取り残された。
アイは視線をぐるりと巡らせて、いつも通りな正門周辺と、塊になって帰り出す野球部員たちを見送る。そして、隣でSNSに目を落としたままのユーの様子をそっと窺った。
ここまで十数分。世界が動くのは、何時だってあっという間だ……。バンドメンバーによるCAKEのゲット情報は、収集するファンにとって、正に青天の霹靂と言えるだろう。
「マックスさんに、リプ、おくったりするんかなー……」
「饗庭えじき?」
呟くユーの言葉に、ノゾミが素早く反応する。
「もしそうなったら、更なる衝撃がファンを襲うよきっと! 祭りだよ祭り!」
「いやぁ、そこまでの騒ぎにはならないだろぉ」
ノゾミの声の上ずりを、アイは抑えたかった。
「あっ」
だが重石はあっけなく跳ね除けられてしまった。ノゾミの発見を知らせる声は、いつだって周囲の人々を振り向かせてしまう。
アイは苦笑しつつ、なに? とノゾミに尋ねた。
「マックスさん、最初から饗庭えじきに空リプ送ればよかったんじゃね?」
……それな。
土曜日、午後。
アイは昼ご飯を食べてから、夕方の用事に向けて家を出た。時間に対して少し早すぎるが、それでもいいのは、別の場所に寄りたいからだ。
煩悶と悩みながら、電車には乗らずに一駅分歩く。考え事をする時間は多い方が良い。何かを考えるとき、アイはいつもそうしていた。今日はノゾミやユーとの約束は特にない。アイにとっては久し振りの一人の時間だった。
線路に沿って歩いてから高架下を潜り、細々した店の並ぶ通りに出る。
そこに、一軒のカフェがあった。
この町にはありがたいことに、大変貴重なCDやレコードを聴かせてもらえる穴場カフェがあるのだ。親子二代でやっているので、古馴染みは大抵が偏屈なじーさんばーさんであり、売れることなく消えていった艶歌歌手のデビュー曲やら戦前の軍歌など、ニッチな曲を扱っている。それ故固定客以外は近寄らないというワケだ。
しかし、現店主の息子さんが本気を出せば、ニューエイジにノイバンシュタイン、ジョン・ケージ、果てはハリム・エル=ダブまで出してくれる。
この店を知っているのは恐らく学校でもアイだけであろう……アイはほっと一息ついて、カフェ・音空(オンエア)のバラ窓付きのドアを開ける。まずは気持ちを落ち着かせるために、
「えっアイ?」
窓際の席に、
「ユーだ……?」
「ちょっと? アイ? だいじょうぶ? えきたいちっそでもかぶったの?」
瞬後、アイは息を吹き返した。
「いや、いやいや! 液体窒素て!」
「よかったーーしんだかとおもったーーー」
「死んでねぇし!」
二人は予期せぬ遭遇に、揃って驚く。無理もない。何せこの喫茶店を知っているのは、高校でも自分だけだろうと思っていたからだ。
一グループ限定の防音ブースに籠ろうと思っていたアイだったが、ユーに促され、正面に腰掛けた。
「はぁぁびっくりしたぁ。ユーもここ知ってたんだね。てかさ、何聴くの? ここに来るって事は、実は結構マイナー音楽好きって事だよね?」
「うん、そう。これ、あんまりいったことないんだけど、チルとか……しってる?」
「分かる」
「そっか。そういうのとか、クリックおんだけのやつとかすきなんだ。いまながしてもらってるのも、あたしがリクエストしたやつなんだよ」
「そうだったんだぁ」
「アイは、ここでなにきくの?」
「あぁ、私はクラスターとかジャーマンシンセ系」
「ほほう」
しばらくすると店長が注文を取りに来たため、アイは無糖のアイスコーヒーをお願いした。折角なので、防音ブースに移動する。何気ない会話がしばらく続いた後、アイはユーに尋ねる。
「てか、今日は聴きに来ただけなの?」
「ううん、じつは、ちょっとね」
「ちょっと?」
「うん……」
ユーは少しの間言葉を堰止めていた。急くこともなくコーヒーを啜っていると、彼女が何かを決心する様に息を吸うのが、アイに伝わった。
「じつはね、あとすこしで、このカフェであるひととあうやくそくがあるんだけど」
「うん」
「いっしょに、あってくれない、かな?」
「え、私に?」
「うん。できれば、りゆうはきかないで」
アイがユーの顔に目をやる。友人は、何か決意に満ちた硬い瞳をアイに向けている。
「……まぁその、実は私も今日人と会う事になってるんだけどね」
「え、そうなの?」
「そう。でも、私まだ約束から四時間位あるから、良いよ。付き合ってあげる」
「マジ? いいの?」
「マジで良いよ」
これはただ事ではないかも……アイはそう思いつつ、柔らかい返事で受け止めた。
これは、あれか。
さては彼氏か。それともネットの意外な知り合いとかか。ふぉろわさんとか?
そんな事を思っている内に、ブースをノックする者の気配がした。
「あ、きたっ」
現れたのは、
「? Wha……t?」
「え?」
マックスだった。
ユーが椅子を蹴る勢いで立ち上がる。
「マックスさん! きてくれてありがとうございます! そしてごめんなさいっ!」
「えっ、ちょ、ユー?」
「あたし、アイにならばれてもいいとおもって、ここにいてもらうことにしちゃいました!」
「Okユー、wait,wait prease……!」
「じつは、……いいますね、じつは! あたしが、姫Chaaan!なのっ!」
世界は液体窒素に満ちた。
「……Holy shit……!」
「は、んんん? ちょちょちょと待ってっ!?」
堰を切る告白はユーらしからぬ奔流となって、もはや留める術も無い。
アイの中で、幾つもの思考が同時に鳴って纏まらない。
「ほんとうは、ずっとひっそりしてようかとおもったんです。でもこのまえ、いおりくんとマックスさんにあって、おもったんです。あたしも、みんなのために、かくごきめなきゃなって」
そして、先ほどから頭を抱えて気まずそうにしているマックスを覗き込んだ。
「あたしが姫Chaaan!です……えじきをそっとしといてあげて。たぶん、あたしとおなじで、しずかにしてたいんだとおもう。マックスさんなら、おおごとにはしないよね?」
「Oh……but……ア~~~」
ユーはその微妙な返事に、首を傾げた。
歯切れの悪さを持越して、マックスの片手の平は、すっとアイの方に降りる。
ユーが横を向くと、アイが居心地悪そうに左手を挙げていた。
顔を机に落として。内心舌打ちして。
「ん? アイ?」
揃って頭が痛いみたいな様子の二人を、ユーは見比べた。
「うん。あのー……ユーが姫Chaaan!だなんて、私、知らなくて……」
アイの中の情報は、ようやく混線が解れて言葉になった。マックス後で〆る。
彼女は息を整える。
「私も、マックスと会う事になってたんだわ。約四時間後に……」
「え……?」
マックスは後ろを向いてしゃがみ込んだ。
「饗庭えじき、私です……。今まで隠しててゴメン……!」
アイはユーに向き直ると、彼女を真っ直ぐ見つめ、そして大きく頭を下げた。
「……え、うそ、いや、あたしこそ……え、あれ? うそ……えぇ?」
三人は店長が声をかけるまで、しばらくそのまま動けなかった。
《つづく》
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