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六切れ
信じてもらえなかった。
えじきはカフェのテーブルに突っ伏して目を閉じていた。
あれから数時間、精神的に憔悴しきった三人が学校へ戻ると、六限目もとっくに終わっていた。部活で賑わうグラウンドをこそこそ通り過ぎ、教室へ向かう。案の定担任に叱られ、それぞれの親にも今日の出来事を連絡されてしまった。三人はお互いの顔を直視できないまま、軽く別れの挨拶をして、別々に学校を出た。
帰り際、えじきのスマホに父から電話が来た。父は今回のやんちゃを「やらかしたなァ」と苦笑すると、特段怒るでも武勇として褒め称えるでも無く、ちゃんと帰って来いよとだけ付け加えて通話を終えた。父は良いのだ。元から変わってる人だし、子供の彼女にも自由と責任を謳歌するように力説する価値観を持っているし。友人たちからも変わってるよねと言われるのはそのためである。
しかしそれ故、えじきは真っ直ぐ家に帰れなかった。誰に許されようとも思っていなかった。何より自分自身に対し、学校への迷惑とメンバーたる証明の不足を許せなかった。
そのまま駅へと引き返し、また電車に乗って全く縁も所縁もない終点で降り、駅構内の喫茶店に入ったのだ。動けないまま三十分程無情な時間が過ぎていた。
「あれ? アンタこんな方に住んでたっけ?」
顔を上げると、いおりが前に立っている。おそらくカフェのガラス越しに、見覚えのある奴が死にかけているのを発見したのだろう。
えじきは辛うじて笑顔を作る。
「……久しぶりだね、家こっちなの?」
「そ。今塾終わったとこで」
そう告げるいおりの背に、楽器ケースが見えた。
「塾にもそれ持ってくの? 重くね?」
「持ってないと落ち着かないから」
背負い直す中学生の肩に、ケースのベルトが食い込んでいる。えじきはイスを勧めた。
「じゃぁ今から帰りかぁ。塾に行って……練習も?」
「ども。今日はマックスにちょっと会ってすぐ帰る。練習は家でやる」
二人はどうやら頻繁に顔を合わせているらしい。加えて、マックスは今から駅に来るとのこと。どんな話をするのだろうか。
そして納得させられる。楽器と一緒じゃないのは論外なのだ。
「それよりアンタはここで何してんの?」
「あぁ……話せば長くなるんだけどぉ……」
えじきは一応、敵陣営に本日の動向を話すべきか逡巡した。が、もうどうでも良い気がして出来事をポツポツと話した。Silver-sanのタグのこと、展望台で会った名も知らぬ男女のこと、自分が饗庭えじきだと信じてもらえなかったこと……。
いおりはスマホに目を落とすこともせずに話を聴き、少し考えてから、正直に意見を述べた。
「まーよっぽど用心深いみたいだしそうなるんじゃねーの? ギターでも持ってれば……また別だったかも」
そうかも、とえじきは苦笑しつつ、額を机に打ち付ける。
「いおり君はどう? その二人、メンバァだと思う……?」
「わかんねー。あでもマックスは今日の朝会いに行ったっぽい」
「うっそマジでっ!?」
えじきの頭は霹靂に打たれて跳ね上がった。脳裏にマックスの人懐っこい笑顔が浮かぶ。と同時に、流石一筋縄じゃ行かない人だと思う。
「マジ。話してアカ見せてゲーセン連れてってドラムゲー叩いて。でやっとって感じだったらしい」
「キビシイ……!」
「でもまだ疑ってるっぽいっつってた」
至極冷静な中学生の説明に、えじきは歯ぎしりを禁じ得ない。では展望台に行った他の二組のうち、一組は単独のマックスだったのだ。しかもマックスからは特に会って来たとかそういう連絡も無く、おまけにあの男女も、そんな情報毛ほども漏らさなかった。むしろ全く無関係などと言っていたではないか。
大人同士の腹の読み合いには、ちょっと敵わない。
まぁ確かマックスは対決姿勢を楽しそうなどと言っていた。だから、情報戦としては正しいのかも知れない。とすると、今から二人はそれについての詳しい話をするに違いない。
だから、今からえじきにできることは、このまま偶然出会ったいおりと一緒にいて成り行きでマックスと合流し、彼を小一時間問い詰めることである。
「ん? いおり君は、それ私に教えちゃって良いの? てか何で教えてくれるの? 結局相手はメンバァだったの違うのどうなの……!」
えじきは溢れる疑問を一息で吐き切り、前のめりに息を吸う。だが、いおりの大きな瞳は途中から窓の外へと吸い寄せられている。
「……話の続きはマックスが引き継いでくれるよ。多分」
「えぇ?」
カフェの外で、マックスが手を振っていた。
その顔はえじきを見るや、悟りの境地に達した。
「Heyエジキ~、どうしてキミがここに~?」
「マックスゥ……今日朝一でSilver-sanタグの人たちに会ったらしいじゃんかぁ?」
ハグのために笑顔で両腕を広げたマックスは、冷水を浴びてギクリと固まる。
「Oh……ハハハ、ヤダな~何で知ってるんだよ~」
ぎこちない笑顔のまま、彼はいおりを見る。いおりは頬杖を付いて、拙いながらもマックスにボディーブローを入れに行く。
「俺が教えた」
「Whyどうしてなんで」
「だってえじきから色々話聞いちゃったし。もちろんCD集めでリードはしたい。けどメンバーかどうかって話はシェアした方が良いと思って」
「Oh,……その通りだね」
マックスはがっくりと肩を落とす。いおりは思った以上にフェアな心の持ち主らしい。その計らいを有り難く思うと同時に、嬉しいと感じるえじきである。
「私たちも展望台の二人組に会いに行ったんだよ……まぁノゾミのリプで知ってるとは思うけど」
「All right」
一拍後に、彼は平常心を取り戻した。と、本題に入る前に、コーヒーを注文しに行く。それからいおりの分と、えじきの二杯目も。
コーヒーと三人が全てテーブルに揃い、えじきはマックスの為にも、一連の顛末をかいつまんで説明した。
「じゃあ、エジキたちは本当に何も教えてもらえなかったんだね」
「そぉ」
「それどころか、エジキたちの開示した情報も、ウソとみなされた……ってことか~」
「そぉぉぉぉぉ! しかもアカ見せ忘れるしぃぃ、もうマジホントムリ」
えじきは三度額を机に打ち付ける。
「Ok、理解した。なら、次は僕が得た情報と、どうやって信じてもらったかの話をするよ。本当はイオリとだけ話すつもりだったんだけど……」
マックスの顔は、えじきの視線でチクチクする。
「ま、仕方ないよね」
「そぉそぉ、仕方ないよ。痛み分けだよ、痛み分け」
「ハハハ……じゃあまず結論から。二人の内、一人はアレハンドロだった」
えじきといおりは顔を見合わせる。どちらも驚きと、やはりという気持ちと、本当かという気持ちが百の表情を作っていた。
「で、もう一人の女性の方は教えてくれなかった」
「なんで男だけ?」
いおりが尋ねる。マックスは腕を組んで唸る。
「女性の方は、付添いだと言って譲らなかった。僕はmemberだってことを、ほぼ全ての手を尽くして証明したと思ったんだけど、それでもまだ向こうは情報を明かそうとはしなかった。で、最終的にそりゃ不公平だよって話になって、僕一人分に対し、あのsuitの男一人分の情報を開示してくれたってワケだ」
「そうだったのかぁ……」
えじきは頬杖を付く。思考の沈む先は「自分はどうすれば信じてもらえるか」であるが、しかし、それを脇へ退けて思い浮かぶことが二つ。
「……なんかぁ、そんなに自分のこと教えたくない人だとぉ、逆に教えたくなくね?」
「ん」
信じてもらえたとしても、もしメンバーではなかったら? 余りに頑ななので、もしかすると本当に付添いなのかもしれない、と考えたくもなる。そうするとかえって教えたくなくなる。えじきの振り絞った勇気は、本当にただの骨折り損だったのではないだろうか?
「Get it、彼女が守秘すればするほど、逆に彼女の信憑性も無くすか~」
マックスが腕を組み直す。
だが、彼女にはそれと同時にもう一つ思考の流れる方向があった。マグカップで手を温めながら、でも、と言葉を繋ぐ。
「私は特にノゾミのこともあってさ……なんつーか、今までノゾミを……こう、騙すっていうか、ずっと黙ってきた訳だよね……でも、もうそろそろ隠しとくのもしんどいんだって、今日思ったっていうか」
いおりもマックスも、気が付くと同じようにしていた。
「ノゾミにしてもあの二人にしても、私がパイライトの饗庭えじきだってただ証明したいのと、だけど信じてもらえるか否か、メンバァか否かは、また別? っていうか……ゴメン纏まってなくて……」
力の入る、えじきの指。だいたい分かるといおりが短く言うと、彼女から苦笑が漏れて、内圧は少し軽減された。
「ありがと。そもそもさぁ、いおりはマックスをどうやって信じた?」
不意に、えじきは身を乗り出す。尋ねられた二人は互いの顔を確認した。
「俺? 俺は最初に会った時にアカ見せてマックスの動画見せてもらった。でお返しにカラオケでベース弾いた」
「じゃぁ、マックスからあの女子高生が饗庭えじきと姫Chaaan!だって聞いて、どうして信じてくれたん?」
えじきからいおりへ。コーヒーを啜りながら、マックスの瞳はひらりと移る。
いおりは暫し斜め上を見て記憶を探っている。
「……少し一緒にいてみてかなり正直な人なんだなって思ったから? 色々と」
「へぇ、色々と……」
「Thank youイオリ~! 分かってくれるかい!!」
「まー好奇心と欲に忠実なところが信頼できるかなって」
ずばりと言い切る中学生に、年長者たちはそれぞれ笑って冷や汗をかいた。
「逆にアンタはどうして友だちを姫だと信じたの? 決め手は?」
今度はいおりがえじきに切り込む番だ。残りのコーヒーにミルクを注ぎながら。
「えぇと、まぁ……ぶっちゃけ、あの時の状況だけだったんだよね……」
そうなのだ。姫に関しては、確証はSNSのアカウント以外無かった。あの時、既にメンバーだと名乗っていたマックスと自分も会うことになっていたという状況、及び姫の真剣な告白に押されて、えじきは信じたのだ。
では、そういった特別な文脈のない相手には? アカ見せでも足りないかも知れない、と思ったから、いおりとマックスも実演したわけである。
「やっぱさぁ、やって見せるしかないよなぁ……」
「だな」
「相手がだれでもかい?」
えじきは頷く。
あの男女にしても、ノゾミにしても、あとの反応はもう相手に任せるしかない。えじきは自分のベストのためにも、パイライトのメンバーだと証明したかった。
週明けの月曜日、えじきは敢えて平日にことを計画した。一連の成り行きは、全て姫Chaaan!にも説明済みである。しばらくモヤモヤすることになるだろうと思っていた彼女は、想像よりもえじきの立ち直りが早かったことを感じ取り、ほっとした様だ。
まずセッションSNSで、アレハンドロとエレスチャルに連絡を取る。要は、マックスから二人が日本に来ていると聞いたので、自分の家で会わないか、という内容である。ただしマックスの入れ知恵で、来てもらったらその場でハンドとエレスチャルにはセッションしないかと言う。「証拠を求める」二人と似たような要求を出す訳だ。本当のメンバーなら、「メンバーだと思ってもらえない可能性がある」のは見逃せないはずだ。現にえじきがそうだったのだから。
それから……。
「ノゾミ」
えじきは彼女の顔を覗き込んだ。ノゾミはあの件以来、メールでも何でもすっかりCD集めについて話さなくなってしまった。相変わらず元気なことに変わりはないが、あくまでそこを除けばの話だ。収集や中学生たちとの対立にも、その情熱は下火になりつつあると見えた。
「どしたん、アイ」
「あのさぁ、今日私ん家来ない?」
「ほう?」
「今日、マジでどうしても知って欲しい、見せたいものがあるんだよね」
「ほうほう……どんな?」
「……私の秘密基地、的な」
開口一番、ノゾミに提案する。
彼女は特に身構えることもなくオケ~と返事をした。だが、今の様子から彼女の本心は見えなかった。ノゾミならきっと向き合ってくれるだろうと、えじきは信じている。しかしそれと同じ位、大切な友人は自分に見せていない、見えない部分を使ってするりと逃げてしまうのではないか……と恐れてもいた。
ここで、翻ってノゾミの視点に立てばどうか。えじきが正に今までそうだったのだ。その恐れは本来余計なものである。自分の恐れをノゾミに投影、いや、転嫁しているだけなのだから、言い訳は許されない。
躊躇いがちに、えじきはもう一要素を告げる。
「それからさぁ、ユーの他にCD集めで知り合った人たちも呼んでみてるんだけど、どうかな……?」
探る様な瞳がえじきの顔面を射た。
「マジ?! まあ、まあまあ……良いんじゃないかな~?」
朝の賑やかな教室で二人だけが妙に緊張している。
と、チャイムが鳴って担任の足音が聞こえてきた。その時には、ノゾミの表情は巨大ロボのパイロット適性を言い渡されたみたいになっていた。
「分かった、行くよ」
饗庭えじきの暮らす家には特徴がある。一つは大きなガレージ。そしてもう一つは、そのガレージの下に父たっての願いで作った小振りな地下室があること。ソファや机やオーディオ機器などがある家族の趣味部屋だ。
「すげ」
「マジか……ぜんっぜんしらんかった……!」
いおりと姫は茫然と辺りを見回す。
「Hey,これhand maid boothだろ? ここで録音してるのか~」
マックスが指差す。その部屋の端っこに、手製の秘密基地はあった。
「へへ、今まで隠しててゴメン。それ子どものころから溜めてたお小遣いで作った。吸音マットが結構嵩んでねぇ……」
通知一つ。
SNSでエレスチャルから「どのあたり?」が飛んできた。
多分、そんなに遠くない。
僕が出るよ、と言い残して、マックスは地上に出て行った。正体の衝撃を更に高めたいらしい。えじきはマックスが迎えに出たと返信した。
「……」
果たして。
「……エレスチャルさん、で良いんですよね? さっきの内容的に」
数分後、地下室へ降りてきたハンドとエレスチャルはドアを開けるなり固まった。えじきがアカウントとやり取りしていた画面を見せると、ペールピンクの女性は恨みがましくマックスを振り返る。スーツ姿のハンドがぼやいた。
「全く……マックスさん、貴方という人は、お人が悪いですよ」
ハンドも姫とマックスとやり取りしていたため、背の高い女子高生から画面を見せられて笑いを抑えきれない。しかしその笑いは、緊張の解けた安堵から来ている様だった。
「ハハハ! sorry,頭脳派と言ってくれないかハンド~」
「腹黒のまちがいじゃね?」
ジョークを中学生に切られて肝を冷やす男たちを尻目に、エレスチャルは自分の画面とえじきのものを今一度見比べると、額に手を当てて唸る。
「やられたわ……」
「まだです……今日はこの場でセッションしようかなと思います」
えじきは努めて冷静に言葉を発した。エレスチャルがその瞳をチラリと伺う。その目は、展望台で彼女が多くの者に向けてきた色と同じ様に思われた。
「……あの時の仕返し? 遠まわしに、今の私は証明不足だって言いたいの?」
少し棘のある声音が、地下室に響く。
「エリー、落ち着いてください。落ち着いて……」
ハンドは慌ててエレスチャルに声を掛けた。だが彼女は大きく息を吐くばかりで、それには応えない。
やがて彼女は頭を振った。自分へ向けて。
「なるほど……私も裏切る側になってたってワケね。状況は違っても、エジキ・アイバ、貴女には私と同じ思いをさせてしまったようだわ……」
彼女は口の端に自嘲を滲ませながら、ほぼ一人で納得しようとしていた。
「私の誇りのためにも証明させて欲しいけれど」
「で、ですがエリー、私たちは今、セッションのために必要な楽器を持っていません……」
成程、それは確かに切実な事態だ。セッティングした身で思うのもアレだが、なかなか皮肉だなと思わせるシチュエーションである。だがもう少しだ。えじきはもう少しだけ生意気なことを言っておきたかった。対等なバンドのメンバーとして。
「……できるよ。二人ともCD持ってんでしょ? 生で弾くのは私だけのつもり」
えじきはポツリと本音を零した。みんなの表情が、それぞれ驚く。
「……大の大人に向かって生意気言うけど、この状況、あの時と併せて考えるとマジお互い様だよね」
姫Chaaan!は体験の共有者として。いおりはライバル陣営として。マックスはイオリみたいなこと言った! と思って。エレスチャルは相手を高校生として。ハンドはリーダーと確信して。
「なら、そう思いながら何故、貴女は私たちに実演を望まないの? この方法は、貴女に証拠を求めた私たちへの意趣返しなんでしょう……?」
意味付けが定まらず、エレスチャルは疑問を投げかける。えじきは大きく首を振った。
「それだけじゃないよ。実は、わたしがここでセッションしたいのはもう一つ意味があって……別の身近な人に私が饗庭えじきだって告白したいからでもあるんだよね」
一区切りすると、防音ブースの方へ向かう。
「まぁ、それを信じるかは向こう次第なんだけどさぁ。私は、これまでのやり取りでみんながメンバァだってことを信じてる。要は、とりあえずベストな自分を見てもらいたいんだよね。で、私の納得と自己満足と告白と、相手がどういう反応するかは別」
地下室に良く響く声でそう言いながら、彼女はブースの中から愛用のギターを取り出した。木製エレキで上品な音色を暴れさせるのが、彼女は堪らなく好きなのだ。
ハンドの顔がふわりと明るくなった。
「それじゃあ、本当に、本当に……貴女がエジキ・アイバなんですね……!」
「照れるなぁ。でも、それは演奏見てから信じてほしい、なんて」
「一度に幾つも表明しようとし過ぎよ。はぁ……最初から疑う者は、疑われる……貴女や姫への態度、本当に悪かったわ。二人ともごめんなさい」
エレスチャルは腕を腰に、やれやれと息を吐く。その様子に、姫をはじめみんながほっと胸を撫で下ろした。
次の瞬間、
「けれど、エジキ・アイバ! 照れているようでは困るわ! 私はパイライトのメンバ、エレスチャルよ! パイライトのフロントマンなら、誇りを持って気高くいて頂戴!!」
ピンクのカラコンの入った瞳を見開き、拳で心臓を打った。
えじきも両手を腰に当てて胸を開いた。
「ならその誇りのために、協力してくれる?」
「するわ」
「ありがとう、エレスチャル」
ハンドは感極まって涙を拭った。今までのことを思い返せば感動もひとしおである。良い仲間に出会えたことを、Silver-sanに感謝しなければと思う。中南米男性のたおやかな涙を目撃し、せんさいだなぁ、と姫は思う。恐らく、彼はこれから更に泣くことになるだろう。勿論姫自身もどうなるか分からない。
丁度良いところで呼び鈴が鳴った。恐らく、ノゾミが約束の時間にやってきて、チャイムを押したのだろう。
「……は? え、ユー……どっから出て来てんの……?」
ノゾミはそもそもアイの家のチャイムを押した筈だった。だが開いたのはガレージの隅の謎の上蓋で、そこからユーが顔を出したのだ。
姫に招かれて、ノゾミが降りてくる。足音が聞こえる。えじきは自分の心臓が音漏れしている様な気がして、ずっと胸を抑えていた。
「え?」
ドアを潜ったノゾミの顔は、正に豆鉄砲を食らった鳩。
下手をすると目ん玉が落ちるかも知れない。
エレスチャルは理解した。なるほど確かに、この高校生はえじきと姫の友人らしく、一緒に自分たちに会いに来た。そして自分たちの出した要求と通訳作業に追い詰められて、エジキ・アイバはただの友人である彼女も含めて正体を明かそうと無茶をした。
もう彼女に隠しておくのは、無理なのだ。
「ノゾミ。饗庭えじきの隠れ家へようこそ。つっても、ホントはそこの一人用ブースがそうなんだけど」
「え、アイ……何、どういうあれなのこれは」
「私さぁ、こないだタワァの上で饗庭えじきですって言ったじゃん? あれ、マジだから」
「いやいやいやいやいや……ねえ、だって、マジ?」
「マジ」
「ユーは?」
「あたしも、パイライトの姫Chaaan!だよ。マジでほんとに」
「マジでホントに???」
「ホントホント」
ノゾミはえ~~~と言いながら力も抜けきって両膝を付いた。コントの様に四つん這いになって、笑い出してしまった。これではしばらく立つこともできないだろう。
「ここに今集まってるの、ガチで全員『真鍮もしくは黄鉄鉱』だから」
「え~~~! だってさ~、え! 信じらんないちょっと待って~~~~~ッッ!!」
全身を痙攣させて笑うしかできないノゾミに、えじきも姫も、他の皆も「それなら」とセッションSNSのアカウントを見せた。自分の目の前に揃ったストレートフラッシュに、普段から大袈裟な女子高生は一層息も絶え絶えに笑い転げた。
いや、転げるしかできなかった。他に何ができよう?
「それじゃあ、シルバーサンの謎はっ? 知ってたって事っ??」
どうやらノゾミはやっと最大の疑問を言葉にできたらしい。相当気になってたのだろう。えじきはあの電車内で、知っていることをありのままに話せなかった後悔が蘇る。いや、それはあの時より以前からの問題だったのだ。えじきは手の置き場がなくて、自身の首を掴む。
「いやぁうんあのぁ、あの名前とタグ自体は知ってたよ? でも……」
「あの方に関しては、私以外知らないと思います」
不意にハンドが手を挙げた。だがノゾミは息を整えるのに必死で良く聴いていない。彼女を置き去りに、メンバー全員の視線は、新たな事実を求めて一斉に彼に注がれた。ハンドはそれを若干受け切れず、身を縮めた。
「ハンド、どういうことだい?」
「私は……実際に会いに行ける機会を得たんです。SNSのフォロワーの中で、一人同じ市内に住んでる音楽仲間がいて……その仲間の祖母……お婆さんだってことが分かったんです」
「「「「「えぇ!?」」」」
全員の感嘆符が地下室を埋め尽くす。
「ですが、彼女は、もう……もう亡くなっていました」
ノゾミは、その感嘆符がスゥッと消えていく様を、口を挟まず見ていた。
みんなが沈黙する他無かった。
「……今はそのアカウントを、孫である仲間が消さずに管理しています」
「だからか」
「さいきん、ぜんぜんでてきてなかったもんね……」
「え、何? アイ、何て言ってたの? てかユーそんな結構喋れんだね英語」
まだ全然だと言って顔を覆う姫を眺めつつ、えじきはノゾミに一連の流れを説明した。
「……そっか……何か、マジでドラマみたいだね。シルバアさんは皆が好き、皆もシルバアさんが好き。でも、ここに集まったメンバーと、シルバアさんは永遠に会えない……」
本当にその通りだった。みんな、彼女の何気なくて、それでいて新鮮な旋律に惹かれて集まった。電子ピアノの単音が不思議だった。『CAKE』を作った時も、みんな自分たちの音楽がどんな風に聴こえるか気になっていた。いや、えじきの様に、聴かなくても良い等と言うツンデレも勿論存在する。それでも、一度はどんな人か、会ってみたらどうなるだろう、どんな人だろうと想像する日もあったのだ。だがその機会はメンバー全員の預かり知らぬところで、永遠に失われてしまった……。
「済まない、みんな……済まない、私が湿っぽくさせてしまって……」
「ううん……Silver-sanのこと、ちょっとでもわかってよかったよ」
「そうだよ! Thank youハンド!」
しょげるハンドに、姫とマックスが明るく声を掛けた。
ふと、いおりが何か思いついたのか、辺りを見回す。
「どした、いおり?」
「えじき台とかある? 今からセッションするなら」
ビ、とえじきの背に電流が走る。スマホを固定できる物のことを言っているのだ。地下室内を探し出す。
「録画して……送るのね? 彼女のアカウントに」
「いや直で聴いてもらう」
「! 今ここだけのものにしようっていうの? 時間も関係なしに?」
「ん。録画とか録音はえじきの計画に反するから」
えじきがカメラの三脚を持ってきた。この上にスマホを置けば完璧だろう。いおりは訴える様にハンドの方を見る。エレスチャルが腕を組んで言った。
「貴方のスマホで、Silver-sanのお孫さんとテレビ電話できるかしら? ライブを聴いてもらいたいらしいんだけど」
「……分かりました、連絡してみましょう。Silver-sanの……彼女への手向けになりますかね」
「だけど、何故残すとダメなのかしら?」
「えっえっ、待って、ねえセッションて???」
エレスチャルたちの視線は、急に慌ただしくなって途方に暮れるノゾミに向けられた。無理もない。大事な友人が二人もパイライトのメンバーで、しかも今自分の周りにいるのもメンバーで、いつの間にかCDが五枚も集まって、マックスがCDラジカセを用意していて、その上この場でセッションするというのだから。
頭上に疑問符を舞い散らしていると、ノゾミの両肩を叩く手があった。アイとユーだ。
「ノゾミ、聞いて……今から私ら、『CAKE』のセッションする。それは私の願いで、ノゾミにどうしても聞いてほしくて」
今ここでは饗庭えじきと姫Chaaan!で。
「だけど、できればきろくにはのこさないでほしいんだよね」
「うん。そう。ノゾミの心の中だけの、一生の宝物として、体験してくれると嬉しい」
「……」
しばし立ちすくむノゾミ。えじきは俯く彼女を覗き込む。
「今まで、ずっと黙っててゴメンね。ノゾミ。私、ぶっちゃけノゾミにこのこと知られるの、恐かった……勝手に怖がってた……ホントにゴメン!」
「あたしも、ノゾミだけじゃなくてね、ひとにしられたばあいの、さいあくのパターンばっかりかんがえてたとおもう。でもそれってノゾミのこと、しんじてないのとおなじじゃん? マジさいあくだよね……ホントにごめんね……っ!!」
「あ~でも分かる……私SNS使いガバガバだもんね……す~ぐ拡散しちゃうもんね。分かるわ~」
「でも、展望台に行った時に、もう隠しとくの止めようと思って」
「……」
「どう? ウチらのセッション、きいてくれる……?」
ノゾミは度重なる衝撃で、まだぼんやりと他人事の様に聞いていた。その場の誰もが、今や彼女が事態を飲み込むのをじっと待っている。
自分を待っているのだ、とノゾミは思う。そう客観してから、ようやく脳みそが元に戻り始めた。少し考えて、彼女は息を吸った。
「……それ、聴いてから考えちゃ、ダメ?」
「コラァ」
「ダメー」
「ウソ嘘ゴメン! 冗談です!!」
ノゾミがふざけると、いつも通りツッコミ。だが今日は、その芯の真剣で切実な様子が、痛い程溢れてくる。彼女は力を籠めて言う。
「聴いて心に刻む。約束する。マジマジ、本当に約束する! 私だって、これからも二人とは友達でいたいもん! ……第一、世界の秘密を知った正義のオタクが、そう簡単に重大案件バラしたりしないって!!」
「ホント?」
「ホントホント! メン・イン・ブラックに記憶消去された位の勢いで秘密守るから!」
そこまで言って、ノゾミは二人の肩にそれぞれ手を置いた。それから少し横を向いて、目をぐしぐしと拭う。えじきの目からも、釣られて涙が零れた。
「アイ、ユー、話してくれてありがと……墓まで持ってく」
「オッケー。こちらこそ……ありがとね……」
姫も涙を滲ませながら言った。
「エジキ、姫、仲間と連絡取れました。今すぐ、聴いてくれるそうです。Silver-sanの写真の前で……!」
「もう繋がってるんですって。私たちは準備OKよ」
「いつでもイケるけど」
涙を拭いて三人の女子高生が顔を上げると、CDのセットされたラジカセ五台が半円状にテーブルに置かれていた。
その前でマックスが手をすり合わせる。
「OK! じゃあえじきのCD以外はcollectできたし、後は同時再生するだけだね!」
「……ちなみに、えじきのジャケットは何のケーキの写真なの?」
「あぁ、ブルゥベリィのタルトだよ。食べられる花が上に乗ってんの」
「え何それめっちゃかわいい~!」
えじきの担当したギターのCD。できればこの目で確かめたいだろうが、それはまぁ、CD集めが続いて、運が良ければめぐり合えるだろう。正直、えじきは国内にあるとは考えていないので、いつになるかは不明だが。
えじきはふ、と笑う。この場にいる全員に小さくありがとうと言うと、テーブルに対面する形にマイクスタンドを置いて、ギターを肩にかけ直した。
ノゾミは挟まれる位置で、緊張と共にえじきの方を見ている。
静寂。
姫Chaaan!と、いおりと、マックスと、アレハンドロと、エレスチャルが、プレーヤーのスタートボタンを同時に押す。
順を追ってみんなの音が入り始めた。
そして
「 阿 」
饗庭えじきはコーラスを張り上げた。
ギターが暴れる。
《おわり》
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