はじまり様のほこら

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
緑に囲まれ山の中腹にあるその村は、その大きな川の始まりにあって、その川がすべてだった。 人々はその川を「はじまり様」と呼んで、一つの信仰を集めていた。 はじまり様は3年ごとの夏に一人、神隠しのように村の誰かをさらって行く。 それは男であったり女であったり、大人であったり子供であったりする。 村人は3年目の夏が近づくと、今年は誰かと戦々恐々として、夏になると下の村へと居を移す人まで現れた。 「母さんや」 「なんだい?父さん。 ああ駄目だよ、何度言わせるんだいこの子は、言うことをお聞き。 お前がいなくなったらと思うとゾッとするよ。」 外で遊べずにグズる次男をなだめる妻に、飯を食べる手を止め、夫がため息交じりに声をかけた。 その視線の先には、2年前の熱病から呆けてしまった12才の長男の姿が映る。 快活でよく家の手伝いをしてくれた姿は、もう見られない。 長男はあれからよだれを流し、言葉も喋らず一点を見つめ、時には粗相して困らせた。 村でも一番年若い、今年8つになる次男が夫婦のすべてだ。 言葉も早く覚え、頭のいい次男には、コツコツと金を貯めて本を与えては、何とかこの村から出て町の学校に通わせたいと両親の願いをこめていた。 「母さん、・・・・あの子を、はじまり様に・・・」 「な!何を言ってるんだい?!あんなになっても我が子だよ!」 「何も、何にも役に立たないなら、いっそ最後に役に立てることがあの子の為じゃないか。」 「何を・・何を言って・・・・・・そんなこと・・・・・」 「村長が、十分な礼をすると、言ってくれたんだよ・・・」 うろたえながらも長男から目が離せない。 二人が迷ってできるだけ話をそらすその夜、長男が茶碗を壁に投げて立ち上がり、トイレも忘れて粗相してしまった。 「あああ・・・・もう駄目だ、限界だよ。もう・・・・」 涙をこぼしながら後始末をする妻に、そっと夫が肩に手を置く。 夫婦は黙ってうなずき合い、翌日村長に願い出た。 長男はその夜、川で綺麗にみそぎを済ませ、はじまり様のほこらの前の川の中、縛って目隠しをされ、村の男によって身体を横たえられた。 祝詞が響き、美しく清らかな水が、長男の首まで浸かる。 両親が手を合わせ、見守リながら声を上げた。 「どうか、どうか、また生まれ変わったならば・・・」 母親の嗚咽の声が聞こえる。 村長が長男の身体を支える男にうなずく。 そっと、村の男が手を離そうとした。 顔を見ないようにと目を閉じた時、ささやくような声が聞こえた。 「ありがとう、おせわになりました」 ハッと目を開くと、長男は穏やかに微笑んでいる。 男が思わず村長に目をやる。 村長は、何度も厳しい顔でうなずく。 「すまねえな」 男がそうささやくと、長男はそっとうなずいた。 手を震わせる男が、そうっと長男の顔を浸して行く。 そして、とうとう手を離してしまった。 長男が、水を吸い苦しさの中でたまらずもがく。 目隠しが外れ、乱れる水の流れの中、ゆらゆらとかがり火が見えた。 苦しい・・・意識が遠のく。 たすけて・・・・たすけてぇ・・・・・おかあさ・・・ん・・・・ 長男の動きが止まり、水の表面のさざめきが消え、そこはまた静かな川がいつもと変わらず横たわっている。 村人に支えられ、涙に暮れる両親達は川を離れていった。 長男の胸がほのかに輝き、そこから一匹の銀色のヘビがするすると現れた。 ヘビは川の始まりへと川を遡って行く。 そして始まりの場につくと、水の湧き出る源泉の池へと入っていった。 ボンヤリした人影が、水の表面から立ち上がる。 泳いできた銀色のヘビをすくい上げると、ヘビは小さな白い髪に変わった長男の姿に変わった。 「小さき子の身で、よう・・・がんばったのう・・・・」 「はい、お会いしてのち、物言わず、感情を出さず、2年で命を絶つ決まりを守りました。 どうか、お力をお貸し下さい。」 「よかろう、汝は戒めを守り抜き、我が眷族となった。 汝に力を貸そう。」 ホッとして、白髪の長男はにっこり笑う。 「あの大切にされている弟が・・あの子がいなくなったら、そう思うと両親は私がいなくなる以上に悲しむと思います。 私は、あの子を守りたいのです。」 「うい子よ、親にとってどの子を失っても哀しみは変わらぬ。 だが、お前の思いは3年ごとに現れる姥の子鬼を封じよう。」 「小鬼の相談の声を聞いてから・・・・ ああ・・・・あの子を食べると言う声を聞いてから・・・僕は、ずっと戦っておりました。 はじまり様にお助け頂けて、僕は・・・私は・・・・・」 長男の目から涙がこぼれる。 やっと、自分の気持ちを吐露することが出来て、彼はようやく解放された。 「我が声聞いても、これまで2年、耐えた子はいなかった。お前との約束、我は守ろう。」 そう告げて、はじまり様は水を巻き上げ龍となった。 姥の小鬼は山の頂上、山神様のほこらに現れる。 そこは聖域となって人々を寄せ付けず、何か強力な術がほこらを守っていた。 ほこらは異界と時折繋がり、小鬼が誰を食べるかと相談に山を下りてくる。 山の神は3年おきに一人と決めて、人が増えないように村を襲わせた。 山の頂に来ると、はじまり様はほこらに向けて降り立ちとぐろを巻いた。 山の神が怒り、鹿の姿で現れる。 「何をする!ほこらを壊すな、姥の小鬼が出てくる日ぞ」 「出てくる日だから待ち伏せるのだ、わが夫よ。 我の怒りに目を向けぬお前には愛想がついた。 何も言うまいと思っていたが、眷族から意見されては滅ぼさずにどうする。」 「何を言う!これは必要悪だ、人が増えるとろくな事は無い。 お主の川も汚れ行くだろう。」 「よい、それが神の采配ならば受け入れよう だが、異界の鬼は神の範疇を超える。 3年に1人が2人になり、3人になる。 汝はそれを受け入れるのか? 人が消えれば山は荒れ、土は崩れて川を埋める。 何が違うというのか。お前は私を殺しても構わぬと?」 山の神がグッと言葉に詰まった。 ほこらが開き、黒い煙が渦巻いて、姥の小鬼がやってくる。 龍は頭をもたげて空を仰ぎ、雷雲を呼ぶ。 ピシャッ!ドンッ!ガーーーンッ!! 雷は龍の身体を駆け巡り、ほこらごと小鬼達を焼き尽くした。 山の神が首を振り、仕方なく異界の門を閉じる。 それから、村は3年ごとに人がいなくなる現象はなくなった。 村から恐怖が消えて、穏やかな日々が人々を満たし、開墾が進み村人は豊かになって行く。 数年後・・・ 雨が降る日の夕暮れ、母親が裁縫をしていて、ふと庭を見る。 一匹のヘビに、眉をひそめて払おうかと腰を上げた。 「おかあさん」 声に、懐かしさを感じて顔を上げる。 そこには白装束に、白い髪の少年が立っていた。 息を飲み、そして涙がこぼれる。 瞬きをした瞬間、その姿は消えていた。 慌てて縁側に出てあたりを探す。 「お母さん、どうしたの?」 次男が、不思議そうに背後から問うた。 「ああ・・・ ああ・・・・ あの子が、あの子が、いなくなってしまったよ・・・・・」 雨が、涙のようにさらさらと音を立てていた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!