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劣化したコンクリートの崩れかけた感触を靴の裏に。
季節外れの生ぬるい風を頬に。
遠い街灯の心細い明りを遠く恋しく思いながら、必死に歩み続ける男はほんの一時間前にいた馴染みの駅を夢想した。
数十分程度の残業は時折あるものの、トラブルが重なったとはいえ三時間を超えたのは初めての経験だった。
いつもと違う退勤時刻。街は雰囲気が違っていた。
ガラガラに空いた電車を降り、本数の少なくなったバスの時刻表を確認し、そこで次のバス停まで歩くかと思い立ったのは日ごろの運動不足が頭の端にあったからだろうか。
慣れない残業で心身ともに疲れ果てていたはずなのに、なぜそのような心持ちに至ったのか、今となっては思い出すことができない。
バス停は大通り沿いに設置されている。
道は複雑ではない。曲がり角もあれば道なりにカーブする部分もあるが、大通り沿いという意味ではほとんど一本道のようなものだ。
毎日、バスの窓越しに見ていた景色は確かに視点が変われば多少は違って見えるだろう。
それにしても、おかしい。
知った街のはずだが違和感があまりに大きすぎる。
このあたりは繁華街ではないが建物が並び車通りも少なくない。
真夜中になれば消える明りもあるかもしれないが、今は二十一時も越えておらず、夜中というには少し早い。
暗すぎるのだ。
足元を照らすはずの街灯の間隔が広すぎて、薄暗い足元は相当に心もとない。
夜にこのあたりを歩いたりバスで移動したりしたこともあるが、こんなに明りに不安を覚えた記憶はない。
暗さに加えて人けのなさも不安をかきたてた。
もう五分以上、人とすれ違っていない。人通りの多い道ではないとはいえ、さすがに少なすぎるように思う。
ビルや民家、マンションは並んでいるが客商売をしているような店は見当たらず、店に入って店員をみつけることもできない。
民家の呼び鈴を押せば住人が出てくるだろうが、不安の解消のためだけにそんなことをできるほど太い神経を、男は持ち合わせていなかった。
アスファルトの地面はいつの間にかコンクリートになっていて、そのコンクリートの道路もひび割れや崩れが目立ってきていた。
靴裏ごしに感じる悪路は徐々にひどくなっている。
これはもはやコンクリート道というより砂利道に近いのではないか。
そう思った瞬間、ぞわりと全身に怖気が走った。
こんな道は無いはずだ。
そもそもコンクリートの道も無かったように思うが、普段はバス移動だったために気付かなかっただけかもしれないと自分に言い聞かせるように誤魔化してきた。
しかし最早ここへ至っては誤魔化しのきく範囲ではなくなっていた。
目前の砂利道は緩くカーブしながら、ずっと続いている。
道の横に並んでいる建物は、記憶よりも背が低く、やたら民家が多く、そして和風建築が増えていた。
民家の間には田畑も混じっている。
確かに大都会とは言えない街だったが、ここまで田舎では無かったはずだ。
どうあがいてもLEDではなさそうなオレンジ色の小さな光が広い間隔で三つ。
その向こうには、最早一本たりとも街灯が存在しない。
左手側に見える山は、見覚えのある形をしている。良く見知った山の稜線。
思わず振り返り、歩いてきた道を見る。
知った山と、知らない田畑が当たり前の顔で共存している。
道標のように縋った街灯の光は無い。
降り注ぐ月はおそろしいほど明るく、明るく、明るく……
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