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7
ケイは櫟の古木の節くれだった根元にしがみついていた。
自分の名を叫んだレイの声は、レイの背中から落ちた瞬間臀部に走った衝撃とともに消え、その後二度と聞こえてはこなかった。
大きくズルッと滑ったレイの足跡も、濁流に流れ込む泥水がまるで何事もなかったかのようにかき消していった。
しばらく呆けたように濁流を見つめていたが、ケイは我に返り川下に声の限りに叫んだ。だが濁流と風雨の荒々しい叫び声が返ってくるだけで、レイの姿は濁流のどこにも見えなかった。
突然、青紫色の閃光がパッと走った。
山中にモノクロの輪郭が残った。ケイは首を激しく左右に振った。
友達だと思っていたのに、ニタニタと笑い合う性悪な顔の樹々が見えた。枝葉をざわざわと揺らし、一斉に川下を射しているかのようだった。
ケイは憑かれたように立ち上がった。
足首に激痛が走ったが構わない。ケイは歯を食いしばって、1メートル、2メートルと、懸命に川下を目指した。
しかしいくらも行かないうちにケイは木の根に躓いてしまった。頭を擡げると、やはりゲラゲラと派手に笑い合う樹々の視線が降ってきた。
再び閃光が走ると直後爆音が轟いた。
思わず瞑った目を恐る恐る開けると、対岸の大木が真っ二つ裂けていた。裂けた痕に沿って火柱が灯っている。
しばらくすると火柱は動き出し、右側半分は隣の木に引っ掛かり斜めになって止まったが、左側はそのまま地面まで崩れていった。
大木はバキバキと大きな音をたてて倒れていったはずなのに、ケイの耳は無が支配し何も聞こえなかった。
ケイは呆然とした表情で辺りを見回したが、見える景色はモノクロで雨の匂いもいま手に触れている枝の感触も何も感じることは出来なかった。かわりに激しい頭痛をともなった耳鳴りが襲ってきた。
それは長く響く汽笛のようなノイズだった。ノイズはことの顛末に至った頑固なケイの性格を責めているかのように、重く太くケイの耳の中で響き続けた。
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