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 そこは緑で覆われた夏山の斜面。  小鳥のさえずりと樹々のささやきが風鈴のように暑さを和らげる。懐かしい草花の香りもベンチの奥に迷い込む一陣の風に乗って香ってくるようだった。景子は記憶を取り込むように大きく深呼吸した。  途端、香りの中から小さな男の子の声が聞こえてきた。  ――なあケーイ、ほんとにそんなもんあるのかなぁ?  疑心暗鬼の彼の傍で散々文句を垂れているおさげの女の子。花曇りのスクリーンに、束の間、少女の笑顔と声が溢れ、そして消えて行った。  景子は緩く微笑むと、小さく溜息をついた。  思わず、「レイくん……」と呟いた彼女の哀愁に満ちた声、けれどどういうわけか幼なじみの顔は全く思い出せない。   空に描いた彼の映像も、あの白い雲のように真っ白だった。彼のお母さんや子供の頃交通事故で亡くなった景子の両親の顔はよく覚えているのに……。  伯母に引き取られる前、景子の名字は咲坂(さきさか)だった。  ちゃんと自分の名字だって記憶している。  それなのに、すごく親しかったはずの彼のことは、名字すら脳裏の片隅にも浮かばなかった。レイという名前も渾名だったのか本名だったのか怪しい限りだった。   10年以上も経てば、そうなのだろうか。  どんどん薄れていく残像は限りなくあやふやで消えないでと手を伸ばしても、すがりついても、儚く無慈悲の(もや)へと消えて行く。  それが当然だとは思っていてもここまでキレイに思い出せないなんて、不思議でならなかった。
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