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 母から風の神様の物語を聞いた日のことはよく覚えていた。  それは集落が湖の底に沈むことになって、引っ越し先がレイくんとは違うってことがわかって、それがどうしてもいやで、景子が足をバタバタさせて駄々を捏ねまくっていたら教えてくれた物語だった。  母の膝の上で聞いた物語の夜は土砂降りだった。  夏の嵐が死に行く村の咲坂家にも容赦なく襲って、裏山から飛来する枝葉が幾度となく雨戸をバキバキと叩いていた。そのたびに何処からか避難してきた1羽の蛾が、四角い笠の付いた照明具の周りを飛びまり、ちゃぶ台と畳敷きの居間に朧気な影を落としていた。  虫の知らせに思えてならなかった。  それは物語を聞いた前日のことだった。  不可思議な声を聞いた。  その日、引っ越すと聞かされて、景子は泣きながら外に飛び出して丘の上まで走って行った。その頂で見た西の空は真っ赤で、太陽が泣いているように真っ赤で、そしたら不意に太陽の方角から声が聞こえてきた。  ――ケイちゃん、私を探しなさい。大好きなレイくんとは、もう二度と会えなくなるわよ。  空耳なんかじゃない。  辺りに群生する熊笹やススキの囁きとも違った。夏虫の鳴き声と聞き間違えたわけでもない。まるで太陽が喋っているように、たしかに景子は聞いた。  たしかに聞こえたから、ちゃぶ台にぐるぐると落ちる蛾の影を見つめていたら胸に声が溢れて、言葉が現実になるようで、景子は怖くてしかたがなくなった。  だから探した。  風の神様の物語を聞いて、五つ葉のクローバーを――。
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