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あと一時間で、8月31日が終わる。
真っ暗な天井をにらんでいた私は、
仰向けのまま枕元のスマホをひっ掴んだ。
画面をつけて、グループメッセージを検索する。
何も変わっていないことがわかると、
スマホを頭の横に放り出した。
眼をチカチカさせる光が消えると同時に、
身体の上から薄い掛け布団を跳ね飛ばす。
廊下は真っ暗だった。
両親の寝室も、リビングも。
閉じられたカーテンの向こうには、
マンション七階のベランダがある。
そっと裏側へ滑り込み、窓を静かに開けた。
ぬるい夜風が流れていた。
明かりの少ない、寝静まった夜景が眼に飛び込む。
本来なら、私も眠っていなきゃいけない。
でも眠れない。眠りたくない。
そんなことをしたら、
本当に8月31日が終わってしまう。
制服を着て、学校に行って。
そして、また真由達と顔を合わせる。
空には月が浮かんでいた。
一見まるいけれど、
よく見れば端が足りない。
満月を十五夜と呼ぶのなら、
今夜は十三夜といったところか。
本当は欠けているくせに、
まるで満月みたいに夜を照らす。
偽物め。
妙に忌々しくなって、
私は金色の月明かりを睨みあげた。
月は知らん顔で雲の輪郭を光らせる。
子供がクレヨンで描いた絵みたいな、
立体感のない雲だった。
手すりから乗り出して、雲の輪郭を眺める。
本当に、ただ線だけが空を走っている。
月を中心に枝分かれするいびつな線は、
月光の外まで広がっているようだった。
「雲じゃなくて、ひびみたい」
投げやりな声で独りごちる。
「おやおや。よくわかってるじゃないか」
応じるように、耳元で声がした。
奇妙なほどに、そして同じくらい自然に、
聞き覚えがある声音。
空耳ではない。
ゆっくりと左を向く。
月明かりを浴びる七階のベランダに、
もう一人が立っていた。
“私” だった。
私の顔が、私を見ていた。
黒いローブに、頭をすっぽり覆う黒いフード。
眼が合えば、にっと瞳を細めて笑う。
「あんたもひびを広げた一人だろう?
一体全体、何があったら空の月まで届くほどひび割れることができるんだい?」
他ならぬ私自身の声が尋ねる。
夢かもしれない。唐突に思った。
だってそれ以外説明がつかない。
そう考えたらいくらか気が落ち着いて、
同時に少し落胆した。
いつの間に眠ってしまったんだろう。
これが覚めたら、私は学校に行かなきゃいけない。
そんなのは嫌だ。
夢を長引かせたくて、目の前の私に口を開く。
「わかるでしょ。私なんだから」
黒いフードの中で、私の顔がおかしそうに笑う。
「違うさ。あたしはあんたじゃない。
あんたには、よくわからないものが自分の姿で見えるんだね」
「私じゃないの? だったら、誰」
「誰でもないよ。
あんたにとっちゃあ誰でもない。
そんなことはどうでもいいのさ」
目の前の私が一歩近付いてきた。
月光がフードをわずかに透けて、
見慣れた顔を見慣れない形に照らし出す。
「さあ、聞かせておくれ。
あんたは何をそんなにひび割れているの?」
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