1383人が本棚に入れています
本棚に追加
/104ページ
学園祭まであと1ヵ月
その日の夜、いつものようにあの男が俺のバイト先である高級カフェへと訪れた。
「龍ヶ崎様、いらっしゃいませ」
一礼をした後、俺は彼の定位置である窓際一番奥の席へと案内する。
今夜の翔琉は珍しく上下ネイビーのスーツ姿だった。頭のてっぺんから爪先まで一部の隙もなくびしっと決まっている。撮影の合間に抜けて来たのだろうか。
10月からの新ドラマで、翔琉は海外赴任から戻ってきた主役のエリートサラリーマン役を演じることになっている。俳優である翔琉のスーツ姿は貴重である為、思わず俺は無言で見蕩れてしまう。
……わ!やっぱりスーツ姿も似合うな。
ドラマの中での設定だけど、こりゃ相手役の女優さんも二股かけたくなるカッコ良さだよなぁ。
他の客がいる手前、見蕩れていることを顔に出せない俺は無関心を装いながらいつも通り翔琉からのオーダーを待つ。
「今夜も10時までか?」
グレーの瞳が前髪で邪魔されることがないようオールバックヘアとなっている翔琉が俺を上目遣いで見つめる。オフィスドラマのせいかいつも茶色の髪が漆黒に染められていた。
上目遣いは反則だな。
しかも九等身のスタイルに、黒髪、グレーの瞳って少女漫画に出てくる登場人物みたいじゃないか。
実際にこんな人物が存在しているなんて……
黒髪にスーツ姿という見慣れない翔琉の姿に俺は内心酷く興奮してしまう。
「颯斗?」
心配そうに翔琉は俺の顔を覗き混む。
「え、あ!」
アップに耐え難い整った翔琉の顔を眼前に認めた俺は慌て我へと返る。
「おい、どうした?」
「あ、いや。すみません……いつも通りホットコーヒーブラックですか?」
見蕩れていたせいで翔琉の言葉を完全に聞き逃してしまっていた俺は、いつも翔琉が頼むメニューを口にしてしまう。
「……颯斗、仕事中に考えごとか?」
小さく溜息を付きながら翔琉が尋ねる。
「あ、いや……申し訳ございません」
意識が疎かとなっていた原因がたとえ翔琉自身だったとしても、接客中に目の前の客を放置してしまう失態に俺は酷く気落ちしてしまう。それ程、翔琉の見た目が罪作りであることを証明している。
「何かあったのか?」
目の前のこの男は、俺が翔琉に「見蕩れていたせいだ」なんて微塵も思わないのだろうか。
否、俳優だから周囲から受ける熱っぽい視線なんて当たり前で、俺が見蕩れていたことすらも気が付かない程日常的に沢山の人から見られているのかもしれない。そう考えたら少しだけ俺の胸はちくりと痛んだ。
最初のコメントを投稿しよう!