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「佐竹加奈子さんでお間違いありませんか? ――はい、結構です。こちらにサインを」
まだ暑さの残る初秋の午後。
俺は一軒の農家の土間で、宛先人に書留のサインを求めていた。目の前の60代半ば程の女性は、郵便局の制服姿の俺を特に気にもとめない様子で、俺の手から一通の封筒を受け取る。それは彼女に宛てられた、恐らく息子さんからの手紙だ。
「――では」
俺は彼女が手紙を受け取ったのを確かに確認すると、すぐさま踵を返した。早くここから立ち去る為に。
「待って」
けれど、呼び止められる。
――またかよ。
そう思うのと同時に俺の背中に突き刺さる、苛立ちの込められた女性の声。そこに侮蔑の感情も混ざっているように感じるのは、恐らく気のせいではないだろう。
「これ――受け取れないわ。悪戯よ。差し戻してちょうだい」
――あぁ、これで何度目だろうか。俺は心中で深い溜息をつく。
そもそも差し戻しなど絶対に出来ないのだ。それに受け取り拒否されてしまったら、俺のノルマが達成できない。
俺は顔に笑みを張り付け、女性の方を振り向いた。
「申し訳ございませんが、差し戻しは不可となっております。必要なければ、そちらで処分して頂いて結構ですから」
なるべく声を押さえて、申し訳なさげに告げる。
すると女性は絶句し、顔を強ばらせた。俺はその姿を他人事のように感じながら、もう一度だけ頭を下げる。
「――では、これで」
そして今度こそ、逃げるようにその場を後にした。
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