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0 京都には、夢が叶う宿がある
「ようやく、見つけた……!」
京都の町じゅうを歩き続けたわたしの脚はもう、棒みたいに固まっていた。
泊まると、夢が叶う宿が京都にあるらしい。
そんな噂を聞きつけたわたしは、情報源をさぐった。
夢をかなえた当人は、大学の先輩の友人の友人だった。
写真家の卵だったそうだが、その宿に泊まって京都の風景写真を撮ったところ、大きなコンテストで賞を取り、さらには個展まで開いて大盛況だったらしい。
その話に、わたしは飛びついた。
わたしも、泊まりたい。
宿の噂を仕入れてきた先輩を突っつき、さらに話を詳しく聞いたところ、問題の宿は芸術家のみ泊まれるとのこと。
しかも、一日ひとりしか泊めないとか、宿泊施設とは思えない話が次々と出てくる。空前の京都観光ブームの時代なのに。
けれど、もっとも困ったのは、宿の連絡先も住所も分からない点。名前だけは聞けた。『狐庵』(こあん)というらしい。
件の写真家に、直接連絡できればいちばんよかったのだけれど、今は撮影でフランスに長期滞在しているという。
掴んでいる情報としては、もうひとつ。
宿が『京都の、この世とあの世の境目にある』、ということ。
東京生まれ東京育ちで、絵描きになるべく芸術大学をなんとか卒業したがキャリアもなく、数年が経っているわたしは焦っていた。
早く、売れたい。でも、いい絵が描けない。
詳しいことはほとんどなにも分からないまま、わたしはとりあえず一週間分の着替えをバッグに詰め込み、東京駅の構内で京都のガイドブックを一冊買い、あわただしく新幹線に乗った。
絵画の道具は、持たなかった。
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