872人が本棚に入れています
本棚に追加
/32ページ
3.
翌日は土曜日だった。
早朝から、本宮家にはただならぬ雰囲気が漂っていた。
父親はギクシャクとした動きで、新聞を逆さまに読むという古典的なギャグに似た行動を取っていたし、キッチンでは母親と姉があーでもないこーでもないと相談しながら、運動会の豪華弁当でも作っているかのように食材を広げている。
陽太は、時計を見た。
そろそろだ。
「父さん、俺、エントランスまで行ってくる」
そう声をかけると、父親はギクリと肩を揺らした。
「そうか」
彼は短くそう答えた。
その表情は、少し固い。
そして、どことなく疲れているように見えた。
昨夜、遅くまで話していたから、というだけではないだろう。
陽太はもちろん子どもを持ったことはないから、父の気持ちはわかってあげられない。
そしてこれからも、鷹城とずっと一緒にいるつもりなら、たぶん一生わからないだろう。
息子に、同性の恋人がいる、と打ち明けられた父親の気持ちは。
両親にそれを打ち明けるのは、とても勇気が必要だった。
割とサバサバとしている母は、思っていた以上にあっさりと陽太の告白を受け入れてくれた。
しかし、父は。
同じ男だからだろうか。
難しい顔をして黙り込み、それから、様々な質問を投げかけてきた。
陽太は小さな頃から恋愛対象が同性だったのか、とか。
相手の男は同級生なのか、社会人ならば何をしているのか。
付き合ってどのくらいなのか。
相手の家族構成は。
相手の家族は陽太と付き合っていることを知っているのか。
相手のご家族はどんな仕事をしているのか。
陽太はその一つ一つにわかる限り一生懸命答えた。
相手が、実は高校のときにずっと家庭教師をしていてくれた鷹城なのだ、ということもちゃんと話した。
当時、鷹城の仕事について嘘をついていたことも、仕事の関係上どうしても嘘を吐かなければならない事情があったことも、全部話した。
父親は正直だった。
同性同士の恋愛について、自分には理解できない。
余所の人のことなら差別するつもりはないが、自分の子どものこととなると、どうしてもすんなり受け入れることができない。
普通に可愛い女の子と付き合うのは無理なのか、自分の育て方が何か悪かったのではないか、そういうことを考えてしまって。
そうではないんだ、ということを、陽太は根気よく説明した。
同性が好きなわけじゃなくて、鷹城さんのことを好きなだけなんだ、と。
好きになった相手が、同性だった。
鷹城さんと出逢うまで、こんな気持ちになったことはなかったから、元々同性が恋愛対象なのかどうかはわからないけれど。
でも。
彼に笑っていて欲しい、その笑顔をずっと見ていたい、そう思うから。
例え、今すぐには父さんが納得してくれなくても、何度でも話をするから。
鷹城さんの隣にいられることが、陽太にとってのかけがえのない幸せなのだ、と。
そして、ずっとずっと幸せに笑っているから。
あのひとと一緒にいられれば、幸せに笑っていられるから。
お前の口から、そんな大人みたいな言葉を聞くときがくるとはな、と父親は少し肩を落として言った。
子どもの頃は、物凄く大きく広く感じた肩だ。
陽太の父も、成人男性としては平均より小柄なほうだから、多少陽太よりは背が高いとはいえ、今はそんなに目線が変わらない。
父が一回り小さくなった気がして、陽太もなんだか胸に詰まる何かを感じた。
二人は昨夜、長い間そうやって話をしたのだ。
そして。
陽太は、エントランスに降りた。
鷹城がそろそろやってくるはず。
昨夜、鷹城との電話で「両親に恋人として紹介したい」とお願いすると、彼は陽太が急にそんなことを言い出した理由を問うこともせず「本来なら俺から言わなければいけないのに、陽太に言わせてしまったな」と、すぐに快諾してくれたのだ。
鷹城は遠目で見てもすぐにわかる。
まるでランウェイを歩くモデルのように優雅な足取りで、すれ違う人の目を釘付けにしながら、陽太を見つけてニッコリと笑った。
今日の彼は、ダークグレーのシングルのスーツに淡いグレーのネクタイで、あえて同じ色に揃えているけれどもその濃淡が綺麗にまとまっている、とてもきっちりとしたスタイルだ。
そのアッシュグレーの髪もカッチリとセットされ、それほどソックリなわけではないけれども一応、アオイに似ている顔を誤魔化すために生やしていた髭を綺麗に剃って、サングラスの代わりに細いシルバーフレームの眼鏡をかけている。
トータルの印象は、イギリスの上流階級の紳士のようだ。
「時間に遅れてしまったか?」
腕時計にチラリと視線を落としながら、そう言う鷹城もどうやら少し緊張しているようだ。
「大丈夫です……今日は、ありがとうございます」
「お礼を言われることじゃない。君をご家族から黙って盗み取るつもりはないから……ちゃんと話をする機会を作ってくれてありがとう、陽太」
最初のコメントを投稿しよう!