第2話 届かない支出報告書の行方

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第2話 届かない支出報告書の行方

 ドサッと、あまり嬉しくない音がした。  それが自分に向けてでなく、この部屋にいるもう一人の人間に向けてであったので、ホッと内心で安堵する。  だが、そのもう一人。今年で17歳になる青年の顔はみるみる引き()って、嫌だと言外に訴えていた。  彼の机に書類を積んだ、まだ若くすらりとした、ほんの少し茶色がかった髪をアップにしてバレッタで()めた女官は、その表情を見ても気にも留めずにさらりと流し、必要な諸々(もろもろ)の説明を始めた。 「以上がこの書類の内容になります。ご確認をお願いします」 「・・・・・・ご確認」  見たくもないと言わんばかりに指で書類の(たば)()まんでパラパラと見るともなしに(はじ)く。  それを彼の隣で眺めていたこの国の第一王女である鈴香未沙(すずかみさ)は、二人の様子をくすくすと楽しそうに笑いながら見守っていた。  この国、竜華燕(りゅうかえん)国は、ぽっかりと海に浮かぶ歴史ある島国である。  気候はきちんと四季があり、北の方では冬に大雪が降って雪かきが必須になるくらいであり、南の方の夏は、サウナのように暑い日々が続く。  年号は竜蘭(りゅうらん)で示され、代替(だいが)わり等で変わることなく使われていた。  竜蘭(りゅうらん)2335年 4月  ここ、竜華燕(りゅうかえん)国国王宮廷(通称:王宮)に暮らしている人々は実に平和な日々を送っていた。  その王宮の南棟1階にある自習室で、未沙姫の勉強を見ていた彼、りなの兄である宮木架名(みやぎかな)は嫌そうに顔をしかめ、笑う姫にじとっとした目を向ける。 「姫、笑い事じゃないです」 「ごめんなさい、架名。だって、あまりに嫌そうな顔をするから」  堪えられないとばかりにくすくすと笑う姫を見て、架名が渋面(じゅうめん)を作って積まれた書類に視線を移し、それから持ってきた女官に目を向けた。 「嫌ですよ。何この量。何でこんなに()まってんの?」  むうぅと口を(とが)らせ文句(もんく)が含まれたセリフをぶつけると、女官はその疑問には答えず、ポジティブにも前へ進む為の連絡事項を口にした。 「架名様、折角の美人が台無しですよ?この書類、今日中に片付けて下さいね?」 「俺、美人って言われても嬉しくない。てか、今日中とか絶対無理。何のいじめかなぁ小雪(こゆき)さん」  小雪さんと呼ばれたこの女官、香村小雪(こうむらこゆき)は、財務大臣を(つと)めた香村秀章(こうむらひであき)の一人娘だ。  両親を亡くし、暫くは親戚(しんせき)の家を転々としていたが、訳あって現国王 鈴香牧(すずかまき)戸籍外(こせきがい)養子(ようし)として引き取られ、現在は国王夫妻の側仕(そばづか)えを主に勤める女官として働いている。  才色兼備(さいしょくけんび)でなかなかしっかりした性格の持ち主の為、その若さで次の女官長にと()されているが、その言葉に(おご)り高ぶることなく、誠実で真面目なその仕事振りから、周りからの信頼も(あつ)い。 「いじめてなどいませんよ?これくらい、一時間もあれば出来ますでしょう?」  「一時間とかありえない」と、架名が心の中で(わめ)く。口元がわずかにピクッと引き()った。 「架名、観念(かんねん)したら?今までだって勝てた(ためし)ないんだし」  未沙が結末が分かった表情で架名を見やる。その架名は、そう簡単に(あきら)めるつもりはないらしい。 「姫、挑戦する心を失くしてはいけません!何度駄目だろうが、挑戦(ちょうせん)し続ければいずれは勝つかもしれませんよ?人間、挑戦しなくなったら終わりです」  哲学(てつがく)のような立派な心がけだ。その言葉に、小雪は美しい(かんばせ)(ほころ)ばせて(うなず)いた。 「そうですね架名様、苦手な書類処理も、挑戦し続ければきっと得意になられますよ?こんなしょうもない(・・・・・・)挑戦をしていないで、早く書類を片付けて下さいね?」  才色兼備(さいしょくけんび)な彼女の素敵な笑顔が、一層(いっそう)(まぶ)しく感じる。  墓穴(ぼけつ)()るとはまさにこのことだと、未沙は実例として学習した。 「書類処理は別なの。りなにやらせればいいだろ?あいつのが俺より早く片付くだろうし」 「りな様は今、予算の執行(しっこう)確認でご多忙なのです。これ以上仕事を増やすわけには参りません」  りな(・・)は、架名の実弟(じってい)である。  容姿端麗(ようしたんれい)頭脳明晰(ずのうめいせき)で、現在、国王の史上(しじょう)最年少の側近(そっきん)王閣(おうかく)の史上最年少の閣僚(かくりょう)として、10歳の頃から国家予算案作成に(たずさ)わっているのだ。  運動神経も良く所謂(いわゆる)完璧人間に見えるが、一癖(ひとくせ)二癖(ふたくせ)もあるのが難点である。 「そっか、それでこんなのが俺に・・・・・・それにしても・・・・・」  他に誰かいるだろ?と言いかけた言葉は、小雪に(さえぎ)られてしまう。 「本日お時間があって、上長(じょうちょう)確認欄に印鑑が押せる警護部隊(けいごぶたい)所属の人員は架名様しかいらっしゃいませんでしたので」  随分(ずいぶん)都合(つごう)が良い。  タイミング良すぎないか?それ。と疑いたくもなったが、そう言われてしまうと引き受けるしか道はない。  結局架名はしぶしぶ引き受けて、小雪は「失礼します」と仕事に戻っていった。  パタンと閉まったドアを、もの言いたげに眺めてから、架名は深々と溜息(ためいき)をつく。 「頑張って!架名ならすぐ終わるわよ、ね?」  気を(つか)って明るく(はげ)ます未沙に、架名がげんなりした顔を向けた。 「姫、そんな微笑みながら・・・。いいですよ、やりますよ、引き受けたんだし・・・・・いや、引き受けさせられたのか・・・・・。こんな面倒なの、やりたくないけど・・・。ほら、姫も次の問題解いて下さい。先程の基礎問題の応用です」  次の問題を指で示してから、架名は書類を手に取る。嫌々(いやいや)ながらもきちんと目を通すところは、架名の真面目さを表していた。その様子を見て、未沙は柔らかく微笑む。  宮木架名は、未沙のボディガード(けん)教育係である。容姿端麗(ようしたんれい)、頭脳は平均よりはずっとか明晰(めいせき)だが、弟のりな(・・)と比べては見事に(おと)る。  運動神経は抜群(ばつぐん)で、諸々の訓練では、王宮の警護兵の中では右に出る者は数人しかいないだろうと(ささや)かれる程の好成績を(おさ)めていた。  この宮木兄弟もまた(わけ)アリであり、小雪と同じ現国王の戸籍外(こせきがい)養子(ようし)である。  兄弟の両親は、架名がまだ小学校低学年の頃に殺された。  犯人はまだ捕まっていない。  小雪とはまた違った理由の訳アリで、その辺の街中にある孤児院(こじいん)に預けるわけにもいかず、王宮で保護する為に、現国王 鈴香牧の戸籍外養子として引き取られたのである。  色々事情はあるものの、まるでそんな問題はないかのように、日々、平和な時間がゆったりと流れているのだった。  未沙はペンを片手に問題と睨めっこするも、先程の架名と小雪のやり取りで集中力が切れてしまったらしく、全く手が進まなかった。  架名はと言えば、嫌だ何だと駄々(だだ)をこねた割に、積まれた書類にさらさらと目を通して片付けていく。 「分かりませんか?」  手が止まっていることに気が付いて声をかけると、未沙が「う~ん」と煮え切らない返事を返した。 「頭に入ってこないのよね」  未沙は真面目ではあるが、学業と名のつく勉強はあまり好きではない。  母の華菜(かな)が自由にフラフラとお花畑を駆け回るのが好きで、子供の頃から「勉強嫌いっ」と脱走(だっそう)してしまう問題児だっただけあって、その遺伝子が受け継がれたらしい。  父の牧の血が半分流れているので、こうして大人しく勉強してはいるものの、実際の性質的には華菜の血が色濃く出ているのでは?と架名は推測(すいそく)しているのだった。 「上手(うま)いこと言いましたね」  “ 頭に入ってこない ” んじゃなくて、“ やる気がない ” が正しいのでは?と架名は口には出さず、心の中で突っ込む。 「ねえ架名、ちょっと休憩しちゃダメ?」 「ダメです。さっき十分笑って休憩したでしょう?あと30分は頑張ってお勉強して下さい」 「・・・・・・架名の意地悪」  口を尖らせると、架名は聞こえなかったかのようにさらりと流した。 「何か(おっしゃ)いましたか?」 「何でもない」  ふくれっ(つら)の未沙を横目に、まあ俺も勉強嫌いだったから、気持ちはよく分かると苦笑する。 「ほら、私も書類処理頑張りますから、姫もお勉強頑張って下さい。因みにこの問題、使う公式はこっちの式ですよ」  教科書に並ぶ公式を指さしてヒントを出すと、架名は再び書類に目を通し始めた。
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