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耳を澄ましながら辺りを警戒し進むが、どうやらこの階には誰もいないようだった。
どころか、物音一つ聞こえない。まるで夏休み中の学校のようで、少し不気味である。
早足に進み、1階分階段を降りると、渡り廊下があった。
「これを渡ると南棟、だよね?」
廊下の壁に、「南棟」と矢印付きの案内表示が張り付けてあった。
よし、と気合を入れて箒を握りしめ、渡り廊下を歩く。
窓から見える景色は、右手に運動場らしき広場が、左手に青々とした木々が生い茂る中庭と、遠くに建物が一つ見える。
渡り切ってキョロキョロと左右を見渡すと、シンッとして誰の姿も廊下になかった。
1階まで降りて・・・・・・。
階段を見つけて降りていくと、下から声が聞こえた。
――まずい、誰か上がってくる。
とりあえず今いる階のどこかに隠れてやり過ごそうと、階段を離れてパタパタと廊下を走る。どの部屋に逃げ込もうか目移りしていると、左斜め前の部屋のドアが開いた。
何の前触れもなく開かれたドアを見て、未汝は足を止める。
心臓がバクンバクンと耳元で音を立て、箒を持った手が急激に高まった緊張感で、かすかに震える。脳裏で、“見つかった”と危険シグナルが点滅した。
「何か飲み物を取ってきますから、未沙姫、サボらないでお勉強続けてて下さいね」
「分かってるわよ、架名」
「すぐ戻りますから」
部屋の中にいる未沙の返答に苦笑した架名が、ふと気配を察して、続く廊下へと視線を向けた。未汝の姿を認識すると驚いて息を飲み、目を見開く。
――まずい。
「!!!く・・・曲者だっ!!警備兵っっ!!」
声を張り上げて知らせ、架名が部屋のドアを閉めて、未沙を守るように瞬時に身構える。
筋骨隆々というわけではなさそうだが、それでも筋力差は当然ある。捕まえようと動かれれば、この逃げ場のない廊下では到底逃げ切れるものではない。
未汝は、汗ばむ手に持つ箒をぎゅっと握りしめる。
あちらが動いた瞬間に、殴りかかるしかない。そして中にいる未沙姫と呼ばれた女の子を、人質に取るしか―――。
息を殺して、全神経を男の一挙手一投足に集中させる。まるでそこだけ時間の流れが変わったように、1秒がとても長く感じられた。
「架名?曲者?」
未沙の訝しむような声が聞こえて、そっとドアが少しばかり開かれ、その隙間からひょこっと顔を覗かせた。
未汝の顔を見て目を瞬かせて観察した未沙は、はっとした表情をする。
「姫!!」
問われた声と気配で察したのだろう、目を向けることなく未沙の状態を把握した架名が、ぎょっとした顔をして慌てる。
「曲者だって申し上げたでしょう!!出てこないで下さい!!」
後ろ手でドアを閉めるように押すと、未沙は部屋には戻らず、そのドアを押し返して廊下へ出てきた。
「ちょっ・・・・・・!!!」
架名が未沙を背に庇う様に後退すると、階下からカチャカチャと金属の擦れる音が迫ってくる。
架名の張り上げた声を聞いた警備兵がやってきたのだ。
「大丈夫よ、架名。警備兵、問題ないから下がっていいわ」
落ち着いた声で下がるよう指示を出す未沙に、架名が理解出来ないとばかりの表情をして、自分の隣に立つ姫に目を向けた。
「・・・・・・姫、失礼ですが曲者の意味、ご存知ですか?」
頭のネジでも飛んだ?それとも俺、どこかで教育間違えたかな?そう目で語る架名に、未沙が苦笑いする。
「知ってるわよ?ちゃんと正気。ただね架名、この子を曲者と判断するのはちょっと・・・・・・」
「見かけで判断されては・・・・・・。あ、ちょっと姫っ!!」
未沙は止めようとする架名の腕の下をくぐり、箒を握りしめ立ちすくむ未汝の傍に歩み寄った。
架名も、未汝の背後に控える警備兵も、困惑しながらも未沙に何か危害を加えられぬよう、すぐ動けるように未汝の一挙手一投足に注視する。
「この者が失礼致しました。私は竜華燕国国王の娘、名を未沙と申します」
未汝から数歩の所で立ち止まり、スカートの裾を少し摘まんで軽く膝を折る未沙に、未汝は思わず見惚れる。その上品な仕草は洗練され、まるで映画に出てくる姫君そのものだ。
「あ・・・・・あの・・・・・っ」
何故一国のお姫様が、侵入者の自分に丁寧に名乗ったのか?いやそもそも、そんな身分の高い人に一般庶民である自分が話しかけたら、不敬罪に問われたり、とか・・・・・・。
自分で自分の末路を想像してしまい、さあぁと青くなる未汝に、未沙は優しく微笑む。
「大丈夫、恐がらなくていいの。私は貴女を曲者とは思っていないわ。・・・・・未汝ちゃん、よね?何故ここに?」
敵意はないと伝えながら知らないはずの名を口にする未沙に、未汝は更に困惑する。
「何で、私の名前・・・・・・」
「それは・・・・・・私の口からは言えないわ。文花のお仕事だから」
困った顔で口元に人差し指を一本立てて微笑む未沙は、とても可愛らしい。
未汝は真っ白になりかけた頭で、何故ここに?の問いに答えるべく、説明しなきゃと心をはやらせた。
「それがよく分からなくて・・・・・・。その、地震が起きて鍵を手にしたら・・・・・・」
未汝がしどろもどろになりながら説明を始めた途端、未沙が目を瞠り、上体が揺れて足元をふらつかせた。
様子を見守っていた架名は、慌ててふらふらと数歩後退した未沙の肩を抱きとめる。
「未沙姫?」
「ごめんなさい・・・・・、ちょっと、眩暈が・・・・・」
体を抱きとめてくれた架名の胸元にそっと手をついた未沙が、目が回ったように顔を片手で覆う。
「眩暈?貧血ですか?」
心配そうに聞き返す架名に返事をしようと、架名を見上げるように顔を上向かせた未沙はしかし、そのまま意識をコトリと失った。
体から急に力が抜けて腕の中に倒れ込む未沙を抱きとめると、架名が慌てて片膝を床につき、未沙の肩を抱いたまま立てた膝に座らせる。
「姫?未沙姫?」
意識を失った未沙の身体を自分の肩に寄り掛からせて、口元に手を翳して呼吸を確認する。未汝の背後にいる警備兵達も、どう動くべきか判断しかねたように顔を見合わせた。
どうしたものかと判断に迷ったその時、階段を、神官の文花が駆け降りてきた。
警備兵達が文花の姿を認めると、指示を仰げそうな人が来てくれたと困惑顔をキリリと正す。
「お探ししました、未汝姫」
文花が開口一番に、未沙が口にしたのと同じ名を呼んだ。
未沙を抱えた架名も警備兵達も、耳を疑うように瞠目して文花を凝視する。
「え・・・・・?何で私の名前知ってるの?前に、どこかで会ったことありましたっけ?」
呼ばれた本人は困惑顔だ。
誰だったっけか?と頭の中の引き出しを、あちこち探していると思われる表情をしている。
「そうですね、随分昔にお会いしています。覚えていらっしゃらないのも、無理はありませんが・・・・・・」
慌ててきたのか、呼吸が少し乱れている。
それを深呼吸して正しながら、文花は未汝の横を通り過ぎ、架名の膝に座らされている意識のない未沙の傍に片膝をつき、その手首を取って脈を測った。
「・・・・・・正常ですね。伝え聞いた通りになりましたか」
「文花様、一体・・・・・・?」
話が見えないと架名が目で訴えると、文花が居ずまいを正す。
「架名、未沙姫は眠っているだけですので、安心して下さい。詳しい説明は後程。とりあえず、未沙姫を自室へ寝かせたら王室へ。王がお待ちです」
「畏まりました」
架名が未沙を横抱きに抱えて立ち上がり、未沙の自室へと向かう。
それを見送って、文花は未汝の後ろに立つ警備兵に目を向けた。
「貴方がたも。この場は私が預かりますので、持ち場に戻って頂いて構いません」
「は。では失礼致します」
姿勢を正して頭を下げ、その場を後にする警備兵を見送って、文花は残された未汝に目を向けた。
「未汝姫はこちらへ」
促されて、傍にある一室に案内された。
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