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第3話 100年前の少女
時は100年遡る。
中学校からの帰りと思われるセーラー服を着た少女が二人、通学路を歩いていた。
そのうちの一人、肩に届くくらいの髪をなびかせた少女が、はあぁと空を見上げながら溜息をつく。
その横を歩く同級生の野本葉月は、溜息の理由を察して苦笑した。
「しょうがないよ未汝、運が悪かったんだって」
本日は日直だった。
いつもならさっと帰れるにも関わらず、今日は提出物が沢山あって、職員室まで一度じゃ運びきれなかった上に、ついでだからと、授業で使ったビーカーまで洗わされて、理科室まで返却に行かなくてはならなくなった。
それはそれは重たいものを持って、何度も階段を上り下りさせられ、明日は確実に筋肉痛である。
「何で、今日!?」
「まぁ、たまたま?運悪く当たっちゃった感じだよね」
「こんな幼気な少女に、あんな重たいものを何度も運ばせるなんて!!」
「幼気、かなぁ・・・・・・?」
どんなに盛っても、おしとやかでもなく、幼気とは程遠い、元気で活発な少女である。
「今朝の占い、結構良かったのになぁ・・・・・・」
深々溜息をついている少女の名は、鈴香未汝という。
両親は共働き。ごく普通の一般市民で普通の中学校に通っている中学三年生だ。
成績は中の上くらい、運動神経は人並み、容姿も、普通よりは多少可愛いかも?くらいの、至って平凡な少女である。
「じゃあまた来週。今日は手伝ってくれてありがと、葉月」
「どういたしまして。きっとこの土日に、何か良いことあるって!!例えば、イケメンと出会えるとか!!」
ミーハーな葉月だ。イケメンには目がない。
「まさかぁ。この近所にいないでしょ?」
「最近流行りの異世界転生!!とか?」
「うわぁ、それ、実際にあったら冗談じゃなく困ると思うんだけど。現実世界では捜索願が出されて、両親にビラ配られるんだよ?この子知りませんか?って。どの写真使われるか、ちょっと心配じゃない?」
そういう問題ではないのだろうが、何も起こっていない平和な状態だと、お年頃の少女の頭の中ではそういう心配になるのである。
「じゃ、可愛~く写ってる写真、用意して写真立てに入れといたらいいんじゃない?両親の目に入りやすいところに置いておくの」
自分が失踪する準備を事前にしておくのも、何だかおかしな話だと、未汝は心の中で思った。
「じゃ、また来週。バイバ~イ!!」
「バイバイ!!またね!!」
分かれ道で手を振り合って葉月と別れ、未汝は家路を辿る。
自宅に着くと、ポストを確認してから、鍵を開けて中に入った。
ドアをバタンッと音を立てて閉め、カチャンと鍵をかける。最近は物騒な世の中だ。用心にこしたことはない。
「お帰りなさい、未汝」
やけに明るい声が、珍しく出迎えた。呼ばれた本人は、驚いて振り向く。
「ただいま、お母さん」
セミロングのウェーブのかかった薄茶色の髪は綺麗に手入れされて、横髪は後ろで留めてある。まだまだ少女から抜け出せていないような若々しい顔は、人懐っこい笑みを浮かべていた。
「今日は早いんだね、帰ってくるの」
いつもならこの時間、働きに出ている母は家にいない。珍しいなと思って聞くと、耳を疑うような答えが返ってきた。
「うん、なんだかつまらなくて」
「・・・・・(つまらないって、仕事でしょうに)」
この母、名を鈴香華菜という。
元気で明るくて笑顔が取り柄!!というような、なんとも母親らしくない母親で、良く言えば年齢不相応、悪く言えば浮世離れした世間知らずな人柄だ。
未汝にしてみれば、「これでよく働けるよなぁ、何やってるのか知らないけど」と内心で思ってしまう程に。
社会は厳しいと聞くが、実は案外優しいのかもしれない。
「今日は牧、会議があるから遅くなるって言ってたわ」
父親のことを、母は子供の前でもお父さんと言わず牧と名で呼ぶ。因みに父もそうだ。珍しいとは思うのだが、子供の頃からそうなので、未汝はあまり違和感を抱かなかった。
「そっか、じゃあご飯早めに食べる?」
「そうねぇ、そうしましょう」
鈴香牧は、未汝の父である。
この世間知らずな母とよく結婚したなぁと思うような常識人であり、少々堅苦しいところもあるが頭は良いらしく、仕事も結構難しいこと任されてるんだろうなぁと思わせる、頼りになるお父さんだ。
「とりあえず、カバン置いてらっしゃい」
「はぁい」
返事をして未汝は、階段を駆け上がって部屋へと向かう。
階段を上りきって、ふと、自分の向かいの部屋に目を向けた。
前々から疑問に思うこの部屋は、何故だか物置にならず、いつでも普通に部屋として使えるように整備されている。
未汝は一人っ子だ。だから余計にこの物置にならない部屋が、不自然で仕方が無いのだった。
とはいえ、特に困りはしないので、未汝は疑問に思うだけに留めてある。いつかは何故だか聞いてみようとは思うのだが、ついつい聞き忘れて今日まで過ごしてきてしまったのだった。
我が家の家事は、近所に住んでいる父方の伯母がやってくれる。ごみ捨てや洗い物、洗濯くらいは両親がやっているが、毎日の食事作りや掃除は伯母の担当だ。
これもまた変だと思うのだが、むかし何気なく伯母に聞いたところ、「華菜ちゃんにそんなことさせられないわよ」と苦笑しながら言うので、それ以上突っ込んでは聞けなかった。
確かに、この母に料理なんかさせたら、どんなものが出来るか分かったものではない。
今日も今日とて出前の如く夕食を持って来てくれたので、それを母と二人で食べる。その後、早々に入浴を済ませて部屋に戻り、机の上に勉強してます感を醸し出す為の教材を並べて、葉月から借りたコミック本を読んで遊んでいた。
最近流行りだと言うが、葉月の趣味全開の漫画だ。
「ただいま」
一階の玄関から父の声がして、ドアがバタンと閉められる音がした。
「お帰りなさい!早く終わったのね、会議」
「あぁ、適当にやってきた」
聞こえてくる両親の会話を聞くとはなしに聞きながら、未汝は静かに漫画の世界に入り浸る。
すると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
未汝は慌てて、コミック本を机の引き出しの中へと隠す。
「未汝」
ドアが開き、帰宅したばかりの父が顔を見せる。
「お帰りなさい、お父さん。何か用事?」
「ああ、ダイレクトメールだが、お前宛だ。・・・・・勉強中だったのか?」
「あ、うん」
内心で、ばれてない、よかったぁと安堵する。
別に漫画を読んでいたらいけないわけじゃないけれど、何となく、後ろめたい気がするのだ。
立ち上がって戸口で手紙を受け取ると、あの不自然な部屋が自然と目に入った。
いつもなら気にならない。それが今日に限っては何故か、物凄い存在感を放っているかのように未汝の意識に引っかかる。
「お父さん」
気になり出したら止まらない。いつも聞きそびれてしまう疑問を、今日はぶつけてみることにした。
「あの部屋、なんで物置にならないの?誰も使ってないのに変じゃない?」
口に出すと、何だか物凄く変なことに気付く。ミステリーの臭いがプンプンと漂ってくるようだ。
父は、未汝の視線を追って後ろを振り向きその部屋を確認すると、面白そうな目をしてニヤリと笑った。
「お化けが使ってるんだ」
おちょくられている。小学生には効果的かもしれないが、中学生になった未汝がそんなことを言われて怖がることは、残念ながらもうない。
これはちゃんと答える気がないなと、未汝は過去の経験から察した。
「お父さんって、時々そういうお母さんみたいなこと言うよね」
「そうか?」
「中学生にもなって、お化けを怖がるわけないでしょ?」
馬鹿にしてるの?と、未汝の目が問うている。
そんな娘の様子を見て、父親である牧はちょっと拍子抜けしたような顔をしてから、「そうか、怖くないか」と笑った。
「もうっ、お父さんしっかりしてよ。私ももう中学生なんだからね!!これからお金がかかる時期なんだから、ボケたりリストラされたりしないでよ?」
牧はまだ40歳前だ。ボケるとなると若年性アルツハイマーくらいだろうが、その兆候はありがたいことに全くない。どころか、ちょうど今、年齢的にも働き盛りである。
リストラか、と、牧は少々遠い目をした。
国王という仕事に、リストラはない。あるのは謀反からの簒奪か、失脚だ。ちなみにどちらも命の危険がある。そんな状態にならないように、普段身を粉にして働いているのだ。会社員としてリストラに怯えていた方が、ある意味良いかもしれないと、うっかり思ってしまう牧である。
「大丈夫だ、リストラは・・・・・・多分ない」
「ホントに?さっきだって、会議適当にやってきたって言ってたし。そんなんで本当に会社員やってけるの?実はもう既にクビになってますとか、会社員じゃないとか、そういう落ちじゃないよね?」
まぁそんなことはないだろうけどと思いながら軽口を叩く未汝は、父が一瞬剣呑な光をその目に宿したことには気づかない。
「手を抜ける所は上手に手を抜くのが出来る大人だ。仕事を全てきちっとやっていたらノイローゼになってしまう。多少いい加減でないと、会社員なんてやってられない」
昨今、仕事のし過ぎでうつ病になる社会人が増えているのが、世の中では社会問題になっていた。
「ふ~ん、じゃあ、なんで誰も使ってないあの部屋はいつもきちんと掃除するわけ?物置と化した部屋は掃除なんてほとんどしないくせに」
「それはね、未汝」
入浴を終えて寝衣に着替え、寝室へ向かう為に階段を上ってきた母が、二人の会話に口を挟んだ。
「客室なのよ?」
「お客さんなんて、滅多に来ないじゃん」
「何かあった時に一部屋くらいないと困るでしょ?」
珍しくまともなことを言う母に、思わず「それはそうだけど」と閉口してしまう未汝である。
「ほらほら、もう11時よ?いくら明日はお休みだからって、夜更かしは良くないわ。早く寝なさい」
「はぁい、おやすみなさい」
「おやすみ」
そう言って未汝はドアを閉め、両親は寝室へと向かった。
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