第3話 100年前の少女

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 寝室にカバンを置き、風呂場へと向かって入浴を済ませ、再び寝室へと戻ってきた牧が、顔にパックを貼ってスキンケアをしながら、旅行雑誌をめくっている妻の手元を覗き込む。 「今度の公務先か?」 「ええ。観光地、ちょっとなら立ち寄らせてくれるって言うからどこがいいかと思って」  パラパラとめくりながら、悩ましそうな顔をする。 「牧、どこか行きたい所ある?」  見上げてくる華菜と目線を合わせるべく、ベッドに腰かけた牧は、「そうだな」と頭の中にある引き出しを開けた。 「この地域の伝統工芸は(しぼ)りの染め物だったと思ったから、染めの見学とかどうだ?」  いい考えだと言わんばかりの夫の提案に、妻が不機嫌になる。 「・・・・・・それ、ほぼ仕事よね?伝統工芸は後継者不足で困っているから、私達が立ち寄ることで観光客増やして収入源を増やそうって計画でしょ?」 「まぁそうだが、俺達が動くならそれなりに活気(かっき)づかせて帰って来ないと意味がないだろ?」  正論だ。正論なのだが、華菜が不服(ふふく)そうな顔をする。どうやらそういう回答ではないものを期待していたらしい。 「それはそうだけど、ほら、折角(せっかく)デートできるかもしれないのに。仕事が(から)むの味気(あじけ)ないじゃない」  不機嫌になった理由はそれか。牧が嫌そうな顔をして妻に目を向ける。 「周りをマスコミとボディガードに囲まれてか?そんな監視だらけのデート程気の抜けないものはないだろう?だったら仕事してた方がマシだと思わないか?」 「マシかどうかじゃなくて、楽しいかどうかが重要なのよ」  楽しさを公務に求めるのは求めるモノが間違ってないかと思う牧だ。 「華菜、お前昼間の2時間ドラマのようなこと期待してるんじゃないだろうな?」  湯けむりぶらり旅殺人事件みたいな展開を期待しているのではと疑う。アリバイには電車の時刻表を用いて、不可能犯罪に見せかけた完全犯罪を演出するのだ。 「あら、そしたら牧は黒幕ね?」 「華菜は首を突っ込みたがる葬儀屋か記者辺りの役柄か」  ドラマの配役を想像して役どころを当てはめると、どちらともなくくすりと笑い合う。 「牧は敵に回したら手恐(てごわ)そうだわ」 「華菜こそ、どんな無茶をすることやら」  突拍子(とっぴょうし)もないことをやって、ハラハラさせる所はドラマの配役そのものだなと思う。 「それにしても未汝、急にどうしたのかしら?今まであの部屋を気にしたことなんてなかったのに」  華菜が頬に手を当てて眉根(まゆね)を寄せると、牧が深い息をつく。 「このまま、何事もなく成人を迎えてくれると頭を悩ませることなく済んで良いんだが・・・・・・・・・」 「そうね。でも、家族が揃うことのない未来は、ちょっと寂しいわね」  パックを()がしたその表情には、寂寥(せきりょう)の念が浮かぶ。  家族が揃うことのない未来。そう言われると、牧も(せつ)なさを感じる。 「仕方のないこととはいえ、娘達には本来背負う必要のなかった試練を背負わせてしまったな。未汝に至っては、何も知らずにいられるように嘘を教えているわけだし」  両親に嘘をつかれていると知ったら、あの子はどう思うのだろうかと牧は心配していた。  墓まで持っていく秘密を胸の内に抱えてやっと一人前。世の中で薄汚れたら立派な大人の仲間入りと昔聞いたことがあるが、自分の子供に嘘をつくような大人は果たして立派なのだろうかと疑問に思う。 「そのうちバレてしまうかもしれないわね。未沙も未汝も、牧に似て勘がいいから」 「勘・・・・・か。いつまでも隠し通すのは無理かもしれないな」  珍しく吐露(とろ)した弱音に、華菜はくすっと悪女の笑みを浮かべる。 「どの(・・)隠し事かしら?隠し事なんて山のようにあるわよ?」 「例えば、華菜の本当の生年月日とか?」 「ただの会社員ってのもね?他にも・・・・・・・・」 「華菜」  言いかけた言葉を(さえぎ)って、牧は右手の人差し指をそっと自分の唇に当て、静かにとジェスチャーする。 「未汝が起きていてそれを聞いたら困るだろう?」  先程、いつまでも隠すのは無理かもしれないと弱音(よわね)を吐いた本人がそう警告し、華菜は一瞬(はと)豆鉄砲(まめでっぽう)を食らったような顔をしてから、小さな花をその(かんばせ)に咲かせた。 「それでこそ、いつもの牧だわ」 「どういう意味だ?」 「ご自分でお考えあそばせ」  そして夫婦は、顔を見合わせて静かに笑い合うのだった。
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