私の愛した無機物

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 私が若いころの話です。社会人になって四年目。仕事にも慣れた私が感じたのは充実感ではなく、寂しさでした。家に帰るたび、暗がりの我が家に嫌気を覚えました。酒をあおってみてもそれは消えることなく、何をしても喉にへばりついて離れないんです。  残念なことに女性と縁はなく、見ての通りの見た目なので、色恋沙汰なんてこれっぽっちの私でした。  せめても人じゃなくていい。家にいてくれればいい。そんな願いでペットショップにも行きました。けれど、この子を飼って幸せにできるのか。また、死ぬまで飼い続けられるのか。愛してやれるのか。そんな不安から私は買う勇気がでなかったです。  そんな時に知ったんです。良妻ロボットという存在を。今は細々とした人気ですが、私の世代では、一世を風靡したロボットです。  財布にも優しいし、何よりも契約を途中解約できるのも魅力でした。  私は、物は試しと一番安い契約をしたんです。  次の日から、家に帰れば明かりがついていたんです。どこか嬉しくも、ドキドキしました。 「ただいま」  そう言って玄関を開けると彼女は駆けつけてくれるんです。 「おかえりなさい」。機械独特の口調のせいか、温かみはありませんでした。けど、どこかホッとした自分がいました。  それから毎日、家に帰るのが楽しみでした。  いつまでも礼節をわきまえた口調が、心の距離のように感じて寂しくなる時もなりました。  けど、そんなことがどうでもよくなるくらい私は毎日が幸せでした。  いつからか、私は彼女を機械とは感じなくなり、一人の女性として接するようになりました。  休日は外へ遊びに行きました。一緒に手をつないで映画を見に行ったり、デパートで服を買ってあげたり。慣れないながら、必死にあの手この手で彼女を喜ばせようとしました。  周りから見れば、ただのロボットだと思うでしょう?  今も昔も、そんなことは微塵も思っていません。だって、私が人生で最も愛した女性ですから。  そんな私の思いが、積もりに積もって爆発したことがありました。  確か、ちょうどクリスマスの時期だったと思います。  私はボーナスで安い結婚指輪を買ったんです。彼女にしてみたら、私からのプレゼントくらいにしか思っていないでしょう。  彼女は喜んでくれました。笑ってくれました。「ありがとうございます」って言ってくれました。  嬉しくって、その日はなかなか寝ることができませんでした。  私はずっと、いつまでもこの幸せが続くとばかり思っていました。  たぶん、授業で習ったんじゃないでしょうか。戦争による鉄不足で、家庭用のロボットから鉄を搾取するロボット召集です。  もちろん、国の意向なので私はどうすることもできませんでした。  朝刊を見て、次はどのロボットが召集されるのか。不安で眠れない日々が続きました。  私は最後になる日が怖く、何度も何度も彼女に思いを伝え続けました。そのたびに、彼女は笑顔で「ありがとうございます」と返してくれました。  とうとう、来てほしくない日が来ました。  これが彼女と歩く最後だと思うと、涙が止まりませんでした。彼女は「大丈夫ですか?」と、しきりに心配してくれました。  私は気丈にふるまおうとしました。でも、できるはずもありませんでした。涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔で「大丈夫」としか言えませんでした。声だって震えていました。  国に指示された場所に行けば、列ができていました。  前に並ぶ人も、後ろに並ぶ人もうつむいて寂しそうでした。  私はいよいよ彼女との別れが差し迫っていると感じ、今までの思い出が溢れかえりました。 「あの映画、面白かったね」。彼女にそう話しかけると、彼女は思い出を鮮明に語ってくれました。  せめても、最後の最後まで話をしよう。そう心に決めました。  彼女と連れ添った十数年の月。それを全て話しつくしてしまう頃には、私が一番前になっていました。 兵隊さんは彼女の首元をいじり、プラグをさしました。  私は見ることができず、ただただ泣きました。  彼女のデータを全て消し終えたのか、兵隊さんは彼女の手を握って奥へと連れて行きました。  その時です。彼女が立ち止まって振り向いたんです。  逆光で表情はよく分かりませんでした。けど、何かが落ちたんです。光に反射するものでした。それぐらいしか分からなかったです。  彼女はまた歩き出しました。  あれから十年近くの時が経って、また良妻ロボットが販売されました。けど、私は買う気になれませんでした。  私にはただ一人、おそろいの指輪をした彼女がいるからです。  私はできるなら、たった一度でいいんです。彼女に会って、最後の表情を知りたいんです。「今でも愛している」と伝えたいんです。
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