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3.
暁斗の父は、四十代の若さで亡くなった。暁斗が中学生の時だった。
祖父も五十代で亡くなっており、暁斗は祖父に会ったことがない。さらに曽祖父や高祖父も皆、若くして亡くなったと聞いている。
御城家の当主、つまり毒をその身に継いだ御城の男子は早世する。それは御城家の者たち、仕える者たちの暗黙の了解だった。
御城家の毒の全容が解明されていないので、毒を継いだ者が早死にする原因はわかっていない。多くは病死だが、その病気は様々だ。毒が体を蝕んでいるのだろうと考える者は多く、志信もその考えに基づいて、まずは毒の解明をと研究に打ち込んでいる。
呪い――暁斗はそう考えていた。御城家は千年もの大昔から、たくさんの命を奪ってきた。しかも暗殺というもっとも卑劣なやり方で。
その呪いを、御城家の当主は代々その身に受け続けてきた。暁斗はオカルトやスピリチュアルに興味はないが、御城の呪いだけは信じている。
現在の暁斗は健康そのものだ。それなのに、まだ二十歳を過ぎたばかりだというのに、自分はそう長くは生きないと漠然と感じている。父の遺言で暁斗が暗殺に手を出したことはないが、千年に及ぶ呪いが自分のたった一代で解消されるとは思えない。
何十代も続いた闇をこの身に受けて、遠くない未来に死ぬのだろう。
だから、毎月受けている精密検査もどこか他人事で、心配する者たちのために必ず受けているが、暁斗自身はさほど関心がなかった。
「……よぉし、CTもMRIも問題なし。あとは心電図と、血液検査か。たぶん血液検査が一番時間かかるな。暁斗も確認するか?」
暁斗は薄い青の検査着を身に着け、病院の診察室にいた。目の前の若い――顎まで伸びた髪をハーフアップで結んだ、無駄に甘いイケメンマッチョの医者が問題なし、と暁斗の健康に太鼓判を押したが、暁斗は胡乱げだ。
「ヨウジ……なんかまたゴツくなってね?」
暁斗は、自分の検査結果が表示されたパソコンの画面より、マウスを操作する逞しすぎる腕が気になった。医者だというアピールのためだけに着ているのでは、と疑ってしまうほど白衣がきつそうだ。
「んん……そうかぁ? お前が最近トレーニングさぼって、貧弱になっただけだろ。相変わらずの“ちっぱい”だよなぁ。俺はもっとデッカイ方がタイプだぜ」
元々医者に見えないチャラいイケメンが下品な笑みを浮かべると、ますます医者らしくなくなった。文句はいくらでも浮かぶが、暁斗は五歳年上のこのチャラ幼なじみに口で――手でも――勝てたことがないので、ムスッと黙る。
口の悪い下品な医者は、舘山蓉司(たてやまようじ)。志信と同じく御城家に仕える一族の出身で、蓉司が高校進学で村を出るまで一緒に育ったもう一人の幼なじみだ。先に村を出た蓉司だが、医師免許を取得すると暁斗の専属医となり、今は暁斗に仕えている。
舘山家は元々、御城家の護衛を担う――番衆(ばんしゅ)と呼ばれる一族だった。蓉司の父は暁斗の父の幼なじみであり、ボディーガードとして暁斗の父が亡くなるまで守り続けた。暁斗の父が亡くなった後は、御城のグループ企業の一つで取締役を務めている。
志信の実家――奥野家が解毒の力を持って御城家の力と血を守り、蓉司の実家――舘山家は武力で御城家と当主の身を守ってきた。奥野家と舘山家は、御城家家来衆のツートップだ。
だが蓉司は、父の跡を継がなかった。幼い頃から父と同じ御城家当主の護衛になるべく、たくさんの格闘技を覚えて体も鍛えてきた。しかし暁斗の父が暗殺稼業の廃業を決めると、蓉司はまったく別の形で暁斗を守る道を選んだ。医師となって、暁斗の体をケアしていく道を。
「ひでぇセクハラドクター。つうか、なんでこの前まで研修医だった奴が御城家当主の御典医なんだよ。名ばかりの内科医に診てもらっても不安なだけだわ」
志信とは違う形で尽くしてくれる蓉司に、親しみも込めた嫌みをぶつける。
「ぶははっ、安心しろ。俺が検査結果見る前に、内科部長や院長が目を通してるに決まってんだろ。すでに問題なし、の結果が回ってきただけだ」
見た目に違わないチャラさで蓉司は気楽に笑った。蓉司の父は生真面目な男で、当主を守るためなら躊躇わずにその命を捧げるような男だが、息子からは真面目さの欠片も感じたことがない。彫の深い二枚目や、逞しい体格は父によく似ているのに、性格はまったく似なかったらしい。
「お前、マジで給料泥棒だよな。一応この大学病院の内科医なんだろ? でも、俺以外診てないよな」
「そんなことないぞ、たま~には診てる。他の先生の休みなんかにな。お前の御典医として臨床経験は多い方がいいから」
村にいた頃はもう少し真面目だった気がするが、外に出て性格が変わったのか、本来の軽薄さが隠されなくなったのか、蓉司は年を取るごとにふざけた男になっている。筋肉の増大と比例するように。
あまり自分の健康に頓着しない暁斗も、蓉司のおチャラけた態度のせいで不安になる。かといって、毎月他のよく知らない医師に体をあちこち調べられるのも気が進まず、昔馴染みの蓉司を頼るしかないのが悔しい。
「……お前の医学部主席卒業って、やっぱり金で買ったか、御城関係者に対する忖度だったんじゃねぇの」
蓉司は暁斗が通う大学の医学部を首席で卒業し、そのままこの付属の大学病院に就職した。しかし大学の理事には御城家の関係者がいるし、そもそもこの大学病院は、数年前に御城家が買い取った都内の病院を、医学部のなかった大学の医学部創設に伴い、大学付属病院として丸々寄付した経緯がある。つまり、蓉司が卒業した医学部とこの大学病院は御城家が設立したようなものなのだ。病院側が働かない蓉司でも無下に扱えるわけがないし、かなりの忖度があってもおかしくない。
「なんだよ、検査の時は大概機嫌悪いけど、今日はいつも以上だな。……そんなに見合い、イヤなのか?」
事務椅子をクルリと回転させ、蓉司がパソコンから暁斗に振り向く。心配そうにしながら、蓉司のニヤけたタレ目はどこか面白がっている。
「すげぇ早耳。もう知ってんのかよ」
「そりゃあ、立場上な。たぶん、見合いについてはお前が知るより先に聞いてたし。で、見合いなんかしないって駄々こねて、志信と喧嘩したんだろ?」
やはり蓉司は面白がっていた。最後の方は口の端が上がるのを堪えきれていなかった。
「俺のプライベートってどこまで漏れてんの? 志信とは……喧嘩なんかしてねぇよ。あいつが偉そうで勝手な真似してムカつくから、シカトしてるだけ」
数日前の朝に喧嘩してから、志信とは口を利いていない。食事の用意も部屋の片づけも、大学への送り迎えもいらないから来るな、と暁斗は命じた。暁斗が命令すれば、志信は絶対服従だ。志信はあれから今日まで暁斗の前に姿を現さなかった。
それがまた腹立たしい――。
「シカトって……中学生かよ。志信も暁斗に甘いよなぁ」
「あいつが俺に甘い? どこがだよ。あいつは俺にいい顔しながら、最後は御城側につくんだ。つうか、あいつが御城の意向に逆らえるわけないんだよ」
「そりゃあ、俺だって同じだ。そう育てられてきたからな。……で、お前はそこまでわかってて、見合いはイヤだってゴネて志信を困らせてるわけだ。なにも男と付き合うのをやめろって言われたわけじゃないんだろ? つまり、甘えてんのはお前の方か」
蓉司も暁斗の性的指向を知っている。というより、暁斗のことは志信や蓉司だけでなく、御城家の者たちやそこに仕える者たちにほとんど知れ渡っているのだ。どんなプライベートなことでも。
暁斗は、自分の身が自分だけのものでないことを、子供の頃から自覚して生きてきた。子供らしい我がままも、若者の特権である甘えも許されたことがない。それでも、幼なじみで兄弟のように育った志信や蓉司の前では、御城家の跡取りではなく、ただの二十歳過ぎの青年に戻ってしまう。
暁斗は二十歳を過ぎても柔らかなままの頬を、子供のように膨らませた。
「……俺のことディスるなら、もう来月から検査来ないからな。あんだけ健康に気をつけてた父さんだって最後は急に死んだんだし、なにをしたって死ぬ時は死ぬんだよ」
「おい暁斗、お前まさか拗ねた挙句、志信にもそんなこと言ったんじゃないだろうな?」
暁斗と志信、そして蓉司は小さな村で幼い頃からともに育った幼なじみだ。暁斗の父の意向で、志信も蓉司も暁斗に従者だけではなく友として、また兄として接するよう育てられた。だから暁斗にとって二人は従者でありながら、兄のような存在でもある。その中でも蓉司は長兄として、志信より暁斗に厳しくもあった。
元から低い蓉司の声が、腹に響く重低音になる。暁斗が寿命について話し出すと、蓉司もまた怒りを隠さない。厳しい長兄に問い詰められると、暁斗の声は小さくなった。
「……ムカついて、あいつが一番嫌がること言ってやりたくて……どうせ長生きしないから早く子供作らせたいんだろ……て言った」
「あのなぁ……言っていいことと悪いことがあんだろ? お前にそんなこと言われたら、あいつの今は健康な心臓が止まるぞ」
蓉司の言葉に、暁斗の心臓も止まりそうなほどの痛みを覚える。
志信は、子供の頃に大きな心臓の手術を受けている。生まれながらに心臓に重い病を抱え、幼い頃は走ることもままならなかった。今では肩は広くなって胸も厚く、逞しい男に成長したが、昔は白い顔をして痩せた子供だった。羨むほど逞しくなった胸には、今も生々しく手術の痕が残っている。
志信は手術を受ける際、準備や術後のリハビリでおよそ一年アメリカにいた。たった一度、二人が離れ離れになった期間だ。志信がいない一年は、暁斗にとって永遠に感じるほど長く、心寂しい日々だった。
志信の傷跡、志信のいない日々を思い出し、暁斗は激しい後悔に襲われた。
「志信……まだ検査中だよな」
志信は中学に上がる前にアメリカで手術を受け、それからは目覚ましく健康を取り戻し、現在は問題なく日常生活を送っているが、暁斗の命令で志信もまた、月に一回の精密検査を受けていた。暁斗が検査を受けている間、志信も同じ病院で検査を受けるのが通例だ。
検査の今日だけ、志信は暁斗の命令を破った。今朝、志信は暁斗が頼んでもいないのに、車でマンションに迎えにきた。定例の精密検査だけは、命令に反しても受けさせるつもりだったのだ。それでも車内は気まずい無言が続き、暁斗が助手席に座りたく志信に買わせたツーシーターのスポーツカーが憎らしくなった。
「ああ。今日は循環器科に偉い先生が来てるから、その先生に診てもらってるよ」
「なんだよ……志信の方が偉い医者の診察受けて、俺は研修医に毛が生えたお前かよ」
「うちの我がままな……若様、の面倒は志信しか見られないからな。しっかり診てもらわないと」
「若、はやめろっていつも言ってんだろ。時代劇かよ」
蓉司の子供っぽい嫌がらせにムッとしたが、蓉司が噴き出すと暁斗もつられて笑った。
診察室に緊張感のない笑い声が響く。奥から看護師が注意しにきそうだ、と思ったが、空いたのは奥のカーテンではなく、廊下側の引き戸だった。
「なにを笑ってるんだ。蓉司、ちゃんと診てくれたんだろうな」
検査を終えた志信が、ノックもせずに入ってきた。
「おう、志信、終わったか。その様子だと問題なかったみたいだな」
「俺のことはどうでもいい。……それより、暁斗の検査結果はどうだった」
どうだった、と聞きながら、志信はズカズカと中に入ってきて、デスクの前に座る蓉司をシッシと席から立たせた。蓉司から結果を聞くまでもなく、医師のパソコンを勝手に操作して自分で暁斗の検査結果を確認し始めた。
立たされた蓉司は肩を竦め、渋々そばの診察用の硬いベッドに腰を下す。
「心電図と血液検査の結果待ちだが、今月も問題なしだ」
「血液検査の結果ならもう届いてるぞ。まったく、しっかりしてくれ」
ピシャリとやられた蓉司は、悔しそうに口を引き結んで志信を睨んだ。蓉司は志信より二つ年上だが、この二人はどちらが年長かわからなくなる。暁斗は二人に隠れて小さく笑った。
「……そうだな、血液検査も特になにもないな。これなら安心だ」
志信がパソコンの画面に微笑む。暁斗の健康を誰より喜ぶ姿に、ここ数日抱いていたいら立ちも簡単に収まってしまう。後は、素直に謝るキッカケが欲しい暁斗だった。
「あのなぁ、医者は俺だぞ。志信、忘れてないよな」
「悪いな、十年後は知らないが、今はまだお前の診断だけでは安心できない」
「ああそうかよ。安心しろ、院長と内科部長がチェックしてるから」
「知っている。それでも、この目で確認しないと落ち着かないんだ」
医師の蓉司よりも真剣に、志信は暁斗の検査結果を読んでいた。――キッカケは、志信の真剣な横顔だった。
「志信……本当にお前も問題なし?」
暁斗が訊ねると、志信が意外そうにして振り向いた。暁斗から話しかけられたことに驚いているようだ。
「……ああ、すこぶる健康だ。それより暁斗、健康状態は悪くないが、体重が先月より2キロ近く落ちている。やはり最近の夜遊び、寝不足、偏った食事がたたったようだな。今日から三食作りにいくからな」
「マジかよ?! それはちょっと……」
ウザいかも、とは言いにくく、暁斗は口を噤んだ。察した蓉司が声を立てて笑う。
「暁斗は最近トレーニングもさぼってたし、筋肉量も落ちたんだろ。ちょっと鍛え直した方がよさそうだな」
蓉司の実家――舘山家は御城の護衛であり、格闘技の指南役も務めてきた。その後継ぎである蓉司は、先祖たちと同じく暁斗の格闘技の鍛錬相手も務めている。五歳年上で子供の頃から体格の良かった蓉司は、暁斗の厳しいトレーナーでもあった。
「うぇえ……ダリィな……」
「その態度だと、ますます鍛え直したくなるな。……そうだ、マツリも連れてこいよ。あいつも最近うちのジムに顔出さないし。あいつまた太ってないか?」
「ああ、あいつ就活で忙しかったんだよ。……確かに、就活のストレス~とか言ってドカ食いしてたから、ちょっと太ったかも」
「それは鍛えがいあるな。明日にでも二人でジムに来いよ」
蓉司は嬉しそうに笑った。御城のグループ企業の中に、全国展開するトレーニングジムもある。しかし蓉司が、うちの、と言うのは的外れだ。暁斗は苦笑した。
「蓉司、本当は医者なんかよりジムのトレーナーになりたかったんじゃねぇの。お前の趣味、筋トレじゃん」
「まぁ……そっちの方が向いてる気もするが……それを言ったら親父にぶん殴られそうだからな。でも、エロい人妻のパーソナルトレーナーとかしてみてぇな」
三人の実家、もしくは村で誰かにこの会話を聞かれたら大騒動になる。御城家への忠義がウンタラカンタラ、舘山家とはナンタラカンタラ、と蓉司は長時間の説教を食らうだろう。
村にいた頃は絶対にできなかった気楽な会話だから、暁斗も声を立てて笑った。
本当に――いつまでもこんな日々が、蓉司や――志信との近い距離感の関係が続いたらいい。叶うはずもないのに、性懲りもなく願う。
「……暁斗」
蓉司のパソコンで暁斗の検査結果を隅々までチェックしている志信が、画面から目を逸らさず蓉司とふざけている暁斗を呼んだ。
「この前の……会食の件だが、ひとまず社長と数名の取締役とのものに変更になった」
暁斗は目を瞬かせた。志信らしい面倒臭い言い回しだが、ようはお見合いが流れた、ということだろう。
「……マジ? つうか志信……そんなことして平気なのか?」
大企業の社長令嬢との見合いは、御城家からの命令だったはずだ。それを取り下げさせるなんて、自分の我がままのせいとはいえ、志信の身が心配になる。
「ひとまず、だ。いずれは……ご令嬢と会ってもらうことになる」
すまない、と聞こえた気がして、暁斗は俯いた。自分の我がままが、志信を苦しめている。
暁斗は小さく息を吐き、それからパッと顔を上げた。
「ま、しょーがないよな。俺、御城のお坊ちゃまだから」
努めて明るく振舞った。暁斗が我がままを通すほど、なによりも大切な志信を苦しめてしまう。だから、暁斗は精一杯大人になるしかなかった。
志信は、パソコンの画面から目を逸らさず、暁斗を見なかった。暁斗に合わせる顔がないとでも思っているのだろう。
蓉司が、よっこらせ、とオヤジ臭く言って立ち上がる。それから暁斗のそばに立つと、暁斗の子猫のように柔らかい黒髪をワシャワシャと撫でた。
「……なにすんだよ!」
「ちっちゃな頭で頑張ってるから、褒めてやろうと思ってよ」
「誰がちっちゃな頭だよ。……どうせ俺はお前らみたいに頭良くねーし」
「そうだな。それなのにお前ばっか……しんどいよな。俺も志信も、お前が少しでも楽になるように頑張るからよ」
長兄らしい、頼もしい言葉だった。暁斗は不覚にも目の奥が熱くなって、絶対に知られたくないから、鬱陶しいと乱暴に蓉司の手を払った。
視線を感じ、志信を見ると目が合った。志信は少し迷って、笑顔を作った。どこか寂しそうな笑みに胸が苦しくなったが、覚悟も決まる。
自由で気楽な時間は、そう長くない。数カ月後、大学を卒業すればこんな時間はほとんどないのだろう。
そして、人より短い人生を終える。望むものの多くを手にすることもなく――。
暁斗の覚悟は、諦めと同じものだった。
◇◇◇◇◇
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