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6.
茉理の手を引き、地下から階段を上がって繁華街の薄汚れた通りに出る。うるさいダンスミュージックが遠くなっても、暁斗は茉理にかける言葉を見つけられなかった。
茉理には、自分の特殊な性事情など、できるなら知られたくなかった。暁斗も気まずいが、空気を読みすぎる茉理も辛いだろう。中学からの親友が、ゲイ向けデリヘルの愛用者で複数プレイ好き、と聞かされてなんとも思わない奴なんていない。
親友に秘密を多く持ちすぎた罰だろうか。それとも、自分には普通の友人関係も許されないのか。暁斗は怖くて茉理を振り返ることもできなかった。
「……暁斗、やっぱ強いねぇ~」
しかし、茉理は明るく、いつも通りの調子でそう声をかけてきた。そして少し歩を早め、暁斗の隣に並んで暁斗を覗いた。
「俺も蓉司に鍛えてもらったけど、所詮ダイエット目的のエクササイズなんだね。暁斗のパンチ、ぜんっぜん見切れなかった。あの後輩? 大丈夫かね」
暁斗のよく知るお調子者の笑顔が向けられ、思わず目が潤む。
「茉理……お前……」
「ちょっと色々驚いたけど……気にしてないから。俺には関係ない話だしね」
茉理がどれほど頑張ってくれても、無理しているのはわかった。明るい笑顔は微かに引きつり、動揺しているのが伝わる。それでも茉理は気にしないと、優しい嘘を吐いてくれた。
考える前に体が動いた。茉理をギュッと抱きしめていた。
「あ、暁斗?!」
「……いつか、お前に全部話せたらいいのに……」
そんな日は来ないとわかっているが、暁斗は願った。無二の親友に、全てを聞いてもらいたい。自分のなにもかもを――。
「ええ……いいよぉ。俺、暁斗の好きなプレイとか……知りたくないしぃ」
能天気な返事に心が軽くなる。
「俺は、お前が晴れて童貞卒業できた時は全部聞いてやるぜ? いつになるか知んねぇけど」
「は? そ、そんなの……すぐだし。つうか、そうなっても暁斗にいちいち報告なんかしません~」
「そうかぁ? お前、童貞卒業したらその場で浮かれて連絡してきそうだけど」
「あのさ、ちょいちょい俺のことバカにするのやめてくれません? 俺だって、暁斗の知らないところで合コンとか行ってるしさぁ……バイト先の女子とかと……」
はいはいはい。と面倒臭そうに答え、暁斗は夜の繁華街を歩き出した。聞いてんの? と文句を言いながら茉理がついてくる。
叶う見込みのない恋、実家からの重圧、短い人生への諦め――そういう暗い事実を、茉理といると忘れられる。長くない人生で、親友を得られたことは間違いなく暁斗の宝物だ。
「でも、本当に大丈夫かな、あの後輩殴っちゃったりして」
「なんで? 平気だろ、うちの大学の奴らなんてお坊ちゃんばっかだし」
「だけどあいつ……半グレ? みたいなのと繋がってるって聞いたことあるよ」
茉理は暁斗より学園内の事情に詳しい。暁斗はあの後輩を顔も名前も知らなかったが、茉理は見覚えがあったらしい。
「へぇ? うちの大学にも柄の悪い奴がいるんだな。ま、でも俺には関係ねぇな」
「ええ~、そうかなぁ……。暁斗、俺も一緒に謝るから、志信に話そうよ。復讐とか怖いじゃん」
「はぁあ? それこそ怖くねぇよ。俺が強いの見ただろ? あんな雑魚、何人まとめてかかってきたって相手になんねぇよ」
「あのさ、昔の漫画みたいにタイマン勝負で挑んでくるわけじゃないんだよ? なんかヤバい手を使ってくるかもしれないじゃん。絶対、志信に話しておいた方がいいって」
「やだよ! 俺があの店に行ったって知られたら、マジで正座で一時間説教だよ。茉理、志信にだけは絶対に言うなよ」
暁斗が本気で怒ると、茉理は押し黙った。口を尖らせ、納得していない様子で。
それからは無理やり話を変え、茉理とくだらない話をしながら暁斗のマンションを目指した。暁斗の自宅までは繁華街からワンメーターの距離だが、今夜は二人とも歩きたい気分だった。
少し歩くと、小さな公園の前を通った。暁斗には縁のない就活の苦労話を強制的に聞かされている途中だったのに、お喋りな茉理が突然黙って足を止めた。
「茉理?」
「……猫の声がする!」
そう声を上げると、茉理は近くの茂みを覗きこんだ。茉理が猫好きなのは知っていたが、猫好きの恐るべき執念を目の当たりにした。茉理が覗いたそこに、白黒の小さいハチワレ猫が本当にいたのだ。
「はあ~ん、猫ちゃ~ん」
茉理が気持ち悪い声を出しながら猫に近づく。猫は人に慣れているのか、しゃがんだ茉理が差し伸べた手に素直に鼻を擦りつけた。また一つ、茉理が気味の悪い声を上げる。
「かあわいい~ん! 触らせてくれるんだぁ。あ、耳がカットされてるから、地域猫ちゃんなのかなぁ?」
お利口ちゃんでちゅね~、と不気味な言葉を使いこなす親友を冷ややかに見下ろしていると、人に慣れたハチワレ猫も親友が気味悪かったのか、茉理からスッと離れ、暁斗の足元に来た。
柔らかな体が足に触れ、暁斗はビクッと震えた。
「あれぇ? もしかして暁斗、猫怖い?」
茉理が暁斗の弱みを見つけたと言いたそうにニヤつく。ちげぇよ、と言い返してやりたいが、暁斗は足元にまとわりつく猫が気になり、できなかった。
黒と白の配分も、靴下をはいたような白い足先も、尻尾の短さも――よく似ていた。昔可愛がっていた猫に。
あの猫につけた名前はなんといっただろうか――。
「暁斗、固まってる~」
おかしそうに笑う茉理をジロリと睨む。
「ちげぇよ。猫が……怖いんじゃない。猫の方が俺のこと……」
足下の猫が、今にも噛みついてきそうな気がした。ゴロゴロと喉を鳴らしているのに。
茉理は意味がわからず、小首を傾げている。
柔らかな体と、ジーンズの布越しにもわかるぬくもりが、暁斗の悲しい思い出を無理やり引き出す。
暁斗は苦しそうに足元の猫を見下ろし、低く呟いた。
「俺、昔……猫を殺したんだ」
◇◇◇◇◇
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