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都会の夜空に、星は見えない。空は地上から照らされてこうこうと明るく、遠い宇宙の星々をかき消してしまう。 昔はそれが慣れなかった。明るい夜空に馴染めなかった。幼い頃に暮らした、山並みに隔離され、逃げ場を隠されたような小さな村は大嫌いだったのに、真っ暗な山の影に切り取られた満天の星空は好きだった。 いや、星が特別好きだったわけではないのかもしれない。一緒に星空を見上げる人が――特別に大好きだったのだ。 あの時教えてもらった星座も、ほとんど忘れてしまったけれど――。 「……あぁあん、すごいい……」 かなりの“棒”演技な甘い声に、現実に引き戻される。窓の外の夜景がいつか見た星空と重なって、しばらく呆けていたらしい。 誰も拒まず、誰も追いかけない都会のど真ん中のシティホテル。そのダブルルームのクイーンサイズのベッドの上には――三人の男。 二人は生まれたままの姿で抱き合って深く繋がり、もう一人はスーツのジャケットだけを脱いだ格好でその傍らに寄り添っている。 「気持ちいいよぉ……」 組み敷かれた華奢な美少年が“棒”演技を続ける。噴き出しそうになるが、彼も商売でやっているのだから笑ったら失礼だ。そもそも客側――自分の努力が足りないのも悪いのだ。 御城暁斗(おしろあきと)は意識を下半身に集中させ、何度か買っているうちに覚えた相手――デリヘルボーイのイイところを体の内側から性器で突いた。棒演技だった嬌声が、わずかながらに本気に変わって、暁斗の口元が緩む。金で買った時間とはいえ、自分勝手に腰を振って終わるのではあまりに味気ない。互いに気持ち良くなれるように努めなければ。 「イイ? なにが気持ちいいんだ?」 緩いスピードで揺すりながらちょっと意地悪に聞いてやれば、ボーイは嬉しそうに喘ぐ。彼は責められるのが好みなのだ。快感をゆっくり追うのが好きなのは暁斗の方で、もどかしい腰遣いにボーイが焦れる。 「んもう、アキってば……きれいな顔してエッチ。でも……最高……」 ボーイが恍惚としながら、上質の陶器のような暁斗の頬をなぞる。美少年風な風貌を売りにして、ゲイ向けデリバリー風俗店で人気ナンバーワンのこのボーイよりも、暁斗の肌は白く滑らかだ。染めることを許されなかった髪は烏の濡れ羽色を体現し、同じ色の瞳は虹彩と瞳孔の境がわからず、大粒の黒曜石のようだ。黒曜石の瞳は長く豊かなまつ毛に縁どられ、その目に見つめられると多くの者が吸いこまれそうな感覚に陥る。 乾燥を知らないふっくらとした赤い唇と相まって、幼い頃には白雪姫だと例えられたこともあるが、成人した今は姫、と呼ぶには似つかわしくない。身長は百七十台後半で、細身ではあるが上半身も下半身もしっかりと引き締まった筋肉がついている。ボーイを突くたび、薄く割れた腹筋が波打ち、形の良い尻を覆う大臀筋がキュッと締まる。 姫、と呼ばれなくなって久しいが、王子、と呼ばれることは今もたまにあった。このボーイも初めて会った時は、暁斗の容姿に王子様みたいとはしゃいでいた。 誰もが羨む暁斗の美貌。しかし暁斗本人は、姫や王子となぞらえられても、面と向かって美しいと褒め称えられても、喜びも怒りも抱かない。自分の顔が整っているのはただの事実だし、ボーイが商売で甘い声を上げるように、自分の美貌も商売上必要で備わったもの、としか捉えていない。もっとも、暁斗はその商売に手を染めたことはないが――。 褒められてもなんとも思わないが、相手に合わせる常識ぐらいは持ち合わせている。暁斗はウットリと自分を見つめるボーイに甘い笑みで答えた。 「可愛いこと言うなよ。……延長したくなるだろ?」 「え~、嬉しい! ね、延長してくれるんなら……あの人も一緒に……」 ボーイが二人の横に寄りそう大きな影に手を伸ばした。睦み合う二人を、ただジッと見つめ続ける影、それは――幼い頃から暁斗に寄りそう本物の影だった。 「申し出はありがたいが、結構だ。最初の契約通り、俺のことはいないものと思ってくれ」 影、がよく通る低い声で答える。セックスする二人のそばで、顔色も変えず、上半身さえも脱がない影――奥野志信(おくのしのぶ)は、冷たい言葉を優しげな笑顔で誤魔化し、ボーイが伸ばした手をそっと押し戻した。 自分に触れさせまいとする冷酷な動作なのに、一瞬手が触れただけでボーイが頬を赤らめる。それほど志信は、冷たく――美しい男だった。 志信は二十歳を過ぎてもまだ少年ぽさが抜けない暁斗とは違い、たった三つ年上なだけなのに、完璧な大人の男の色気と魅力を纏っている。暁斗とは対照的な顎のしっかりした精悍な顔つき、鍛え上げられた体躯、そのくせ腰だけは細く引き締まった絶妙なバランスの肉体は、雄のフェロモンを無遠慮に振りまいていた。 「でも俺……あなたとも……」 ボーイは志信の偽物の笑みにすっかり騙され、心だけでなく体もキュンとさせた。彼の中にいる暁斗をギュッと締めつけたのが証拠だ。きつい締めつけは本来悦ぶところだろうが、接客中に他の男に色気を出すプロ意識の低さは暁斗をいら立たせた。 暁斗は怒りにまかせ、少し乱暴に腰を打ちつけた。ボーイは切なそうに喘ぎ、視線を志信から暁斗に戻した。志信から引き剥がしたボーイの目を見つめ、真面目な顔で囁く。 「あいつ、ここに……エグいもん彫ってんだよ。だから裸はNG」 暁斗が自分の胸を指差すと、ボーイが目を丸くする。エリートビジネスマンか高級官僚にしか見えない志信の体に彫り物があると言われたら、誰もがそんな顔になるだろう。 「暁斗、いい加減なことを言うな。俺はいつからヤクザになったんだ」 志信が不愉快そうに暁斗を睨む。暁斗は薄く笑い、二人の会話に面白そうにしているボーイを見下ろした。 「ウソ。でもあいつが、俺のセックス見るのが大好きな……変態なのはホント。だからあいつには構うな。それとも……俺だけじゃ不満か?」 「そんな……ただ、いつも見てるだけじゃ悪い、かなって……あぁあん!」 「見てるだけ? こいつが?」 暁斗は苦笑し、ボーイの腰を抱え上げて深く突き入れた。そのまま息苦しそうにしているボーイの唇をキスで塞ぐ。 互いの唇をピッタリと重ね合せ、舌を挿し入れて彼の舌にネットリと絡ませる。プロ意識が低くとも彼も商売だ、暁斗に応えて舌を絡ませてくる。舌を絡ませ合う激しいキスの合間にも、暁斗は腰を揺するのを止めなかった。 視線を感じる。傍らに寄りそう影が――自分を見ている。その目にはなんの感情もないが、志信は暁斗の動向を注意深く窺っている。常に、いつでも――。 だから暁斗は男を抱く。キスをする。 深いキスが重ねられ、暁斗の唾液がボーイに伝わる。彼はそれを嫌がることなく、むしろ嬉しそうに飲み込んだ。目立たない喉仏がコクリと動き、暁斗は満足げに笑んだ。 暁斗の唾液を飲み干したボーイは、腹が立つことに、彼のイイところを突いてやった時より本気で感じていた。目が蕩けて、焦点を失っている。自分のセックスが下手なようで悔しいが、キスで相手を蕩けさせることこそ、暁斗の能力だった。 コンドームを着けなければ、性器、そこから漏れ出る体液でも相手を蕩けさせられるのだが、それは暁斗の影――志信が絶対に許さないし、暁斗自身も避けたかった。あまりに危険すぎる。 ボーイの蕩けた目を楽しそうに見つめていると、乱暴に肩を押され華奢な体から引き離された。暁斗がキスを止めるとすぐ、志信がボーイに覆い被さる。暁斗を押しのけるようにしてボーイに――キスをする。 志信のキスは、暁斗よりもさらに濃厚だった。暁斗がしたよりずっと深く、口づける。暁斗の触れた箇所を全て舐り、暁斗が堪能した小さな舌を強く吸う。志信のキスは、しつこいほど激しくて、相手の呼吸を止めてしまいそうなほど危険なキスだった。 暁斗は志信のキスを無心で見つめた。志信の唇がボーイの唇を覆い、志信の舌が薄い唇の合間を出入りするのを、まんじりと見つめ続けた。 あの唇は――一体どんな感触なのだろう。暁斗の長年の謎で、求め続ける解だ。 志信の唇を、舌を、見えないはずの吐息までも――見つめ続ける。これが、この光景だけが、金で買った退屈な時間のたった一つの慰めなのだ。 志信のキスが止むと、ボーイはほとんど意識を手放したように惚けていた。ボーイの体は熱くなるばかりで、暁斗を受け入れたままの小さな穴は蕩けて妖しく蠢き、激しく責め立てられることを望んでいる。無意識だろうに、暁斗の性器をキュンキュンと締めつけ、さらなる快楽をはしたなく求めてくる。 可愛い見た目の男にそうして求められれば、暁斗の欲情も否応なく高まる。しかし肉体が昂る一方で、心は急速に冷めていった。心と体が完全に乖離しているのだが、この奇妙な感覚も慣れたものだ。 心と肉体を切り離さなければ、この夜を乗り切れない。 暁斗は再び腰を動かし始めた。心が満たされないのは常だから、体の熱だけでも放出することにする。今度は熱を吐き出すため、早い動きになった。夜景に照らされた影が妖しく揺れ、ベッドが音を立てて軋む。 暁斗の巧みな動きに、ボーイが本物の甘い声を上げる。冷めた心でも、自分が抱く相手が乱れる様は、男として満足感を得られる。心の隙間を埋めるほどではなくても、慰めにはなる。 「……俺に抱かれた奴は、天国に行けんだよ」 ボーイの耳元で囁くと、彼は恍惚としながら、ほんとに? と笑った。きっとクサイ、気障な冗談だと思ったのだろう。 志信がいなければ、とっくに天国に行っているとは知らずに――。 暁斗は自虐的な笑みを浮かべ、それからボーイに口づけた。暁斗のキスはいつも、深い。彼を抱く間、金で買った時間の間、何度も何度も――全てを奪うようにキスをする。 ボーイは、アキは本当にキスが好きだね、と嬉しそうに笑んだが、暁斗は曖昧に微笑んで答えなかった。 暁斗がキスをすれば、志信もキスをする。暁斗の痕跡を消し去るように、志信が暁斗の口づけた相手に口づける。それが見たくて暁斗は誰かとキスをする。 枕元に力なく置かれたボーイの細い手を掴み、恋人同士のように指を絡ませた。その手をギュッと握って、ラストスパートをかける。細い腰を激しく振って束の間の快楽を追いかける。 「あぁっ、すご……イッちゃう……!」 ボーイの中がギュウギュウと締まり、暁斗を追い込む。この反応や言葉が本気のものなのか、商売上のサービスなのかはわからない。正直、どちらでもいい。暁斗も結局最後は自分勝手に快感に溺れた。揺れる腰は最早自分の意志では動いていない。 達する直前の無防備な雄の姿を、志信の前で晒す。本来は非常にプライベートで他人に見せることのない痴態を、暁斗は常に志信の前で晒さなければならない。 志信が、見ている。 そして志信が見ていないと、暁斗はイけない。 「ああ、クソッ……イクっ」 暁斗はボーイの小さな頭を掻き抱き、荒々しく口づけ、そして達した。 視界の端には、必ず志信を捉えている。志信が執拗に暁斗を見ている。何度か襲う快感の波に震えながら、暁斗も志信の動きをずっと窺っていた。 志信が動くのを察知し、暁斗は肩で息をしながらボーイの唇を開放した。 間髪を入れず、志信がボーイに口づける。するとボーイがまだ彼の中にいる、達したばかりの暁斗の性器を強く締めつけた。中が激しくうねり、ボーイが嘘偽りなく達したと伝わる。ボーイの薄い腹の上に白濁が散った。 ボーイは、志信のキスで本物の天国を見た。 暁斗はしばし嫉妬に苛まれた。志信のキスで絶頂を迎えたボーイを妬み、苦々しく思う。 激しいキスでボーイをイかせた志信が体を起こし、濡れた唇を親指で荒っぽく拭う。その時やっと、志信と目が合った。きっと暁斗の漆黒の瞳は快感に濡れているが、見つめ返す志信の目はどこまでも冷たく、感情がない。 その目の冷たさに、暁斗は震え上がった。達したばかりの若い肉体に、新たな欲望の火が灯る。 いつも思う。この夜は一体なんなのだろう。どんな意味があるというのだろう、と。 好きな男の前で、別の男を抱く。そして惚れた男が、自分ではない男とキスを交わす。 何度も何度も――。 混乱する。嫉妬と欲望が入り混じり、精神が病んで頭がおかしくなりそうになる。 それでも、暁斗はこの夜を手放せない。この夜だけが、間接的にでも好きな男に触れられる唯一の時間だから――。 暁斗は再び燃え上がった欲望を、すぐにボーイにぶつけた。休む間も与えず、それから何度も好きでもない男を抱いた。その間ずっと――志信は暁斗を見ていた。 志信に見られていることが、なによりも暁斗を燃え上がらせる。 好きな男に見られながら、好きな男のキスを見つめながら、暁斗は幾度も金で買った男を抱いた。 不明瞭でいびつな夜は、明け方まで続いた。 ◇◇◇◇◇
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