記憶のカケラ

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玄関に鍵をかけて、ポストの中に鍵を入れる。階段を降りるともう一度振り返り、しばらく家を眺めた後に、深く頭を下げた。 頭を上げてクルリと向きを変え、一歩前に出る。もう一歩、もう一歩と足を前に出して、止まらずに進んで行く。もう既に引き返したいと願う気持ちを抑えて、僕はただひたすら前だけを見て歩いた。 今にも「雪!」と後ろから祥吾さんの声が聞こえてきそうで、僕の胸がギシギシと痛んで苦しくなる。 背中にリュックを背負い、胸を抑えて俯きながら歩いていると、目の前に大きなスニーカーが現れた。 僕は歩みを止めて、ゆっくりと顔を上げる。そこには、いつかの雑貨屋さんの前で会った、理久がいた。 「…理久…」 「奈津、思い出したんだな?俺のことが、わかるんだなっ?」 理久が、僕の両肩を掴んで、顔を覗き込んで聞いてくる。 「思い出したよ…。理久の手紙を読んで…。ねぇ、なんで手紙をくれたの?あんなの、読まなければ、僕はまだ祥吾さんといられたんだ…っ」 「奈津っ!そんなの、偽物だっ。だっておまえは『ゆき』じゃない。高梨 奈津だ。家族や俺や友達といたおまえが、本物なんだ。そう思ったから、あの家を出て来たんだろ?俺、今度こそおまえを守る。二度と傷つけない。だから一緒に帰ろう…」 理久が、僕の頭を抱き寄せて、髪の毛に唇をつけて「ごめんな…」と囁いた。 僕は、黙って理久の胸に顔を埋めた。だけど、理久を許した訳じゃない。いや、許すとか許さないとかは、もうどうでもいいんだ。それに、元いた場所へ戻りたいから、祥吾さんとの家を出て来た訳でもない。 ただ、僕が傍にいることで、小説家として名の売れた祥吾さんに、悪い噂が立つのが嫌だったんだ。僕が長く傍にいることで、いずれは嫌われてしまうかもしれないことが怖かったんだ。 僕は、そっと理久の胸を押して顔を上げる。 「帰ろう…。理久は、僕を迎えに来たんでしょ?」 「ああ。近くに車を停めてる。じゃあ、行こうか。高梨教授が、家で待ってるよ」 僕の背中に手を添えて、理久がそう言いながら歩き出す。 僕は、懐かしい場所へ戻りたかった訳じゃない。でも、おじいちゃんにだけは早く会いたいと、胸が詰まって涙が溢れそうになった。
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