きれい。

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 それ以来、試験期間に入ってもなんだかんだと理由をつけて村野に接近する安藤を、剛毅はただ見ているだけの日々。  試験中は午前中だけなので、ランチタイムもなし。校内ではいつも安藤に先を越されて、剛毅はなんとなく声をかけにくかった。  そうこうしているうちにテストも終了。もう今日は終業式だった。  朝のHR前、隣の安藤が唸るように言った。  「悔しいー。大した進展もないまま、もう夏休みじゃん」  「安藤って、けっこう打たれ強いよな…」  呟くように言った剛毅の言葉を、安藤が聞き咎めた。  「何だと? 失礼なやつね。まだまだこれからよ」  きっ、と剛毅の方を睨む。剛毅は別に嫌みのつもりはなく正直な感想だったのだが。  実際、村野はよく言えば冷静、悪く言えば無愛想で、顔も怖いので女子には敬遠されがちだ。悪気はないのだが、必要最小限しかものを言わない。聞かれたことしか答えない。誰にでもそうなので、安藤にもそういう対応。  普通男ってゲンキンだから、野郎同士ではつっけんどんでも、女の子に話しかけられると愛想がよかったりする。まして安藤は可愛いし人気があるので、男子のこういう対応にあんまり慣れてないはずだ。  「確かに村野は冷たいけど、私のことを、パス!とか思ってるわけじゃないと思う。特に意識はしてないだけで。要はまず私の存在をアピールできればいいんだ。後は押しの一手ね。ああいう自分から女の子のお尻追っかけたりしないタイプは、逆に押されると弱かったり情に流されたりすんのよ」  客観的に分析しつつ、自信たっぷりに言い切る安藤。もちろん、何の根拠もない分析だが、剛毅は案外当たっていそうな気がしてきた。  「ま、みててよ。夏休み中には勝負かけるから。新学期には晴れて仲良くご登校よ」  なんだか剛毅の一言が火に油を注いだようで、胸の前で小さくガッツポーズしながら安藤は燃えている。  がんばれ、とも言えず、剛毅は複雑な思いでただ黙って聞いているしかなかった。  大掃除の時間、図書係の剛毅たちは当然図書館の担当で、剛毅と迫田はその中でも一番大変な書庫の分担になってしまった。  「げー、すげぇ埃!」  普段は締め切ったままでほとんど誰も入らない書庫の中は、見た目は整然としているが降り積もった埃の量は半端じゃない。その上締め切られていた室内は蒸し暑くて、温室のようだった。  「くそー、なんで俺たちが~」  いつまでもぶつぶつ文句を言う迫田に、軍手とマスクを放りながら剛毅が冷たく、かつ不機嫌な口調で言った。  「お前が、じゃんけんで負けたからだろ? 文句言いたいのは俺の方だ。さっさと窓開けろ」  「は、はい。すみません…」  迫田は、しゅんとして素直に従う。とりあえず二人は全ての窓を開けて風を通しながら、マスクと軍手でガードしつつ、書棚の端から順に埃を払ってゆく。通常の掃除当番は、サボり常習犯の迫田だが、今回はさすがに責任を感じたのか黙々と作業を続けていた。  最後に、雑巾で全体の乾拭きをして、一応ひととおり作業は終わりだ。真面目に取り組んだせいか、終了時間までまだ結構時間があった。  「はぁ、疲れた~」  風通しのよい日影の方の窓際に凭れて、迫田が座り込む。  「雑巾洗ってこなきゃ」  マスクと軍手を外して、汗ばんだ額を拭いながら言う剛毅に、  「最後でいいじゃん。今行ったら、終わったのバレるぞ」  そう言って、迫田はちょっと狡賢い笑みを浮かべる。書庫部分は建物の一番奥なので、閲覧室を通らないと外に出られない。雑巾を洗いに行けば、閲覧室にいる担当教諭に、終わったんなら中を手伝えと言われるかもしれない。さすが、迫田。サボりにかけては抜け目がない。  作業もハードだったが、何よりこの暑さと埃だ。半袖のカッターシャツに軍手では、汗ばんだ首筋や腕に纏わりつく埃をカバーできないし、マスクのおかげで酸欠なのか、頭もぼーっとする。  「確かに」  剛毅とて、これ以上働きたくはない。同じく、少し離れて迫田の横に座り込んだ。ハンカチで汗を拭いながら、剛毅は埃でむず痒くなってきた首筋に、無意識に手を遣っていた。  「赤くなってる。掻かない方がいいぞ」  迫田が覗き込むようにして、そう言った。剛毅は肌が弱く、ちょっとしたことですぐ赤くなる。  「わかってる」  そう言いながらもつい擦るように触ってしまう剛毅に、  「それ、ちょっと貸して」  迫田は急に思いついたように言って、剛毅の手からハンカチを取り上げて立ち上がる。  「濡らして拭いたほうがいいよ」  きょとんとした顔で見上げる剛毅を残して、迫田はそのまま窓枠に足をかけて外に下りた。  「えっ、迫田?」  慌てて立ち上がって窓から外を見ると、裏庭の水道に向かって走っていく迫田の姿が見えた。程なく戻ってきた迫田が、窓の下から剛毅に濡らしたハンカチを差し出す。  「ほい」  「――さんきゅ」  迫田の意外な優しさに、剛毅は照れくさいようなくすぐったいような不思議な気持ちで、微笑んだ。受け取った剛毅の笑顔に、  「役得」  思わず迫田が呟いた。めったに拝めない剛毅の笑顔。冷たく見える美貌も、笑うと観音様だ。  「え?」  「なんでもなーい。それよりさ、悪いけどちょっと手伝ってくんない? ――ひとりじゃ上がれそーもない高さだわ、こりゃ」  そう言って、窓枠に手をかけて剛毅を見上げる。書庫は、他の部分よりも床が高い。170以上はある迫田だが、外からでは肩より高い位置に窓枠がある。  「ったく、こんなとこから出るから」  「だって、こっからの方が水道近いし、他の奴らに見つからないじゃんかー」  しぶしぶ剛毅は迫田の腕を掴んでひっぱり上げる。  「せえのっ、と。――うわ!」  勢い余って、窓を乗り越えた迫田ごと床に転がってしまった。  後頭部はなんとか打たずにすんだものの、剛毅は肩を床にしたたか打ち付けてしまっていた。  「った~…」  重なった体の下で、肩を押さえ顔を歪める剛毅。開いた胸元、白い首筋のところどころ赤くなったところがなんだかキスマークのように見えて、迫田はどきりとした。少し汗ばんだ額にかかる乱れた髪や、伏せた睫の影、少し開いた唇に、妙な衝動を呼び起こされる。その辺の女よりよっぽど綺麗な顔をしているから、相手が男だということを一瞬忘れてしまった。  「――迫田?」  なかなか自分の上からどこうとしない迫田に、剛毅は怪訝な顔を向けた。  「え?――あ、ごめん!」   慌てて迫田は体を起こしたが、そのとき一瞬、下腹部が当たってしまった。   無言で迫田を見つめる剛毅の無表情が怖い。  「その…、ほんとごめん!」  迫田は真っ赤になって、手を合わせ必死に謝る。  「ちょっとした刺激が命取り、ハズミで勃っちゃうお年頃なんです~!! ホモじゃないんです~!!」  焦って言い訳する迫田の様子に苦笑しながら、剛毅はゆっくりと体を起こす。  「いいけど、――慣れてるから」  思わずぼそりと洩らした剛毅に、迫田が変な顔をした。  「慣れてる?」  「この顔のおかげで、危険な目にはいろいろ遭ってきてるしさ。子供のころから」  「危険って…」  心配そうな、滅多に見られない迫田の真面目な顏。  「変質者とか、見さかいのない若者とか、結構多いんだよね、世の中。幸いにして実害には至ってないけど」  さすがに強姦された経験ありますとは言えないが、他人事のように淡々と話す剛毅に、  「――顔がイイって得なことだと思ってたけど…。案外大変なんだな」  迫田は気の毒そうに、しみじみといった。  「こんな顔、よくないよ。――誘ってるような顔なんだってさ。こっちにはそんなつもり、さらさら無いんだけどね…。――おまえがホモだなんて思わないから、気にしなくていいよ」  そう言って、剛毅は落ちていたハンカチを拾い上げる。  「熊崎…」  なんとも言えない表情の迫田。  「そうだ。罰として、雑巾の後片付けはおまえな」  わざと偉そうな口調でそう言った剛毅に、  「もちろんですとも旦那! 雑巾でもモップでも、体育倉庫でもなんでも片付けますとも~」  迫田はやっといつものお調子者の顔に戻って、揉み手をしながら頭を下げてみせた。  「なあ、村野」  夏休みに入ってすぐ、剛毅は村野と久しぶりに映画を見に街に出ていた。試験中は来られなかったので、やっと解禁だ。といっても今日でやっと3回目。まだ、借りは返せていなかった。  「ん?」  映画を見た後入った喫茶店。剛毅の声に、パンフレットを眺めていた村野が顔を上げる。  いつもは映画を見るだけで、ときどき帰りに少し買い物をする程度なのだが、今日は珍しく、お茶でも飲んで行こうと剛毅が誘ったのだ。  「安藤から、なんか言ってきた?」  それとなく、世間話のついでのように聞いてみようと思っていたはずなのに、選んだつもりの言葉は、どストレートだった。しまったと思ったが、いったん口をついて出てしまった以上仕方がない。  「なんかって?」  聞き返されて、返事に詰まる。こういうときの村野って無表情なだけに、怒ってるのか、何も考えてないのか、判断に困る。  「その、ラインとか電話とか、どっか遊びに行こうかとか」  しどろもどろになりながらも、続ける。おまえに関係ないとか言われたらどうしようとか、不安な気持ちになりつつも、今更あとには引けない。  「安藤とはラインやってない。電話はあった。映画にいこうと誘われたけど、こっちが先約だったから断った」  淡々とそう言ってアイスコーヒーに口をつける。  「そ、そう」  安藤に関して村野はどう思っているのかとか、そもそも安藤のモーションに気付いているのかどうかも、村野のリアクションからは読めない。普通は気付くだろうが、剛毅とは別の意味で周りの反応に無関心な村野のことだから、わからない。  「そういえば、姉さん帰ってきたのか?」  ふと思い出したように、村野が聞いた。  「ま、まだ。来週から佐山さんがお休みだから、それまでに帰ってきてくれるとか言ってたけど…」  お手伝いの佐山さんが夏休みをとるので、母の冴子が出来たらそれに合わせて帰ってきて欲しいと実乃里に電話をしているのを剛毅は聞いていた。  そのことを考えると、なんだか落ち着かなかった。  「逃げんなよ」  言葉は厳しいが、村野には珍しい、かなり優しい笑顔がそう励ましてくれる。  普段は相変わらず大魔人系無表情の村野だが、最近剛毅にはときどき優しい表情をしてくれるようになった。といっても、普通の人の愛想笑いの半分程度の表情筋しか使っていなさそうな笑顔だけれど。  剛毅には、村野のほんの少しの眉の動きや目の表情でも、なんとなく感情が読み取れるようになってきていた。一緒にいる時間が長くなれば慣れてくるし、よく見ていれば簡単なことだ。ものを言わないマロンの気持ちだって、向かい合えばちゃんとわかる。  愛情があれば、ちょっとした仕草や表情でその人の感情は伝わってくる。なければ、目の前で泣き喚いたって何も伝わらない。  自分に見せるようなちょっとしたこんな表情でさえも、健太くんたち家族はともかく、安藤や他の子たちに見せるのかなと思うと、剛毅はなんだか寂しいような気がした。彼女が出来たら今までみたいに一緒にいられない。時間的にも気持ち的にも村野がそっちに行ってしまうのは嫌だった。  なんだろう、この気持ちは――。  はじめは、親しい友達に対する子供っぽい独占欲かと思ったけれど、迫田に対する気持ちとはぜんぜん違っていた。迫田とはきっと、友達だと言っていいんだろうけれど、そんな独占欲は湧かない。美也ちゃんに夢中だったときも別に寂しくなかったし、振られて落ち込んでいたときも、元気づけてやりたいとは思ったけれど。  でも、村野がもし誰かと付き合って、その子に夢中になったら――。  そう思うと、なんだか胸が痛くなった。見捨てられたような、取り残されたような切ない痛み。あのとき、ドアを閉めて実乃里が行ってしまったときの痛みに、少し似ている。  「剛毅?」  我知らず村野をじっと見つめてしまっていた剛毅に、村野が不思議そうに声を掛ける。  「え、ああ、ごめん。なんでもない」  我に返った剛毅は慌てて取り繕う。  「大丈夫か? あんまり深刻に考え込むなよ。ゆっくりでいいんだからさ」  思い悩んでいる剛毅の様子に、村野は姉とのことが原因だと思っているようだ。  「うん。大丈夫」  無理に笑った剛毅に、村野はちょっと考えて言った。  「一度、うちにミッキーの様子見にくれば? だいぶ大きくなったぞ。あいつらもお前に会いたがってたし」  「ほんと? それは嬉しいかも。覚えててくれたんだ」  「ああ、特に梨奈がな。あいつはおまえのファンらしい」  おかしそうに言った村野に、剛毅も笑って言う。  「光栄だね。大きくなったらお嫁さんに貰っちゃおうかな」  「それはだめだ」  当然冗談で言った剛毅に、村野が真顔で反対する。  剛毅は思わず吹き出してしまった。まるで娘を嫁に出したくない父親のようだと思った。  「やっぱその年にして、気持ちはお父さんなわけ? 村野って」  あんまりおかしくてにじんだ涙を拭きながら言う剛毅に、憮然と村野が答える。  「違うぞ」  「いいって。別にばかにしてるわけじゃないよ」  それでも、笑いながら言うその言葉にあまり真実味は感じられなかったらしく、村野はぶすっと黙り込んでしまう。  剛毅は、そんな村野がすごく愛おしく思えてなんだか切なくなる。愛想がなくて、ぶっきらぼうで、要領が悪いから、自分のことをあまり話さないし、目に見えて判りやすい親切や適当なことを言わないから、気づく人はは少ないけど、ちゃんと見てればわかる。  村野は懐が深くてまっすぐで、本当の意味で優しい人間だってこと。剛毅は村野と出会えて良かったと思う。  だから――、こんな変な独占欲、ちゃんと自分で解決しなくちゃ。こんなの子供じみたわがままだ。剛毅は痛む胸をそっと押さえた。
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