優勢

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優勢

中は思ったよりも広かった。 きれいに片付いているが、家具は必要以上と思えるくらいに揃っている。 女だけで住んでいるのがわかるくらい可愛らしい内装も施してあり、壁にはオシャレな感じで洋服もかかっている。 ここまでにするには、相当のお金が必要になったはずだ。 元手はもちろん、大樹だろう。 「ママ、この人だれ」 「初めまして。大樹の婚約者の鈴木です」 下の子どもの問いかけにリエが答える前に、萌は早口でそう言った。 視線が怖かったのか、彼女は姉の後ろに逃げ隠れた。 「私の言い分は一つです。大樹とは、もう二度と関わらないでください」 萌がそう言うなり、リエがきっと睨み付けてくる。 隣では長女も似たような表情を見せていた。 「ダイちゃん、どういうこと?」 「そういうことだよ。俺はもう彼女と結婚することに決めてる。だから、もう、」 「もう?」 「だから、もう、二度と関わらないでほしい」 リエの強気に押されながらも、大樹は何とかそう言うことに成功した。 多少小声だったが、この際、目を瞑ることにする。 「…りいは、どうなるの?」 「あいつがいるじゃん。もうそろそろ正しい家族の形になるべきだよ」 「正しいって、なに?今のりいたちは間違ってるってこと?」 「うん。ちゃんとほんとのパパがいるんだから、いつまでも俺が入り込んでいるのはダメだと思うよ」 「りいは、ダイちゃんが好きなんだよ。あいつじゃない」 「それでもパパだよ。俺は違う」 「みき、パパはダイちゃんがいい」 下の子がぼそぼそと言った。それを援護するように、姉も言葉を発する。 「そうだよ。みいだって、ダイちゃんをパパだと思ってるもん」 「だから、それが間違いなんだ。俺は他人だよ」 「なにそれ。冷たい言い方。あり得ないんだけど」 リエが怒り心頭な様子で机を叩いた。バンッという鈍い音が部屋中に響く。 「ダイちゃんさ、どうしちゃったの?あんなに優しかったのに、何でこんなに変わっちゃうの?絶対、この女の悪影響のせいでしょ。ほんと最低。悪魔みたいだね」 ふざけんな。 萌はわなわなしそうな拳をぐいっと握りしめた。 どっちが悪魔だ。 大樹に憑りつく悪霊もどきのくせに。 萌は感情的に怒鳴ってしまいそうなのをどうにか堪えながら、出来るだけ落ち着いてこう言った。 「彼は真面目に人生を考えただけです。そして自分にとっても周りにとっても一番良い道を選んだだけですよ。その邪魔をしないでください」 「ダイちゃんにとって一番いいのは、りいたちといることじゃん。幸せだって言ってるじゃん」 「それが間違いだって気付いたんです。それに彼の家族にしてみたら、あなた達との関わりは好ましくないはずですし」 「は?」 本気でわからないのか、それとも萌の言い方が悪かったのか、リエは理解できないといった顔をしている。 「息子が子持ちの女性と関わるメリット、大樹の家族にありますか?」 そこまで言ってやると、ようやく合点が言ったようだった。 リエは俯いて、ギリギリと歯を噛みしめている。 子どもたちはポカンとした表情をしている。萌はここぞとばかりに畳みかけた。 「息子が、女と、自分とは無関係の子どものために、十年近く、時間と収入のほとんどを注ぎ込んでいる。しかも週末にはATM付きの運転手ですからね。そんな事実を御両親が知ったらどう思うと思います?ちなみに私は、きちんと結婚を前提とした付き合いとして、御両親に挨拶しています。世間的に見て、どちらが支持されるとお考えですか?」 リエは無言のまま、萌を睨み付けてきた。 反論の余地なんかどこにもないはずだ。 萌は間違ったことは何一つ言っていない。 すべて事実なのだから。 「ドロボー」 リエが黙ってしまった代わりのように、上の子がそう呟いた。 「は?」 相手が子どもということを忘れて、萌は思わず、じろりとねめつけてしまった。 が、彼女もこちらに負けず劣らずの視線を返してきた。 「どういう意味かな?」 「そのまんま。あんたはあたしたちからダイちゃんを盗ってったドロボーじゃん」 萌は一瞬、答えに窮した。 単にムカッとしたからではない。 この子どもにどこまでの情報を与えてよいものか、迷ってしまったからだ。 「…大樹はあなた達の所有物じゃないよ?わかってる?」 「ダイちゃんは、あたしたちのパパになるんだけど。それをなんであんたが邪魔する権利があるの?」 妙に大人びた言い回しが癇に障る。 そしてこちらを睨んでくるその目は、母親にそっくりだ。 萌は苛立ちを沈めた腹に力を込めて、こう言ってやった。 「パパにはならないよ。絶対になれない」 「どうして?」 「結婚てね、そんなに簡単にはできないの。特に大樹の家みたいに、堅いお家柄じゃね。単純に相手を好きだからってことだけでじゃ、絶対に認められない。両家の釣り合いが取れることや、相手にマイナスの要素がないかとか、色んなことを含めて判断されるの」 「意味わかんない。そんなのどうでもいいし」 「子どもにはわかんなくて当然です」 子どもという部分を強調して、萌はそう言い切った。 母親の援護射撃をするつもりだったのだろうが、やはりまだ幼い。 世間の常識を知らないゆえに、萌の言い分も理解できないのだろう。 もっとも、この母親に育てられて、まともな常識が身に付くとは思えないけれど。 「ねぇ、ダイちゃん。この人、どうにかしてよ」 「どうにかって、彼女の言っていることは全部事実だよ。俺はパパにはならないし、なれない」 「ウソだよ。だって、なってくれるって言ったじゃん」 「あれは、その」 「口から出たでまかせ、そうでしょ?」 口ごもりそうになる大樹にサポートを出してやる。 萌がそう言って強い視線を彼に向けると、大樹は数度頷いて、すぐまた俯き体勢に入った。 「ウソつき。サイテー」 上の子は半泣きになりながらも、勝気な態度は崩さなかった。 気が強そうな子だ。 子どもと言えど、これでは萌の嫌いな部類に入る。 そう悟った瞬間から、萌の心情には変化が生まれた。 「嘘つきでも、最低でも、何でも構わない。大樹のことはとことん嫌いになってくれていいから、もう関わらないで」 「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないの?」 「私は大樹の婚約者だから。正式な、ね。これ以上文句があるなら、法的手段も考えますけど」 最後の言葉だけは、リエに向かって告げた。 彼女は娘にしゃべらせておいて、自分はただこちらをひたすら睨み付けているだけである。 さすがにこれには反応してくると思ったが、それも見当違いだった。 「ほうてきしゅだん?何それ?」 「子どもには関係ないことだよ」 「関係なくないし。ちゃんと説明しなよ」 しつこい。ウザい。 やっぱり、この子嫌いだ。 萌は面倒だったが、少しばかりは話してやることにした。 「まず、これ以上私達につきまとうなら、たとえば会社に来るとか、無理やり連絡とろうとするとかだけど、そうなったら弁護士に頼んで訴えます。そうなれば、あなた達は法律で裁かれ、場合によっては罰を受けることになる。お母さんの仕事はなくなるし、あなた達だって学校に行けなくなるかもしれない」 「マジで言ってんの?」 「こちらは本気です」 多少弱気の色を見せた子どもの隙は逃さない。 萌は真剣さが伝わりやすいよう、声を低くして見せた。 「加えて、税務署と役所にも連絡しますから。あなた、ちゃんと所得分の申告していないでしょ?」 「何のことだかわかんないんだけど」 リエは本気でわからなそうな顔をしている。 「こっちは私も正確なところわかりませんけれど、大樹からの送金はどういう扱いになっているんですか?とりあえず公的機関に事実は告げますよ」 言ってはみたものの、萌もこうすることにどんな効果があるのかはわからなかった。 だけれど、自分では到底稼げない異常な額を何度も手に入れているのだから、何らかの申告は必要に違いない。 とりあえず入金の事実を明らかにしてやった上で、役所の指示に従うのがベストなのだろう。 中身はともかく、萌がリエを制裁しようとしていることは伝わったようである。 彼女は険しい表情を浮かべながら、激しく爪を噛んでいる。 「りぃにどうしろっていうわけ?」 「だから、大樹にこれ以上関わらないでください。そうすれば、全ては水に流します」 「みいはさ、来年受験なんだよ。塾代とか、受かったら学費だってかかるの。それをどうしたらいいの?」 知るか、バカ。萌は頭が痛くなってきた。 この女は、どこまであっても大樹を金づるにしておきたいのだろう。 身の丈に合っていない、私学受験まで視野に入れているとは想像以上だ。 「一つ、お知らせしておくことがありました。大樹は会社、近日中に辞めますから」 「え、辞めるって」 「資格を取るための勉強をするので、無職になって、収入はゼロになります」 「うそ」 「本当です」 嘘だ。 大樹自身、萌のでっち上げに驚いてしまっている。 ここは是が非でも合わせる場面だろうに、彼は目を見開いてこっちを見てみた。 「多分、最低でも三年はかかります。これまでの貯金は生活費になるので、あなた達に使う余裕はありません。お金がない男でも、一緒にいたいですか?」 大樹の演技力不足を補うように、真剣さを装った萌の言葉を、リエは馬鹿正直に受け取ってくれたようだ。 あきらかにさっきとは違う様子、若干引いた感じになっている。 「ダイちゃん、マジで?」 「あ、あ、うん。辞めて、勉強するよ」 たどたどしさが、もどかしい。 せっかくの萌の機転がこれでは水の泡だ。 そんな心配をしてみたけれど、どうやら無用だったようだ。 リエはしらけた態度そのものだった。 「仮に試験に通っても、その後数年は稼げないと思いますよ。多分、極貧生活。私はそれでも彼を支えますけど」 「あっそ。なんか、無職とかひくわ」 びっくりするくらいの方向転換。 大樹もリエのその様に驚きを隠せないようだ。 「もう、用無いんだけど。帰って」 「え?」 大樹から思わず呟きが漏れる。 頭ではわかっていたものの、本当に金だけが目当てだったことを突きつけられてショック状態なのだろう。 萌は拍子抜けする一方で、心の中で大笑いをした。 やっと、これで終われる。 この悪夢から解放されるんだ。 過去がきれいになって、ようやく未来を描けるようになれる。 ここからはもう萌のものだ。彼との将来を現実的に見つめていこう。 「帰ろ。じゃ、失礼します」 萌は大樹にもそう促すと、ゆっくりと立ち上がった。
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