劣勢

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劣勢

「ダイちゃん、ウソついてる」 そう言いながら、立ち上がろうとした大樹の腕を長女がむんずと掴んだ。 「いっつもそうだもん。ウソつくとき、親指、手の中にぎゅっと入れてるよね」 大樹ははっとしたように、自分の拳を見た。 つられて萌が確認した時には既にパーになっていたけれど、多分、彼女の言う通りだったんだろう。 「ウソ? どういうことよ」 ここぞとばかりにリエが参戦してきた。 彼女もまた立ち上がると、大樹の胸ににじり寄っていく。 「いや、俺は何にも、ウソなんて」 「会社辞めるっていうのがウソだよね」 うろたえる大樹に、長女は確信を持った様子でそう言った。 「その話したあたりからずっと手を握ってたもん。みい、ちゃんと見てたから」 「あ、それは」 「は? 何それ? あんた、りいをダマしたわけ?」 リエは今度は萌に詰め寄ってきた。 憎しみでいっぱいの目で睨み付けられて、思わず萌は後退ってしまいそうになる。 けれど、そこはこちらからも似たような感情をぶつけてやることで、どうにか踏みとどまった。 「まだ、決定していないっていうだけです。だから大樹にとっては、ウソをついているような感覚になってしまったんでしょうね」 よくもまぁ、こんなにペラペラ適当なことが言えるものだ。 そんなに人を騙すことが得意ではないというのに、この場では面白い様に言葉が出てくる。 萌は自分で自分を褒めてやりたくなった。 「大樹も、勘違いさせるようなことしないでよ」 色んな意味を込めてガツンと釘を刺す。 その迫力にたじたじとなりながらも、大樹はうんうんと頷いてくれた。 「それに、たとえ会社を辞めようとそうでないにせよ、あなた達にお金が行くことは二度とありませんから。大樹の全財産は私が管理しているので、日々の生活費ですら、必要分しか渡していないので。まぁ、百円単位くらいであれば、むしり取れるかもしれませんけどね」 萌は明るくそう言うと、にっこり微笑んでみせた。 それを受けて、リエの方は怒りで真っ赤な顔をしている。 けばけばしい化粧と相まって、まるで山姥のような形相だ。 「わかったら、もう二度と私達に関わらないでくださいね」 「ひきょうもの」 子どもの声が聞こえたと同時に、萌は体に痛みを感じた。 見れば、足元には重たそうなギャル雑誌が落ちている。 この本の角が、萌の下腹部に直撃したようだ。 投げ付けた当人、長女が息を荒らしながら、萌を真っ直ぐに見ていた。 「あんた、ほんとにサイテーだね。自分のことばっかじゃん。人の気持ちなんて、何にも考えないんだ」 「どういう、意味かな?」 萌は痛む箇所をさすりながら、相手にそう問いかけた。 「あたしは、何のために勉強してると思ってんの?受験したって、学費が払えなきゃ学校に通えないんだよ。子どもの夢奪うなんて、それでも大人かよ」 彼女は半泣きになりながらそう怒鳴った。 乱暴に手で涙を擦って、盛大に鼻を啜っている。 そんな様子を目の当たりにした萌は、一旦黙るしか出来なかった。 …言葉が見つからない。 無論、同情心など欠片もない。 あまりの非常識さに、萌の方が固まってしまったといった方が正しいだろう。彼女が訴えているのは、かなり見当違いな言い分なのだ。 それをさも自分が正しいかのようにぶちまけられたところで、湧いてくるのは呆れとバカバカしさだけだった。 萌は大きく深呼吸した。仕方がない。 どんなに非情なことを口にしても、現実を突きつけてやることは大人としての務めなのだろう。 「…あのさ、本気で受験する気なの?」 「そうだよ。だから勉強してるんだよ」 「自分の身の丈って、わかってる?」 「ちゃんと成績に合ったとこを狙ってますけど」 「そう言うことじゃない。私学に行くために、ううん、生活するためには、どれだけのお金がかかるか、わかってる?あなた、働いたことってないよね?」 「あるわけないじゃん、小学生だし」 彼女は口を尖らせて、当たり前じゃんと続けた。 リエも大樹も黙っている。 萌は、彼女の目を見ながらゆっくりこう言った。 「あなたのお母さんは、一応は働いてるよね。それで月にいくら稼げるか知ってる?家で使えるのは、本当はその額だけなんだよ。お母さんが稼いだお金で、家賃、光熱費、食費、それからあなた達にかかる学費やその他もろもろを支払うの。それが一般的な家庭の在り方です。あなた達には大樹っていうスポンサーがいたけれど、それは異常なこと。周りのお友達にそんな人いる?」 「いないけど、でも、他の子にはパパがいるじゃん」 「大樹はパパじゃないから。結婚でもしない限りは、あなた達の生活の面倒を見る義務はこれっぽっちもないの」 「だったら、結婚すればいいじゃん」 「さっきも言ったけど、結婚はそんなに簡単にできるものじゃない。大樹の御両親は絶対に許さないよ」 「大人のくせに、親の許可なんていらないでしょ」 口は達者だが、発想は子どもだ。ませているくせに子どもらしい発言をしてくるから、厄介だ。 と、やはり教育者の悪影響故に、常識に欠けている。 「それは付き合っている時だけのこと。ちゃんとした形をとっていないあなた達一家にはわからないだろうけれど、世間一般的に結婚には親の許しがいるものなの。そしてその相手には出来る限り、面倒なタイプは避けられることになる」 「ママはそんなタイプじゃない」 長女は大声でそう反論してきた。 泣いているせいか、鼻の頭が赤くなってしまっている。娘がこんなになっているというのに、リエはどこかをぼうっと見ながら、だんまりを決め込んでいた。 この機につけ込んでというと語弊があるけれど、萌は言いたいことは全部吐き出してしまうことにした。 「十分、面倒なんだよ。結婚歴もないくせに、子どもが二人もいる女性っていうのはね」 「え?」 「だから、そういうこと。シングルマザーでも頑張っている人はたくさんいるよ。でも、あなた達の母親は違うでしょう。父親でもない男にお金貢がせて、それで生活してるって、ものすごくだらしないことなの。そんな汚いお金で今まで散々贅沢してきて、その上私学受験までしようっていうんでしょう。それってとてつもなく図々しいし、あり得ないくらい非常識なことだよ」 「ちょっと、あんた。りいを批判するわけ?」 ついに我慢できなくなったようでリエが参戦してきたが、論点がずれている。今、彼女が庇うべきは非難を向けられた娘だろう。 それなのに守るべき対象を自分に設定している彼女を、萌はぴしゃりと両断する。 「ええ。あなたは母親として最低の生き方をしてますよね。そしてそれをお子さん達にまで押し付けている。だから、歪んだ考え方で成長してしまったんでしょうね」 「言わせておけば、好き放題じゃん。あんたこそ、何様よ。りいとダイちゃんの間には、長い時間があるの。そこによそ者が入ってくんな」 「大樹はその時間を後悔しています。だから、私と新しい時間を築いていくことを選んだんです」 萌はそう言い切ると、ようやく大樹を見た。 彼はどっちつかずの表情を浮かべながら、この場が早く収まることを望んでいるようだ。 「もう十分ですよね。ここまで馬鹿にされて、それでも大樹を欲しますか?別の、もっとお金のある男性を見つけた方が幸せになれますよ。ほら、いこ」 萌は今度こそ、大樹を伴って部屋を出ようとした。 くるりと振り向けば、背中にひしひしと恨みの視線が感じられる。 何かの凶器が飛んでくるかもしれないとは思ったが、そうなったら儲けものだ。刑事事件でも起きれば、決定打。 確実にこの厄介者たちとは縁が切れることになるだろう。 靴を履き、玄関を出ようとした矢先、また長女の声が飛んできた。 「待って。一つだけ教えて」 「なに?」 「…ダイちゃんが今までしてくれたことって、おかしなことなの?」 「そうだよ。確かめたいなら、お友達に話してごらん。そのご家族にもね。きっとあなた達を見る目が変わるだろうから」 「みんな知ってるよ。でも、うらやましいって言われるだけだよ」 「それは、表面上だろうね。心の中ではきっとものすごく軽蔑されてるよ。母親のオトコに貢がせた金で、かわいい服着ているんだねって、影ではバカにされてるんじゃないかな」 「ウソだ」 「確かなことは、私にはわからない。でも、世間的にはそういう評価をくだされることを、あなたたちは今まで平然としてきたの。子どもとはいえ、恥を知った方が良いだろうね」 萌は冷たくそう言い放った。 途中から言葉は汚くなったし、子ども相手に告げるべきことではなかったこともわかっていた。 でも、言わずにはいられなかった。 自分達がいかに異常な生活を送っていたのかを、それによって萌がどれだけ苦しんできたのかを、思い知って欲しかった。 だから、一連の発言は子どものためなんかじゃなく、萌の自己満足を得るための手段だ。 非情と思われようと、最低と罵られようと、これまで溜まりにたまった鬱憤を晴らしたかった。 そしてそれが出来た今、気分はそれなりに良い。 ただ、運転席にいる大樹は、おそろしく浮かない顔をしている。 無口なまま車を走らせているからその内心は計り知れないけれど、何かを考えていることだけは読み取れる。 まぁいい。何かあれば言ってくるだろう。 萌は首都高を走るテールランプの明かりを眺めながら、そうのんきに構えていた。
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