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心機一転
見知らぬ天井に、慣れない香り。
目を覚ました萌は、ぼうっとしながら辺りを見回した。
「ここ、どこ?」
全く見覚えのない部屋だ。し
かも、ぱっとみた感じは男性のものばかり。
萌は頭を殴りつけん勢いで、気を確かにした。
「起きたの?」
その声にびくっとしながら、おそるおそる振り向くと、そこには思いもよらない人物、山田がいた。
「え?なんで?」
彼は慌てふためく萌に苦笑を浮かべる。
「覚えてないの?飲み過ぎだろ」
「えっと、昨日、飲み会だっけ?」
「そ。酔っ払い過ぎて動けなくなってから、とりあえずうちに連れてきたわけ」
「じゃ、ここ、山田の?」
「おう。俺んち」
やってしまった。最悪だ。
同期に、しかも男性に迷惑をかけるなんて、あり得ない。
「ほんとにごめんなさい。ありがとうございました」
「いいよ。気にすんな。とりあえずは無事でよかった」
「ああ、もう、ほんっとごめん。あたし、最低だね」
言いながら、少しずつ昨夜の状況を追いかける。
たしか、最後に飲んだのはハイボール。
その後の記憶は、正直ほとんどなかった。
どうやって店を出て、そして山田の家にお邪魔する羽目になったのかについては、まったくわからない。
そして萌がいるのはベッド。
彼は少し離れた床にシーツと共に転がっている。
どうやらここを譲ってくれた家主は、自分はフローリングに敷いた座布団で夜を明かしたようだ。
「あのさ、ここまではどうやって?」
「ああ、そうだ。部の奴らには、お前を俺んちの近くに住んでる友達の家に届けるってことにしてあるんだわ。悪いけどそれで話し合わせといて」
「わかった。ごめん、変な気まで遣わせちゃって」
申し訳なさと情けなさで、顔から火が出る思いだ。
心中に合わせて体を縮こませた萌がしゅんと俯くと、山田は少し呆れたようにこう言った。
「加瀬さんがお前狙ってたからな」
「は?」
「ん、だから加瀬さんがさ」
「なんでそうなるの?」
「あんだけ隙がある女なら狙われて当然だろ」
わずかに棘を含んだ言い方だった。
が、言われて当然のこと。反論の余地はない。
「だよね。職場の飲みで潰れるなんて、ほんと最低すぎるわ」
「…過ぎたことだから、気にすんな。何か飲む?ってもお茶くらいしかないけど」
「ありがと。もらえるとありがたいです」
山田はシーツを蹴とばすと、さっとキッチンへと向かった。
スウェット姿の彼は初めて見る。
ほい、と差し出されたペットボトルを受け取って、萌はもう一度彼に頭を下げた。
一気に流し込むと、冷たさが喉から体中にじんわりと巡って、脳がまた一段階活性化する。
すると更に自己嫌悪が湧いてきた。
「今、何時かな?」
「っと、六時か。まだ朝早すぎ。もう少し寝れば?」
「いやいや、もう始発動いてるよね。帰るよ」
「…そ。わかった。駅まで送る」
「ううん。大丈夫。適当に探すから」
これ以上、山田に迷惑はかけられない。
ただでさえ、こうしていることは非常識極まりないのだ。
そそくさと準備を始めた萌だったが、山田がそれを遮った。
「あ、待った。鈴木さ、俺に迷惑かけたと思ってる?」
「そりゃそうでしょ。後で必ず、お礼とお詫びするから」
当然だ。けれど何を返せばいいのか見当もつかないから、後で百合にでも相談してみることにしよう。
そんなことを考えていると、彼は思いも付かなかったことを口にした。
「一つ提案。御礼してくれるっていうんならさ、俺の希望叶えてよ」
「もちろん、もちろん。何でもするよ」
萌は勢い任せでそう言った。
望みがあるんなら、それを叶えるのが手っ取り早い。
「で、なに?」
「あのさ、ちょっと言い辛いんだけど」
そこで言い澱んだ彼に、萌は小首を傾げた。
彼との親しさとの間ではそうそう遠慮なんかないはずだ。
山田は大きく息を吐くと、少し硬い声でこう言った。
「彼氏とさ、別れたって言ってたじゃん。その理由、教えてくれないかな?」
「別に構わないけど。なんでそんなこと?それじゃ、御礼になんかならないでしょ」
「いやさ、事情も複雑そうだし、あの後お前かなり変だっただろ。ちょっと、気になってたからさ」
「わかった。色んな迷惑もかけてきたし、全部話すね」
そうして萌は大樹との終わりについて、一部始終を山田に打ち明けた。
彼は最後まで黙って聞いてくれた。
おかげで、萌はまるで誰かの物語をするかのように、客観的に話をし終えることが出来たのだった。
「もう何ヶ月も連絡ないし、結果としては振られたんだよね。なんだか寂しいけど、なるようになったのかなあって、最近は思う」
萌は特に何の感情を抱くこともなくそう言った。
もう大樹に縋りつくだけの激しい想いは消えていた。
最初の頃こそ連絡を待ち焦がれて気が狂いそうになったけれど、今では次第に過去の出来事となりつつある。
「男側の気持ちだけど、なんとなくわかるわ」
こちらが話している間、徹底的に聞き役に徹していた山田はしんみりとそう言った。
「どのへんが?私にはさっぱりだけどね」
「結局さ、何だかんだ言っても愛情はあったんだろうな。それが家族愛的なものだとしても。恋愛って面ではお前一筋だったのかもしれないけど、友情以上の何かはあったんだと思うよ。だから、傷つけられたことに腹を立てたんだろうな」
「私が大樹の大事なものを傷つけたってこと?それで嫌になられたってこと?」
「本人じゃないから正確なとこはわかんねえよ。でも、愛情がない相手ならさくっと切っちゃえば終わりだろ。それを二の足踏んだってことは、そう言うことなんだろ」
「やっぱり、負けてたんだね。あんな女に」
「やっぱり、勝負してたんだな。あんな女と」
萌の言葉尻を皮肉るように、山田が言う。
彼の言う通りだろう。萌は大樹を欲していたというより、あの女との勝負に執着していたのかもしれない。
「でもね、やっと解放された気がするんだ。だから今はすごく楽」
「なら良かったじゃん。気持ち切り替えて、次行けば?」
「そうしよっかなって言いたいけど、今はいいや。仕事が楽しくなってきたから」
「俺、目指しちゃう?」
「そこは遠慮しとく」
からかうように言った山田に、にっこりと笑みを返しながら萌はケラケラと笑った。
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