デート

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デート

学生時代、大樹には仲の良い友達が一人いたらしい。過去形なのは、現在はその所在はわからないからだ。彼曰く、行方不明らしい。  その彼には彼女がいた。こちらは確かに存在している。そう、散々大樹を振り回す、あの女だ。  大樹は友人を交えて会ううちに、彼女と気心知れる関係になったらしい。あくまでも、トモダチノカノジョ、として。  彼女は彼氏と揉める度に大樹に泣きつき、彼もその相談に親身になってきたようだ。そうするうちに、彼氏を差し置いても会えるような関係を築いた。それがスタートに違いない。  これは萌の持論だが、彼氏との喧嘩を異性の友人に相談する女はろくなやつじゃない。涙を使って同情を誘うような女は、本気で悩んでなんかいない。ただ、悲劇のヒロインになって、慰められたいだけなのだ。もしくは次のターゲットとして狙っている場合がほとんどである。 だから彼女との関係について、最初に話を聞いたときから、嫌な感じはしていた。多分、身近にいたら敬遠する存在だろう。そしてそれを見抜けないバカな男も心底軽蔑する対象だった。 それがどうだ。そんなバカとどうしてか恋人となり、何度揉めてもずるずると続いてきてしまっている。 萌自身、恋愛経験は多い方じゃない。人並みに付き合った経験はある。けれど、いつも受け身だった。 相手から告白されて付き合ってみるものの、途中で冷めてしまうのだ。理由はわかっている。思春期の片思いからまだ立ち直っていないからだ。 中学、高校と、ずっとずっと好きだった相手。実際、仲が良かったし、周囲からも付き合っていると思われていた。それなのに何度告白しても、答えはNO。しかもいつもはぐらかされる形で、はっきりした理由を教えてもらったことはなかった。 大学進学というイベントで物理的な距離ができたことで、ようやく諦めるという選択肢を選んだけれど、それでも好きなものは好きだった。前を向こうと新しい出会いに期待したものの、気持ちが吹っ切れていないままだったから、当然恋人達とは上手くいかない。互いにぎこちなくなって終わるといったことを何度か繰り返していた時に、大樹に出会った。 年も年だし、相手はそこそこ良いところの会社員。何事もなく順調に事が運んでいたならば、今頃はどうなっていたのだろう。もしかしたら例に洩れず、ダメになったのかもしれない。もしかしたら、トントン拍子に結婚にこぎつけていたかもしれない。 現実はそのどちらでもなかった。 執着心という欲にとりつかれたせいで、結果、宙ぶらりんな状況に陥ってしまっている。  マンションのエントランス前に、若者が乗るには少しばかり不相応な高級車が横付けされた。運転席には私服姿の大樹がいる。 「お待たせ」  助手席に無言で乗り込んだ萌に、彼は優しくそう言った。  時刻は十一時。以前にした約束の通りだ。 「ありがと」  萌はむすっとしたままでそう告げたが、大樹は嬉しそうに微笑む。その穏やかな雰囲気にのまれて、いつも揉め事は収束していくのだ。ある意味、最高の武器だろう。 「さ、どこ行こうか? まだお腹空いてないでしょ」 「うん。どこでもいい」 「どこでも、ね。難しいな」  大樹は困ったようにカーナビを操作し始めた。と、その時、ある単語が目についた。 「これ、なに?」 「え」  とっさに消去ボタンを押そうとした彼の腕をぐいっと掴む。 「プール、だよね」  まずい。彼の顔には大きくそう書いてある。  事情を察した萌は、あてつけのような大きなため息をついた。 「結局、送っていったわけね」 「…ごめん。断り切れなくて」 「他の女乗せたすぐ後に、彼女迎えに来るわけか」 「拾って落っことしてきただけだよ」 「あっそ」  萌はそう言って、そのまま車を降りようとした。が、今度は彼に腕を掴まれる。 「待って」 「嫌」 「ほんとごめん。でも俺だって今日のことは楽しみにしてたんだよ」  私だって楽しみだった。萌は心の中でそう叫ぶと、知らずの内に潤んできた目をぎゅっと瞑った。  何でいつもこうなんだろう。 「ね、とにかく出かけようよ。海沿いでもドライブして、おいしいもの食べよ」  大樹は必死でそう訴えてきた。見れば、彼も泣きそうな顔をしている。演技なんかじゃない。素だ。  ここできっぱり別れを宣言出来たら、どんなにカッコいい女だろう。  でも、萌にはできなかった。 「…ピザ、食べたい」 「イタリアンね。せっかくだから、コースのとこで」  大樹はほっとした表情を浮かべながら、慣れた手つきでカーナビに指を滑らせた。  ぎこちない空気の中でも、とりあえずは食事を終えたことで、萌の気も少し治まってきた。 会話が弾むわけでも、盛り上がるわけでもないけれど、彼との二人の時間は確かに大好きなのだ。余計な横槍さえ入らなければ、最高の恋人だと思う。 「水族館でも行こうか」  大樹は手にしている観光雑誌と睨めっこしながら、一生懸命、次の選択肢を絞り出した。 「夏休みだから混んでるかもだけど。せっかくだし」 「いいよ。人混みはあんまり気にしないから」  どこかでゆっくりティータイムでも良かったけれど、大樹の頑張りを無にするのは気が引ける。雑誌には下調べしたと思われる丸印がいくつも付いていたのだ。 「イルカ、見たいな」 「おっ、気が合うね。俺もだよ」   「ね、見て。かわいいよ」  大樹の腕に絡みつきながら、萌は大型の水槽を指差した。  ヨチヨチ歩きのペンギンたちが列をなして進んでいく。中には小さな子どもも混ざっていた。 「ふわふわだねえ。いいこいいこしてみたい」  萌がそう言うと、不意に頭を撫でられた。 「俺はこの子の方がかわいいな」  周りから見れば、ただのバカップルだ。でも萌は単純に嬉しくなった。演出であれば震えがくるほどサムい言葉だが、彼が言うと素直に聞けるから不思議だ。なんとなくくすぐったくなって、萌は大樹の胸に飛び込んだ。  その時だ。彼のスマホが何かを受信した。 「鳴ってるよ」 「ん?なんだろ。どうせ大したことは」  そこまで言って、大樹は黙り込んだ。 「どうしたの?」 「いや、何でもないよ。ほら、いこ」  女の直感に間違いはない。時間は三時。このタイミングでの連絡とあれば、例の女からに違いない。きっと内容は…。 「迎えに来いって?」 「見たの!?」  悲しいくらいに動揺する大樹に、萌は顔が引きつくのを感じた。 「見てないけど、そのくらいは察せます」  圧迫感を込めてそう言ってやると、大樹の顔は一気に曇った。 「まさか、行くつもり?」 「そんなわけないでしょ。大体、今からあっちに向かったら何時になることか」 「さっきは送りだけってきいたけど」 「そうだよ。だからこれは無視」  言葉とは裏腹に、大樹はその決断をしたことを怯えているように見えた。  行けば。もしそう言ったら、彼はどんな選択をするんだろうか。試してみたいけれど、結果が怖い。 「…あのさ、」  萌は上目遣いで彼を見た。大樹はおどおどしながらこちらの次の句を待っている。 「いいや。なんでもない」  それを聞くなり、彼はあからさまにほっとした様子を見せた。この場で色々突っ込まれることが嫌だったのか、それとも別れ話でもされると思ったのだろうか。答えは彼にしかわからないけれど、萌はそれを追求しないことにした。 「ね。ショー、見に行こうよ」  明るく言ってやると、彼もまた大きな笑顔を返してくれた。    ショーの間、確認できただけでも十回、彼のスマホが鳴った。その後で多分サイレントにしたせいで、それからのことはわからない。が、ランプが光っているところをみると、連絡はじゃんじゃん来ていたのだろう。  せめてもの罪滅ぼしなのか、大樹は一度も携帯をいじっていない。おかげで別れるまでの間、二人っきりの時を満喫できた。ディナーもちょっとした高級店でおいしくいただけたし、夜のドライブもとっても楽しかった。 そうしているときは本当に幸せで、一生大樹と一緒にいたいと思えてくる。 願わくば、彼が過去を切り捨ててくれれば。萌は何度そう祈っただろう。今のところ、叶う兆候は見られないけれど。 「今日はありがと。すっごく楽しかった」 「こちらこそ。でも、最初、嫌な思いさせちゃってごめんね」 「いいよ。帳消しにしてあげる」 「萌は優しいね。大好きだよ」  大樹はそう言うと、萌をぎゅっと抱きしめた。伝わってくる鼓動が早い。 「また連絡する。気を付けてね」  今日一番の笑顔を見せた萌に、大樹はそっとキスをおとした。
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