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「は? 西谷?」
「そうそう。お前高校の時隣の席だったろ? 覚えてないの?」
「いや……覚えてるけど」
信号がぱっと青に変わる。周りの車は一斉に停車し、歩行者のために嫌々ながらも道を開けた。消え去った騒音のせいで、四角い機械を通した奴の声がはっきり聞こえてくる。
「アイツ、今度結婚するらしいぞ」
輪郭に沿って流れ落ちた汗がやけに不快だ。まだ七月のはじめ、それも夜の九時過ぎだっていうのにこの暑さ。地球温暖化の問題は随分と深刻らしい。
「ふーん」
「反応うっす!」
「別に興味ねぇし」
「またまたぁ〜」
信号の青が点滅を始める。立ち止まっていた俺はハッとして歩き出した。
「でも本人は乗り気じゃないっぽい。親が勝手に決めたんだってさ」
「……つか、なんでお前がそんな事知ってんだよ」
「母親が女子会で聞いたらしくて」
「女子会?」
「そ。ご近所さんとか友達同士の集まりなんだけどさ、女子会って言わないと怒られんだ」
「……へぇ」
女性というのはいくつになっても若いようだ。……心が。
築三十年、木造二階建てのボロアパート。そろそろ引っ越すかなんて考えてはみるものの、色々と面倒になっていつもやめてしまい、気付けばもう七年もここに住んでいる。ま、安月給の独り身のサラリーマンだしな。雨風凌げて寝られさえすればそれでいい。ああ、なんてさみしい二十五才。
薄い鉄板の階段をカンカンと鳴らしながら上っていくと、どこからかがやがやと騒がしい声が聞こえてきた。……アパートに住む学生が宅飲みでもしてんのか? それにしたって近所迷惑なうるささだ。ったく、誰だよ。
文句を頭に浮かべながら歩みを進めると、信じられないことにこの騒音の元凶は俺の部屋だった。
は? なんで?
さっきも言った通り俺はこの部屋にさみしく一人暮らしをしていて、残念な事に合鍵を持って部屋で待っててくれる可愛い彼女なんてものは存在しない。かと言って、勝手に部屋に入って我が物顔で冷蔵庫を荒らすような素行の悪い友人もいない。ってことは泥棒? 侵入者? いや、泥棒がこんなに騒ぐなんてありえないよな。捕まえてくれって言ってるようなもんだし。じゃあ何だ? テレビの消し忘れ?
「篠田悪い! あとでかけ直す!」
俺は電話を切ると、急いで部屋の中に入った。こんな大音量が一日中外に漏れていたのだとしたら苦情は殺到だっただろう。やべー、大家さんに怒られる。
暗闇の中、煌々と浮かぶ光と部屋中に響く笑い声。……間違いなくテレビだ。でも俺、テレビなんてしばらく見てないような気がするんだけど……変だな。
疑問に思いながら、俺は部屋の電気をパチリと付ける。
ぱっと明るくなった視界に飛び込んできたのは、なんとも衝撃的な光景だった。
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