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ピンポン―――――
私の物思いを遮るように、軽やかな呼び鈴の音が響く。
「はい」
ステンドグラスをはめ込んだドアを開けると、そこには若い女性が立っていた。
薄化粧を施した顔には緊張の色が張り付いている。
「あの…初めまして。坂と申します。家政婦協会から参りました」
少し上ずった声を上げる。
「ああ、ご苦労様。どうぞ上がって」
私は先に立ち、応接間へと案内した。
部屋に入るなり、坂さんは右手に下げた洋菓子店の紙袋を差し出し
「これ、協会長から預かって来ました。
前任の家政婦が突然失踪して、こちらにご迷惑をかけたそうで…」
「わざわざどうも…」
オープニングナイトのような、深みのある紅色の肉感的な唇を思い出しながら紙袋を受け取った。
「彼女の行方、まだ分からないのかい?」
ソファーを勧め、尋ねる。
「はい…悪徳消費者金融にかなりの借金があったみたいで…」
坂さんはそう言って、俯いてしまった。
湿った空気を吹き払うように、私は快活な声を上げた。
「お茶でもいかがかな?丁度イギリスから良い茶葉を取り寄せたばかりなんだ」
「あ…お茶でしたら、あたしが!」
慌てて立ち上がろうとする坂さんの肩を両手で軽く押さえる。
「こう見えても紅茶を淹れるのが得意なんだよ。
お近づきの印に、是非ともおもてなしさせてくれないかな?」
耳もとで囁くように言うと、頬を真っ赤に染め頷いた。
「では、準備をする間、こちらをどうぞ」
私は木製のブレッドケースからスコーンを2つ取り出し、ウェッジウッドのケーキ皿に乗せると坂さんの前に置いた。
「今朝焼いたばかりだよ」
「えっ!これ、旦那さまが?」
驚いたように見開かれた目は、まるで藪から飛び出した野ウサギのように真ん丸で、あまりの可愛らしさに思わず笑みが零れてしまう。
「良かったらこれをつけてみて」
スコーンの皿の横に小瓶を添える。
「わぁ、キレイ」
「薔薇ジャム。鮮やかな赤い花が特徴のパパメイアンと芳香豊かなナエマを半量ずつ使っているから色も香りも申し分ないはずだよ」
「これも、旦那様が?」
小瓶を目の高さに持ち上げると、しげしげと眺めた。
高窓から差し込む光を受け、赤いジャムは宝石のように輝く。
「ホントにキレイ。何だか食べちゃうのが勿体ないくらい…」
坂さんの呟きは私を大いに満足させてくれた。
「食べるために作ったのだから、遠慮なくどうぞ」
そう促すと、ゆっくりと金の蓋を開けた。
小瓶から甘い香りが溢れだす。
慎重にティースプーンで掬い上げると、鼻先に持っていく。
「すごくいい匂い」
薄い唇に笑みが浮かぶ。
スコーンの上にちょこんと乗せると、そのまま噛り付いた。
「んんっ。美味しい!」
上目遣いに私を見上げ、更に口元を綻ばせた。
私は鷹揚に頷き、
「それは良かった。すぐにお茶の仕度をしよう」
我が家の新しい家政婦に紅茶を振舞うべく、キッチンへと向かう。
心の中で『合格』と呟きながら。
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