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確か家の近くに公園があったはずだ。
「確か」というのは、その記憶がどうも曖昧だからだ。
タバコ屋とマンションの間の隙間を通っていった気もするが、この近所に今はタバコ屋なんてない。
そもそもその公園に行ったことすら中学生くらいに1回あるだけで、それ以降どんなに探してもその公園は見つからない。
だが、その公園での出来事は今でも私の記憶の中にしっかりと残っていた。
そう、それは私が勉強でトラブルを抱えていた時のことだ。
その頃私は高校受験のための勉強をしていたのだが、成績が思うように上がらず、期待をかけてくれる両親や教師のことがだんだん重荷になるようになってきていた。
学校でも何をしても上手くいかず、塾に行っても勉強についていけず、もうこのまま生きていく意味があるのか何度も考えた。
しかし答えは出なかった。
そんなある日、私が憂鬱な気持ちでいつもの通学路を歩いていると、道の脇に見慣れないタバコ屋があるのがわかった。
そしてそのタバコ屋と隣のマンションの間には狭い通路があり、奥へと続いている。
私は疑問に思いながらも学校への道を急ごうとした。しかしどうしてもその通路の奥が気になってしまう。
寄り道をしている時間はないはずだった。
しかし精神的に疲弊しきっていた私は学校なんて少し遅れても一緒だという気持ちでその通路に足を踏み入れることにしたのだった。
タバコ屋のマンションの間の通路は人がやっと通れるくらいの幅しかなかったが、地面には土の地面の上に苔の生えた踏み石が敷いてあり、都会育ちの私にはとても新鮮だった。
微かにタバコと雨と草の匂いがする。
通路を進むにつれて目の前に芝生が広がっていき……
ビルの隙間に忘れ去られたような小さな空き地が現れた。
20メートル四方の空間だろうか……
ビルの谷間で日陰になっているはずだがそこは不思議とジメジメしたような感じはなく、地面は芝生でびっしり覆われている。
空き地には誰が置いたのか、アルミ製のベンチが端と端に置いてあった。
一つのベンチには平日の昼間で暇なのか、杖を持った年老いた男性が1人、座ってぼーっとビルの隙間の空を眺めている。
私はもう一つのベンチに座って老人の真似をしてぼーっと空を眺めることにした。
この小さな公園は奥まった場所にあるせいか慌ただしい現実世界とは隔離された空間のように感じて自然と心が安らいだ。
どのくらいそうしていただろうか……
私は踏み石の通路をこちらへ歩いてくる人影を見つけた。
せっかく見つけた秘密基地に元いた老人以外が入ってくるのはなんだか気に食わなかった。
私がそちらを睨みつけていると、人影は私の座っているベンチの方まで来て、よいしょと言いながら隣に座ってきた。
逆光で今まで分からなかったが、その人は30歳くらいの男性だ。髪はボサボサだが、スーツや靴はしっかりと磨かれており、手には高そうな鞄を持っている。
勝ち組のサラリーマン……といったところだろうか。
「……ボウズ」
その男がおもむろに私に話しかけてきた。
「なんだよ……」
精神的にやさぐれており、加えて先程から機嫌の悪い私は敬語を使うのも忘れて答えていた。
「学校は行かなくていいのか?」
それは今最も言われたくない言葉だった。私は不快感を顕にすると、行きたくないと答えつつ
「オッサンこそ、会社行かなくていいのかよ……」
と言ってみた。だが男はニヤリと笑うと、行きたくないと私の真似をして答えた。
「……チッ」
苛立ちを隠せない私。気づいたら、私たちの話し声が聴こえていたのか、別のベンチに座っていた老人も興味深そうな表情でこちらを見ている。
私はもう話すことは無いとばかりにベンチから立ち上がると、踏み石の通路に向かおうとした。
そんな私の肩に男の手がぽんと置かれる。
「まあ待てよ」
「離せよクソッ!」
男の手を振り払おうとする私。しかし男は手を離してはくれなかった。
「落ち着けボウズ。ここで会ったのも何かの縁だ、話してみろよ。」
「オッサンに話すことなんて何もねぇよ!」
「そうか?じゃあ俺の話を聞け」
「なんでオレがオッサンの話を聞かなきゃいけないんだよわけわかんねぇ!」
なおも帰ろうとする私に男は一方的に話し始めた。
「俺はな、そこそこの会社に就職して家庭も持ってそこそこの人生を送ってると思っていた。でもな、違ったって気づいたんだよ。」
「何のことだよ、オレには関係ないだろ」
「いやあるよ。ボウズもいつか大人になるんだからな」
「……んなこと」
そんなこと分かっている。
そう言いたかった。
でも言えなかった。
本当に自分は分かっているのだろうか……大人になるということがどういうことか、このまま勉強漬けの毎日を送って果たして立派な大人になれるのだろうか……
ここで男の前から立ち去ったらまたいつもの憂鬱な日々の始まりだ。ならばここで人生の目的というものを確かめてみたい。
そう思って私は再びベンチに腰をかけた。
「おっ、話を聞いてくれる気になったか」
そういう男は少し嬉しそうだった。
「ちょっと聞いてやるだけだからな」
「安心しろ、すぐ終わるぞ」
そう前置きして男は話し始めた。話をまとめると、男は今会社で大きなプロジェクトを任されている。しかしそれは男の本当にやりたかったものではなく、失敗するリスクも高い。正直自信がない……そんな感じの話だった。
すぐ終わると言ったわりには長々と話されたはずだが、不思議と私はその話に聞き入ってしまっていた。
「人間ってな、やっぱやりたくないことを続けていても仕方ないと思うんだ」
男は言う。その声は自分に言い聞かせるようでもあった。
「でも、やりたくないことから逃げていても仕方ないじゃんか……」
「そこは自分で決めることさ」
男は続ける。
「辛いことでもやりきる気力があるなら続ければいい、でも無理する必要もない。俺はそう思うね。」
「……よくわかんねえや」
私は男の言葉を頭の中で繰り返しながらも釈然としない気持ちでいた。でもなんとなく、自分がこれからどうすればいいのか分かった気がした。
私は静かに腰を上げた。
「もう行くのか?」
男が訊いてきた。私は頷くと
「なんとなくどうすればいいかが分かった気がした」
と答えた。
「そうか……それはよかった」
男が安心したような口調で言った。
「正直上手く話せてるか自信なくてよ」
「上手くはなかったね」
「……ったくボウズは……」
私と男のやり取りを見ながら、別のベンチに座っていた老人がにこやかに笑った気がした。
「じゃあ、オレは行くから」
「またな」
私は男の声を背後に聞きながらそそくさと踏み石の通路を急いだ。
その後私はこの公園での出来事を何故かほとんど忘れていたが、勉強や学校が辛い時、辞めたくなる時にふと男の言葉が脳裏をよぎりった。
自分の性格的に、辞めていいと言われるとさらに燃えるタイプらしく、男の助言に従ってなるものかという気持ちで頑張ることが出来た。成績もなんとか持ち直し、私は進学校に進むことができた。そしていつしかあの公園のことなど忘れてしまった。
ーーーーーーーーーーー
一流企業に進んだ私は今、大きなプロジェクトを任されている。失敗するリスクも高く自信がなかった。失敗すれば恐らく職を失ってしまうだろう。連日連夜の仕事に私は心底疲れきっていた。
そんなある日、私が憂鬱な気持ちでいつもの通勤路を歩いていると、道の脇に見慣れないタバコ屋があるのがわかった。そしてそのタバコ屋と隣のマンションの間には狭い通路があり、奥へと続いている。
私は疑問に思いながらも会社への道を急ごうとした。しかしどうしてもその通路の奥が気になってしまう。
寄り道をしている時間はないはずだった。しかし精神的に疲弊しきっていた私は会社なんて少し遅れても一緒だという気持ちでその通路に足を踏み入れることにしたのだった。
タバコ屋のマンションの間の通路は人がやっと通れるくらいの幅しかなかったが、地面には土の地面の上に苔の生えた踏み石が敷いてあり、都会育ちの私にはとても新鮮だった。
微かにタバコと雨と草の匂いがする。
通路を進むにつれて目の前に芝生が広がっていき……
ビルの隙間に忘れ去られたような小さな空き地が現れた。
20メートル四方の空間だろうか……
ビルの谷間で日陰になっているはずだがそこは不思議とジメジメしたような感じはなく、地面は芝生でびっしり覆われている。
空き地には誰が置いたのか、アルミ製のベンチが端と端に置いてあった。
ベンチの一つには平日の昼間で暇してるであろう年老いた男性が、そしてもう一つには中学生だろうか、男の子が座っている。
男の子は私の存在を確認すると、こちらを睨んできた。
その時、私の脳内を閃光が貫いた。
私はこの景色を知っている……体験したこともある。
デジャヴというやつだ。
私は全てを悟った。ここにいる男の子は昔の私そのものに違いない。そして今度は私がこの少年を励ます係なのだ。
上手く話せるかな……
不安だがやるしかない。昔、私も励まされたように……
そして私はもう一つ気づいたことがあった。
私は老人のほうを伺うと、心の中で尋ねる。
(なあ……未来の俺は上手くやってるかな……このあとプロジェクトは成功するのかな……未来の俺……)
老人が私の視線に気づいたのか、にっこりと微笑む。
(まあ、そんなことは関係ないか、俺は今やるべき事をやるだけだ)
私は少年の方を向くと、声をかけた。
「……ボウズ」
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