帰結

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「分かってたんです、いつかそうなるって……一度は、お二人に取りなして頂きましたけど」  千都香は一度、深呼吸した。 「思ってたよりもずっと迷惑掛けてたんです、私。漆にかぶれる弟子なんて、漆を仕事にしてる人にとっては……それも、漆を素手で触ったって平気な人にとっては、迷惑でしか有りませんよね」 「千都ちゃん……」  そこまでで一度言葉を切って、心配顔の清子に笑ってみせてから、紅茶を手に取って一口飲んだ。 「……私、先生の、何にもなれませんでした」 「千都香さん……」 「生徒にも、弟子にも、アシスタントにも、助手にも」  それ以外の、何かにも。  胸を(ひそ)かによぎったそれは、一生口に出せない望みだ。  首になっても、千都香にとって壮介は師匠だ。師匠にそんな大それた気持ちを(いだ)くなど、望む事すら許されない。 「漆にかぶれる体質だったなんて、知らなきゃ良かったなあ」  あのときもっと気をつけていれば、今もまだ知らなかったのだろうか。そうだとしても漆に関わっていく限り、いつかは知ることになっただろう。  これがもし他の誰かの話だったら、早く分かって違う道に進めるのならむしろ良かったと慰めてしまうかもしれない。 「それか、金継ぎなんて習わなきゃ良かったのかも……そうしたら、一生知らないで居れたのに」  漆の事だけでなく、壮介の事も。  何度言っても直らないだらしなさも、  すぐに食事を忘れる事も、  千都香が一番辛かった時に何も言わずにただ側に居させてくれた事も、  物は単なる物では無くて人より長く生きる事があると教えてくれた事も、  (はた)から見たら取るに足らない器をどうしても直したかった千都香の気持ちを汲んでくれた事も、  全て、知らないで居られただろう。   「私は、千都ちゃんが金継ぎを習ってくれて、良かったと思うわ。そうじゃなかったら、お友達にはなれなかったもの」 「私もですよ」 「……ありがとうございます」  清子と麻はいつの間にか、両脇に座って目を潤ませて手を握ってくれている。  二人の言葉を、千都香は心からありがたく思った。  全てを失くした訳では無いのだ。  ……けれど、一番望んでいたものは、最初から手に入る筈の無いものだった。  今日の千都香に起こった事は、分かっていたつもりで居たその事を、はっきり思い知らされたという──ただ、それだけの事だった。
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