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「こんばんはー!」
脱いだばかりのへちま襟の和装コートを手に持った着物姿の千都香は、玄関扉を開けずに叫んだ。
「はい?どなたさ……」
ここの住人である牧壮介は、鍵をガチャガチャ言わせてから扉を開けて、千都香を認めて絶句した。
チャイムが鳴らないからと言って勝手に戸を開けようとしなくて良かった、と千都香はさらりと思った。いつも開いていた扉が今は閉まっている事を思い知らされて、いちいち傷付く必要は無い。
「ご無沙汰してます。またチャイム壊れたんですか?」
面倒くさそうに玄関扉を開けた壮介に、不自然なほど明るい声で挨拶をする。
「……何の用だ。家の敷居は跨がせねぇつったろ」
「じゃあ、縁側から入りましょうか?」
「……開かねぇよ。締め切ってんの知ってんだろ」
千都香がわざとふざけると、壮介が嫌そうに苦笑した。完全な拒絶ではないと言うだけで、鼻の奥がむずむずしそうだ。それをぎゅっと押し込めて、用件だけを事務的に告げる。
「今日は、仕事の依頼に来ました。」
「は?」
「金継ぎ師としての牧壮介さんに、繕って頂きたい物をお願いしに来たんです」
「はあ?」
「今の私は、お客様ですよ?」
生徒にもアシスタントにも助手にもなれなくなった千都香でも、客にはなれる。ちょうど頼みたい物が有った千都香は、それをここに来る口実にすることにしたのだ。
「お客を追い返しても、宜しいんですか?」
「……どーぞ、お入り下さい」
しぶしぶと──心底渋々と言った様子で、壮介は千都香を玄関に通した。
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