不在

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「まず……昨日の事を、謝りに来た。」  千都香と一夜を過ごした翌朝、壮介は、毅を訪ねた。無言で玄関に招き入れられ、言い訳もそこそこに謝罪する。  しばらくの、沈黙の後。 「……謝る様な事をしたのか?」  毅が今日初めて口にした言葉が、それだった。 「今更謝る位なら、どうしてあの時、止めなかった?」 「……済まない……」  顔が、上げられない。  毅の声は、静かだった。    *  昨日、何の前触れも無く、千都香が壮介を訪ねて来た。  用件を聞くと、仕事を頼みに来たと言う。なんというタイミングかと、目眩がした。  千都香が来なくなって以来、壮介宅にはほとんど客が来なくなっている。しかし、たまたま昨日は夕方遅くに客が来る事になっていた。  壮介は迷った。二度と敷居を跨がせないと言ったものの、実際に来られると家に上げないのは難しい。  約束までには、まだ間が有る。それまでに追い返せば良いだろうと思い、千都香を家に上げてしまった。  久し振りに顔を合わせる千都香は、元気そうだった。前よりも明るく、前と同じ様に生き生きとして楽しそうだ。幸せそうな様子に、密かに安堵した。  初めて家まで送った時に着ていた和服を纏っている事には、見た時から気が付いていた。袖の振りからは、前とは違う赤い色がちらっと覗いている。白も似合っていたが赤も可愛い、などと余計な事を考えたりした。  用件である器を受け取り、帰る様に促した。  千都香は、ぐずぐずと帰りを渋った。来客が有ると言うと、せめて忘れ物を取らせてくれと言う。 「ありがとうございます!捨てないでくれたんですね?」  千都香の部屋になっていた納戸を覗いて忘れた服を見つけると、千都香は嬉しそうにはしゃいだ。  突き放したのに、変わらない。こうして千都香が傍らに居ると、居るのが当たり前な気がして来てしまう。  そろそろ本当に帰らせなければ、と思い始めた頃、畏まって挨拶をし始めた。このままずるずると居させると、まずい事になる。  ……そう思った時。 「……そこ、また赤くなって無いか?」  前に漆でかぶれた時に、最後まで赤味が残っていた(うなじ)が、その時と似た様に赤らんでいるのに気が付いた。 「えっ?」  指摘すると、千都香は慌てた。そして、思い出した様にこう言った。 「……あ!毅さんの、」  ……毅の。  聞いた途端に、壮介の全身の血が沸いた。
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