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小さな体が玄関で靴を履き、リュックを背負って立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。
「おせわになりました!!」
「またおいでねー!」
「待ってるよー、いつでもおいで。気をつけて帰ってね……ゆき、宜しくね」
「はーい。まなちん、忘れ物無い?」
「大丈夫!」
短いお泊まりが終わった愛香は、雪彦に送られて家に帰る。必要なものや着替えは城山邸にも置いてあるので、荷物は少ない。梨香と千都香から持たされた保存出来るおかずは、雪彦の持っている紙袋の中だ。
「ゆきにい?」
「なあに、まなちん。」
マンションを出て、駅に向かって手を繋いで歩きながら、愛香が雪彦のことを見上げた。
「あのね、ひみつのお願いがあるの。」
「秘密?」
「うん。」
雪彦を見上げながら、愛香はぽつりと言った。
「……ちぃちゃん、お布団で泣いてたの。」
「え」
雪彦は、とっさに言葉が出なかった。
千都香が泣いているという事も、ショックでは有った。だが、それは想像の範囲内だ。
ぎこちなくしか笑わない、話さない、食べない、寝ない。少しずつ和らいで来たが、「先生のとこには二度と行かないから、しばらく置いて」と言って突然家に来た当初は、酷い物だった。
しかし、千都香が泣いていたという事を、愛香が自分だけに今「秘密」として伝えて来た事は、それ以上に衝撃だった。
「……そっか。ごめんな、びっくりしたよな」
「ううん。おとうさんもだから」
「っ」
言葉を失った雪彦の耳に、愛香の呟きが聞こえてくる。
「おとなは昼間いそがしいから、夜泣くんでしょ?まな、そういうの、じゃましないの。でも、起きたらおとうさんにやさしくするって決めてるんだ。でも、今日は、もう帰らなきゃだから……だから、ゆきにい、ちぃちゃんにやさしくしてあげて?」
「……分かった。約束する」
「良かったー、ありがとう!」
雪彦はほっとした様に笑う愛香を、抱き締めたくなった。だが、今のご時世、道端で大学生が小さな女の子を抱き締めていたら、何かとまずい。
「まなちん?」
「なぁに?」
「……肩車、する?」
今の状況で精一杯の、雪彦なりの愛情の示し方だったのだが。
「しない。スカートだから」
「……あー……」
即答だった。しかも、ご機嫌を損ねた。
「……なんか……ごめん……。」
ぷうっと膨れる愛香は愛くるしい事この上ないが、袖にされた事は切ない。
愛香はもう赤ちゃんではなく、スカートを気にする女の子なのだ。
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