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「話さなくって結構。とにかく、もう、ちぃ姉には近付くな。あんた、梨香姉にもそう言われたんだよな?どこに居るか教えるのも会わせるのも、絶対無理。諦めろ」
「……諦めない。」
「あー、ほんっとしつこいね!?諦めてさっさと帰れって!」
「帰るが……ここ、まだ引き払わないんだよな。また来る」
そう言うと「先生」は、立ち上がろうとして呻いて止まった。
「二度と来んなって!諦めろって言ってんだろ?!」
「君には悪いが、諦めない。」
そう言うと立ち上がりかけの姿勢のまま、雪彦の方を見た。
「目の前から消えても、どこに居るのか分からなくても、生きてる人間には、諦めなければまた会える」
「っ」
目の前の男が図らずも口にした言葉は、雪彦の思い込みを揺さぶった。
『ちぃちゃん、泣いてたの』
『おとうさんもだから』
愛香は、父親の尚と同じように千都香も泣いている、と言った。
それを聞いておきながら、雪彦は千都香がどうして泣いているのか、何のために泣いているのかを、考えた事が無かった。漠然と、最近関わった妙な男に傷付けられて泣いているのだろうと思っていた。
『ちぃちゃん、お仕事やめても、名人に会える?』
『……どうかなー……忙しいからね、名人は。』
同じように泣いていると愛香は言ったが、尚と千都香には全く違う点が有る。
会う事が不可能な尚とは違って、千都香は相手に会うか会わないかを、選ぶ事が出来るのだ。
千都香は梨香に「もう『先生』には会わない」と言った。会わない事を選んだのは、会いたくないからだと思っていた。
それなら何故、千都香は未だに泣いているのか。
「……邪魔して、悪かった。」
雪彦の考えの揺れがまだ収まらないうちに、「先生」はゆっくりと立ち上がった。
「床を汚してしまって済まない。退去の日には、雑巾持って掃除でもしに来る」
「……来んな。」
ぼそりと一言呟いた後。
「先生」の冗談ともつかない冗談に返事をする為に、雪彦は深呼吸して口を開いた。
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